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おわかれ
燃えさかり遠ざかる地球。
それを窓越しにながめていたマルコはしかし、彼女にたのまれたおつかいのことを考えていた。
まずスーパーでなにかてきとうなお刺身と、クラフトビールと、もずく酢。
で、帰りに薬局によって化粧水とヘアオイル。
そうそう、大した買い物じゃない。楽勝楽勝。
マルコはそう思いながらじっと滅亡していく故郷を見つめていたのだ。地球の表面には雷のようにひび割れが広がっていて、そこから吹き出したマグマが海や大地を蒸発させている。
当然、スーパーも薬局もあとかたもなくドロドロになっているだろう。
ガタン!
突然、マルコたちを乗せる宇宙船が大きく揺れた。
地球が早くも小規模の爆発を起こしていて、衝撃波が伝わってきたのだ。
30名ほどの乗員がシートの上で次々と鳴き声をあげる。
「にゃー、やっぱりこれは我ら猫族への天罰にちがいない!」
「にゃー、人間を滅ぼし地球を支配したツケがこれとは!」
「にゃー、これは逃れようのない運命なんだ!」
「そんなことない!」そう叫んだのは猫一倍恰幅のよい雄猫のバスコだった。「俺たち猫族が人間を滅ぼす力を得たのは、核爆発の影響で細胞の異常分裂が起きたからだ。人間たちはあくまで、自分たちの開発した破壊の力に滅ぼされただけだ!」
にゃーにゃーにゃーと、議論は続いた。
それでもマルコは我関せずという態度で、シートにもたれながら窓の外へ視線を向け続けた。
−−あいつも、別の船でちゃんと脱出してくれたよな。
そんな言葉が一筋、凍りついたマルコの思考の中でながれた。
間もなく地球は大爆発を起こしてあとかたもなくなってしまうだろう。
宇宙船「マネカザルネコ号」は、飛び散る地球の残骸からを逃れるため光速航行に突入し、太陽系を脱出した。
地球は1週間前、地殻変動による大地震で世界中の街を崩壊させたのち、自らを煮えたぎるマグマによって埋葬しはじめた。
猫族は、支配したと思っていた故郷の反乱に右往左往した。
が、そこは高い知性を持つ猫族。念には念をとそこかしこに常設していた緊急脱出用の宇宙船によって、大半が地球外へ逃げのびた。
それでも、地球の崩壊する異常なまでのテンポのよさに指揮系統は混乱した。
そのため、それぞれの宇宙船はてんでんばらばらに光速航行して宇宙空間へ散らばった。
宇宙船が通常航行に戻ると、今度は孤独の旅がはじまった。
宇宙船には最大50名までの猫が乗り込めたが、家族や親友、恋人たちと一緒の船に乗れた例は幸運で、マルコがそうであったように、ちょっとした外出先や出勤先などで乗り合わせた他猫同士がほとんどだった。
そのため船内はおおむねシーンと静まっていた。
猫たちは自分たちのおかれた状況をうまく飲み込めず、絶望を声にするのすらおそれてシートにうなだれていた。
そんな日々が数日続いたある日、「マネカザルネコ号」の無線に通信がはいった。
それは生存環境の整った惑星に不時着した、別の船からの連絡だった。
船内のネコたちは一勢に無線に耳をそばだてて、身内や関係者に関する質問を矢継ぎ早に放った。
その中でもマルコは黙ったままだった。
恋人が不在だった場合の心の準備が、まだまだ整っていなかったのだ。
そうこうしているうちに、「マネカザルネコ号」は仲間のいる星への合流を決めた。
「すごいな。空気の組成も、土の成分も、かなり地球に近いってさ」
船のタラップに腰掛けていたマルコに、バスコが話しかけてきた。
「そうなんだ」気乗りしないようすでこたえると、マルコは手にしていた缶コーヒーに口をつけた。
「ずっと思ってたけど」バスコは血管の浮いた太い腕を組みつつ言った。「お前、どうしてそんなにテンション低いんだ? 宇宙に漂ってた時はまだしも、今はガッツ出して未来を創っていかなきゃならない時間だぞ?」
「……そうなんだけどさ」と、マルコはあたりを見回す。
数百台の宇宙船が並んだむきだしの岩肌を囲んで、見渡す限りの原っぱが広がっている。遠くには細いながら川も流れているようだ。
空は雲ひとつなく、地球より少し赤みの強い青空が蓋をしている。
そのため世界は猫々に明るい印象をあたえようとしてはいるが、決して楽観的な状況でないことは明白だ。
すこしはなれた別の宇宙船の前では、合流した猫々が小さな額をつきあわせてなにやらにゃーにゃー話し合っている。
「簡単にはいかないだろうが」バスコも目を細めて新しい世界を眺める。「こんだけの宇宙船と合流できたんだ。なにもしなけりゃおっ死ぬだけだけろうが、必死になりゃあ、まあ、なんとかなるさ」
「……てきとうなお刺身と」マルコはつぶやいた。
「ん?」
「……クラフトビールと、もずく酢。あと、化粧水とヘアオイル。それはいつ手にはいるんだろ」
「なにを夢みたいなこと言ってるんだ!」バスコはあきれて声をあらげた。「まずはなんとか生き抜くこと……しあわせはジトッと落ち込んでるヤツなんか迎えに来ちゃくれないぞ」
そう言うとバスコは踵を返し、猫々の話し合いに合流した。
マルコは話し合いのようすをぼおっとながめながら、一時間前に船内端末で照会した宇宙船の乗客リストを思い浮かべていた。
船が星に到着してからしばらくすると、シートの肘掛に取り付けられた端末に、乗客リスト更新の通知が届いた。
マルコは思うよりも早く端末の決定キーを叩いていた。
猫の名前が数百の船ごとに区分けされて、ズラッと並ぶ。
さっそく検索ボックスに恋人の名前を打ち込んだマルコは、震える手でもう一度決定キーを押した。
ヒット数は3件あったが、プロフィールの違う、同姓同名の別猫だった。
マルコは信じられず、名簿を頭からしらみつぶしに確認しようとしたが、やめた。
それは無駄なことであるし、彼女との再会の可能性から余白をとりのぞく行為のようでもあったからだ。
すくなくともこの星には、マルコの恋人はやってきていない。
マルコはわずか一間前の記憶に打ちのめされつつ、缶コーヒーに口をつけた。
とっくに空っぽなのは分かっていたのに
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