ゆうぐれ

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ゆうぐれ

 猫族が地球を脱出してから5年たった。  名前のなかった青紫の星は「にゃんにゃん」と呼ばれるようになっていた。  草がはえるばかりだった大地もいまやすっかり開発され、道が延び田畑が並び家や諸々の建築物がたたずんで、猫々の生活が流れていた。  猫々はこの5年間、にゃんにゃんを地球に近づけるために朝晩休まずに働きつづけた。  脱出用宇宙船には工事道具を積んだものや、植物の種を積んだものなど、それぞれに役割があって、いくつかの宇宙船が集まれば星を猫の住む環境に変えられるようになっていた。  猫たちはおのおの自分が役に立てると思う仕事についた。特に得意なことがない猫は、無心になって土や建築資材を運んだ。  マルコはといえば、猫缶の工場で検品スタンプをひたすら押し続けていた。  にゃんにゃんは水が豊富な星で、魚も住んでいた。それを加工した缶詰の最終チェックをマルコは請け負っていた。  検品は延々と続く単純作業だ。きまぐれが生き様の一般的な猫ならば耐えられず、どこかへ飛びすさってしまいそうなものだが、マルコは彼女がいない世界で視野を狭めるために没頭した。  マルコの5年間とはそういうものだった。 「おい、マルコじゃねーか」  缶詰工場からの帰り道、赤紫の夕日を背に負ってマルコが歩いていると、作業服姿のバスコが話しかけてきた。 「やあ、バスコ、久しぶりだね」 「なんだ、お前相変わらずさびしそうにほほえむなあ」 「さびしいんだよ」 「おいおい」とバスコはマルコの肩に手をまわした。「いつまでもいない彼女のこと考えてちゃしんどいだろう。そろそろ新しい恋を始めろよ」 「考えてたいんだ」マルコは少し迷惑そうにヒゲをひくつかせた。「なくなっちゃう気がして」 「なくなるって、なにが」 「わかんない。とにかくしあわせなものが」 「お前なあ」とバスコはマルコの肩から手をどかすと、ふところから一枚の写真をとりだした。    そこにはバスコの妻が布にくるまれた子猫を抱いて微笑んでいる様子が写っていた。 「君、お父さんになったんだ」 「ああ、可愛い女の子だ」 「おめでとう」 「しあわせなものってのはな、こういうもんだ」そう言うと、バスコはふふんと嬉しそうに写真をしまった。「お前もはやく家族を持った方がいいぞ。働く目標ができるし、にぎやかだし、生まれてきて良かったと実感するもんだ」 「そうかな」 「そうだよ。それに、地球から持ち込んだマタタビプルトニウムの数も限られてるからな。もうじきにゃんにゃんでも増産できるって話だけど……子供とおしゃべりしたいならひとまず今のうちだぞ」 「ああ、考えとくよ」 「それがいい。じゃあ、妻と子供が待ってるから」  バスコはしっぽをふって去っていった。  それからマルコは家族について考え始めた。  地球脱出で両親ともはぐれ、彼女にも会えなくなってしまった。この星にマルコの家族はひとりもいない。  消え入りそうな気分で毎日で生き抜いたとしても、いつか命の鼓動が途切れれば、自分が生きた証拠なんてひとつも残らないことになる。それはとってもさびしいことではないか?  胸に穴があいたような気がして、マルコは急に足を止めた。  楽になろうと必死にため息をつくとふと、薬局が目に入った。  最近開店したばかりのにゃんにゃん第一号の薬局だ。  この5年間で、にゃんにゃんは彼女のおつかいを全てこなせる星になった。  マルコは猫族の魂が持つ力に感動しつつ、やはりさびしかった。  こんなに星は環境を変えてきたのに、自分の生活はまだ、地球上でどろどろに溶けてしまったスーパーや薬局や、彼女と暮らしたあのアパートにしかない気がしていた。  マルコは生まれたからにはしあわせになりたかった。  気をとりなおして歩き始めたマルコだったが、すぐに足をとめて薬局をふりかえった。  中からあの日々の彼女が、しあわせのかたまりが出てきて自分を迎えにきてくれる気がしたのだ。  だがやはり、足繁く出入りする猫々の中に彼女のすがたはなかった。  マルコはもう一度歩き始めた。洞穴の中でおびえるように、光を願って一歩一歩家路をすすんだ。
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