永遠の愛に微笑む

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― ―――― ――――――――― 「……なんでいるんだよ」  あの子が死んでから何もやる気が起きずに、俺は廃人のような生活を送っていた。けれどあの子といるはずだったマンションの部屋で、ずっといるのは辛かった。だから仕事に向かった。新人とかそんなの関係なく、仕事に没頭した。早く覚えて、早く戦力になって、もっと仕事をもらえるようになりたかった。仕事に没頭している間だけはあの子を忘れられた。けれど、真っ暗な部屋に戻ってくるたび、あの子を思い出して喪失感が胸を貫く。それが耐え切れなくて、最近では職場に寝泊まりをしていた。けれど、そんな行動を先輩方は許しもせず、あの暗い部屋に戻されたのだ。  そんなとき、部屋のインターフォンが鳴った。出る気も起こらず無視していたが、何度も何度も鳴るので、鬱陶しくなってドアを開けたら、そこにいたのは彼女だった。  彼女は昔と変わらず表情のない顔でスーパーの袋を抱えて立っていた。 「ろくに食べてないんじゃないかと思ってね。そしたら案の定だ。部屋は散らかってるし、掃除もできていない」 「……ほっとけよ、勝手だろ」  彼女はそう言って俺の背に目を配らせた。もう帰るための部屋と化していたが、掃除も洗濯もろくにしていない。そんな状態が俺の背中越しに見えたのだろう、彼女は眉を潜ませていた。  彼女と会うのは別に久しぶりではない。高校を卒業してからも交流はあったし、何よりあの子が彼女に懐いていたから、よく三人で遊んだり飲みに行ったりしていた。それは結婚してからも一緒だった。  あの子の葬式の時、彼女は涙こそ流さなかったけれどあの子の死をとても悲しんでくれていた。それは長く一緒にいた俺が一番よくわかっていた。  そう、長年の付き合いだ。だから正直俺の状態を察して、退散してほしかった。 「わかった。勝手に掃除させてもらう」  しかし彼女は期待とは裏腹に、ずかずかと勝手に部屋に上がり込んできた。それに呆気にとられたのは一瞬。すぐに怒りと苛立ちが湧いた。 「ッうっぜぇな‼ いい加減にしろよ‼」  ズカズカと入った彼女を追いかけ腕を思いっきり掴んで、怒り任せに玄関の方に投げ飛ばした。  その際抱えていた袋から中身が床にぶちまけられた。小袋の米にレトルトのおかゆにお茶、ヨーグルト、桃、葡萄、その他にも調理器具や掃除のセットまであった。  それらを見て、俺は少し罪悪感に顔を歪ませた。胃腸に優しいものや様々な調理器具や掃除セット。それは明らかに俺を心配してくれたが故の荷物だった。  しかし、それでも、今は放って欲しかった。  優しくされたいんじゃない。心配をされたいんじゃない。  ただ、ただ、ただ、辛いから、誰にも触れないで欲しかっただけなんだ。  しかし投げ飛ばされた彼女は怯むでもなく、逃げるでもなく、俺を睨みつけた。 「いい加減にするのは、君の方だろ」  そう言って彼女は立ち上がり、俺に怒った。  その表情に俺は目を瞠った。  今までずっと一緒にいたが、彼女が怒った顔をするのは初めてだった。  いつも俺が見るのは無表情か、悲し気な笑顔ばかりで――…… 「ろくに食べもせず、眠りもせず、没頭するように仕事をする、自分をいい加減に扱うのも大概にしろ。私は君をそんな風にしたくてあの時あの選択をしたわけじゃない」 「……ッ!」  その言葉にかっとした。  今俺がどんな気持ちかもしらないで、上から目線で偉そうに――……! 「お前に何がわかるっていうんだよ‼ お前はいつもいつも余計なお節介ばかり、いい加減うざいんだよ‼ 何も失ったことなんてないくせに‼」 「……失ったものの数で人を計るな。君の気持ちなんか、本当の意味ではわからないよ」 「だったら……ッ」  食い下がる彼女に苛ついて、俺は思わず胸倉を掴もうと前に出た。しかし彼女は俺が近づいたと同時に俺の頭に手を回し自身の胸に当てた。それはまるで母親が小さい子どもを慰めるかのように。  突然のことに、俺は何も反応できなかった。   「私の鼓動をよく聞いて」  頭上から優しい声が聞こえてくる。  耳から優しい音が聞こえてくる。  ドクン、ドクンと規則正しい音が聞こえてくる。  熱くなっていた頭が、徐々に冷えていくのがわかる。  怒り任せになって荒くなっていた息がだんだんと整えられていく。  暖かくて、冷たくなった身体に血液が通る。  そう落ち着いてきたとき、彼女は俺の頭から少し手を離し、今度は首に手を回して、俺を抱きしめた。 「君は一人なんかじゃないよ。一人になんか、させてやんないよ」  今まで聞いたことのないくらいの、彼女の優しい声が、俺の耳に深く、心地よく届いてくる。 「落ち着いて、ゆっくり息を吐いて。辛いのも、苦しいのも、それは全部君が受けたものだ。他人の私にはわからない。だから、ゆっくり言葉を紡いで、吐き出して。それを私が受け入れる。君だけが抱え込まなくていいよ。その想いは、私が持っていくから」 「……ッ」  あまりにも優しい。暖かい、寄り添った言葉。  今まで慰めの言葉は百と受けた。けれど、この辛さを持って行ってくれると言ってくれたのは初めてだった。  本当に持っていけやしないとわかっている。けれど、共有してくれる人がいるだけで、思ってくれる気持ちがあるというだけで、どれだけ救われるだろうか。  涙がにじむ。視界が歪む。こんな姿見られたくないのに。  けれど彼女は俺を抱きしめながら、頭をゆっくりと撫でた。 「独りで、辛かったね」 「……くっそ……ッ」  涙が決壊した。耐え切れなくて、あまりにも、優しくて。  あの子が死んだ。こうして俺が弱っていても駆け寄ってきてくれるあの子はいない。  あの子は、もういないのだ。  改めてそう実感した。そして、受け入れられた。  崩れるようにその場に座り込んだ俺と一緒に、彼女もそのまま座り込んだ。彼女はその時も俺を離さなかった。もしかしたら泣き顔を見られたくないという俺の心情を悟ってくれたのかもしれない。 「今でも私は君を想ってるよ、きっとそれはあの子も一緒だと思うから。だから私のためにも、あの子のためにも、君を、大事にさせて」 「……お前ッ、まだそんなこと」  彼女がまだ俺なんかを想ってくれていることを知って、驚いた。まさかまだ、想っていてくれているなんて。  すると頭上からふふっと笑い声が聞こえてきた。 「私は、嘘はつかないよ」
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