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「くっそー、なんで俺がクビなんだ」
「まったく、どうしてアイツだけ昇進するんだよ」
「もー、あの子の香水強すぎるわよ。もっと離れてくれないかしら」
ある日突然、僕は周りの人間の心が聞こえるようになった。
しかも、その人の怒りの声だけが聞こえるようになった。
きっと怒っている人達は、心の声を口にしてはいないのだろう。
でも、なぜか僕には彼らの怒りの声だけが聞こえてくる。
不思議な事に、怒り以外の心の声は全然聞こえない。
だから、普段の生活には支障は無かった。
ただし、人通りの多い場所に行くと必ず数人は怒っている人がいるから、けっこう気を使う。
なぜ? っていうと。僕には怒っている人が本当に口に出しているのか、心の声が聞こえているのか、全然判断出来ないからなんだ。
やっかいな事に、人によっては本当に周りの人達に声を出して怒りをぶつけてる人がいるからね。
最初はビックリしたさ。まるで自分に対して怒っているのかと思って、とにかく怒っている人に謝ったんだ。
すると、最初は驚いたようにこちらを見るんだ。それはそうだよね、自分の怒りをつい口走ってしまったのかと思うからね。
それから周りを見渡す。
そして、周りの人の反応を見て、自分が声を出して怒ったわけじゃなさそうだと気がつく。
すると、目の前で必死に謝っている人間が薄君悪く感じる。だって誰にも言ってない自分だけの怒りに反応してるんだもの。
怒ってた人は、何か良からぬものを見た、というような顔をして、自分の怒りも忘れて、足早に僕の立っている場所から離れていくんだ。
* * *
そんなある日、僕にとって最悪な出来事が発生した。満員電車で通学途中に事故で電車が止まっちゃったんだ。
最初、僕のそばの乗客たちは「えー、困っちゃう」とか小さな声でため息をついてる人ばかりだったんだけどね。
でも、電車が長時間動かないでいるとね。わかるでしょ? 乗客達は段々とイライラして来て怒り出すんだ。
みんな偉いから一言も口には出していないんだよ。それは良い事さ。
でもね、僕にはソレが全部聞こえてるんだ。
僕の隣で、落ち着き払ってつり革に捕まっている、清楚な服装で、大人しそうな美人のお姉さんの、とても文章に出来ないような怒りの声とか。
僕の目の前に座って文庫本を広げている、いかにも生徒会長やってる優等生を絵に描いたようなメガネの女子高生の、彼氏が聞いたら心が折れてしまいそうな怒りの声とか。
ああ、そんな怒りの声が、どんなに耳を塞いでも僕の頭の中に飛び込んでくる。
電車はいつまでたっても動かない。怒りの声は、どんどん数を増して、言葉の酷さもエスカレートしていく。膨大で醜い怒りの声は、毒素となって僕の頭を汚していく。やばい、僕の頭は毒で膨れ上がって爆発しそうだ。
* * *
ううううう!
「うるさぁあああああいいいいい!」
遂に、僕は我慢できずに叫んでしまった。
このままでは、頭が爆発して死んじゃうと思ったからだ。
「!」
僕の周りの人達は一体何が起こったのか? よくわからない、といった顔をして僕を見つめて来る。
僕は、周りの乗客から一斉に見つめられて、恥ずかしくて顔から火が出るくらい赤くなる。
でも、おかげで周りの人たちの怒りの声は収まったようだった。僕の頭には毒の詰まった怒りの声が届かなくなった。
電車の中では、僕を見ながらヒソヒソした話し声が聞こえるけど、そんな事気にしない。
変態だとか変人だとか、そんな、怒りの声に比べれば可愛い会話は、僕の耳には届いても頭の中までは入って来ないのさ。
それに思いっきり大きな声を出したので、頭の中から怒りの毒素が抜けたようだ。僕も逆にスッキリしちゃって、もうどうでも良い気分だった。
* * *
不思議な事に、あの事件以来、僕には他人の怒りの声が聞こえなくなったようだった。
でもそのおかげで、困った事が一つ出来てしまった。
怒りの声が聞こえないので、自分の行為で相手を怒らせてるかどうか? がわからなくなってしまったんだ。
今までは何も考えずに相手に意見しても、相手の怒りの声が聞こえて来たら直ぐに会話の内容を修正できた。
ところが今は、相手の怒りの声が聞こえない。だから相手の顔色をうかがいながら意見するか、ハッキリとした意見を言えなくなった自分がいるんだ。
そしてもう一つ、大事な事に気がついた。
それは、僕と同じ能力を持った人が身近な場所にいるかもしれない、ということさ。以前の僕のように、口にしないけど心の中で叫んでいる怒りの声が聞こえてしまう人。
そんな人の迷惑にならないように、僕は怒りが大きくなる前に口に出して、怒りを残さないようにしたんだ。
怒っている時は、たとえ声に出さなくても顔に出ちゃうし、ストレスが溜まっていいいことないしね。それなら素直に声に出してしまえば良いんだよ。
でも、そんな生活を始めるとストレスが無くなるだけじゃなくて、不思議なことに良いことばかり続くようになってしまった。だから、結果として怒る機会も減るんだよね。
え、ソレは何故かって?
……簡単なことさ――
怒りを吐き出してしまった口には、笑顔しか残らないでしょ?
そしたらさ、ほら、言うじゃない。
笑う門には福来る……てさ。
(了)
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