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激しい後悔を抱えて、俺は生きた。生きるしかなかった。けんど、俺の人生で一度だけ不思議な体験をした。
ある日、店先を掃いとったんや。そしたらちょっと向こうに、小さな娘っ子が立っとった。それが姉様の小さいころにそっくりの顔をしとるんや。あんまりびっくりして、箒を落としてまったわ。娘っ子はたった一言言うた。
「元気やでね」
それだけ言うと、パッと走ってってまった。
俺は不思議でね。あれはまさか……いや、でも有り得ん。けんど、まさか。この出来事は誰にも言えずに俺の中だけに仕舞っといた。噂では、行方知れずになっとった農家の三男からも便りが届いたっちゅう。三男もどっかで生きとったんやな。
───俺の山での不思議な話っちゅうのはこれだけや。
ここで、ボイスレコーダーを止めた。
録音した音声をパソコンに入力する。眼が疲れた。これは私の曾祖父が、そのまた曾祖父に聞かされた話として私に話してくれた内容だ。民俗学で発表する題材として何か特別な儀式や体験はないかと尋ねたところ、この話をしてくれた。おおよそ文字を起こし終わり、首回りを解す。
土着信仰のような話が聴けるとは思わなかった。しかもそれは自分の先祖に纏わる話だった。首回りを解しつつ、また最初から再生する。
パソコンの傍らに置いたコーヒーを飲みながら、音と文字を見比べて行く。間違いはないようだ。
───姉様は、どうなったのだろう。
想い人が居た姉様。行方知れずになった三男。人身御供にされた姉様。姉様にそっくりな女の子。パズルのピースは当て嵌る。
姉様は、本当に狂っていたのだろうか。医療の発達していない時代、精神的な病は見破りにくいのでは? いきなり人は狂うのだろうか。
想い合った男女。結ばれないとなったら、駆け落ちでも何でもしてやろうと思っても不思議はない。狂った振りをして見合いをぶち壊して、好きな男と添い遂げる───今現在でもなくはない話だ。
もしかして……山の話も嘘だとしたら?
確かめる術がないなら、何とでも出来るのでは? 荒れ始めたと噂を流し、誰か花嫁を選ばせる。選ばれるのは弱い娘だ。里中に狂っていることを知られていたのなら、姉様が選ばれる確率が高い。そして見合いの席での愚行。相手方が怒り狂ったのであれば、姉様の状態は恐ろしい勢いで詳細全てが里中に知れ渡っただろう。
そして首尾よく嫁入りをして───逃げたとしたら?
農家の三男が、姉様を迎えに来ていたとしたら?
血糊は山の動物の血を着けておけば、きっとそれなりのものになるだろう。獣擬きが出る、と怯えている里人たちはそう何度も確かめに来たりはしない。
身分違いの恋など、成就出来なかった時代だ。そうでもしないと結ばれないと考えて、実行したとしたら───……
考えても、どうしようもないことだけど。まさか自分の先祖がそんな悲劇に巻き込まれていたなんて思いたくなくて。悲恋はちゃんと結ばれたと思いたくて、そう信じたいと思っているだけかもしれない。
けれど、会いに来た小さな女の子。その子の存在が、この考えを肯定してくれる気がして───
熱を孕んだ目蓋を、そっと閉じた。
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