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メルカトル
流麗な筆致でサインを書き記す手元を、レダは息を詰めて見守っていた。
夕日の差し込む、王宮内にある図書館の修繕室にて。
本来、蔵書の持ち出しは許可されておらず、貸し出しという制度はない。
それにも関わらず、司書らしきその青年はレダに本の持ち出しを許可した。
これは「確かに自分が認めた」という意味のサイン。
「三日以内にお越しください。私は一日中図書館にいるわけではありませんが、夕刻にはこの修繕室にいます。本を返す際には、自分で書架に戻さず、必ず私に声をかけて。もし万が一、王宮内外で本を所持しているのを誰かに咎められ、窃盗の疑いでもかけられようものなら、そのサインを提示するように。私に話がくればすぐに疑いを晴らすことができます」
修繕室は、書架の影にひっそりとある扉の奥。
作業用の机や、道具の収まった棚が並んでいるが、今の時間はすでに他に誰もいない。青年は机に向かい、インクの乾きを確認してから、レダにその紙片を差し出してきた。
本を胸に抱きかかえ、立ったまま待っていたレダは、ほっと息を吐きだして受け取る。
改まった口調で告げた。
「ありがとうございます。これで屋敷でこの本をじっくり読めます。魔導書に書かれた呪いの内容を、最初から最後まで全部間違えずに覚える自信はなかったので、助かります」
「そうだね。こと呪いに関しては、手順を間違えたりすると大変だ。効力を発揮しないならともかく、変な形で発動した場合、被害の予想がつかない。本を手元において、正確に呪法に挑むように」
……。
青年は、艷やかな黒髪を肩に流し、縁のない眼鏡をかけた理知的な風貌をしている。地味な色合いながら仕立ての良いジャケットに、クラバットをしており、宮廷勤めの文官らしい威厳のある装いも様になっていた。年の頃は二十代前半程度。
レダが無言になって見下ろすと、眼鏡の奥の純黒の瞳に面白そうな輝きが宿る。口の端が微かに持ち上がっていた。笑っている。少しだけ人が悪そうに。
「冗談を言う方には見えなかったのに」
「大人をからかおうとしても無駄だ。どうも、図書館の奥にいるような引きこもりは、四角四面で面白みがない男に違いないとみなしている人間が一定数いるようだが。人生でどれだけ本を読んでいると思う。諧謔を弄されても、滅多なことでは動揺などしないよ」
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