おむかえのおじさん

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 お迎えの時間、整列している中、正人くんは横にいる男の子と話しながら笑っていた。  先生がさようならを言い、それに子どもたちが返す。一気に賑やかになる園庭。  正人くんは横にいた子とじゃんけんをしていた。二、三分すると、彼らは手を振って別れ、正人くんは私の所へ戻ってきた。  そして、その場に固まった。    彼は一点を見つめ、顔を曇らせていた。不思議に思い、そちらを見てみる。  特に何か変わったことがあるようにも思えない。幼稚園らしい楽しさで溢れた光景が広がっているだけだ。 「こわい」  かすれた声だった。  正人くんは私を見上げた。   「何が怖いの?」  彼はもじもじしながら小さな声で、おむかえのおじさん、と口にした。  私は先ほど彼が見ていた方向にそれを探した。  そこには男性の保護者がいた。迎えに来ている保護者はほとんどが女性なので、初日から目にとまっていた人だ。  改めて見ると、血が通っていないように肌が白く、目に温かみのない人だった。今日お迎えに来ている人で、男性はその人ひとりなので、多分正人くんはその男性を怖がっているのだろう。  確かに幼稚園のお迎えの時間は真っ昼間であり、男性が迎えにくることは目立つ。しかし、今は男女平等がこれだけ取上げられ、女性が社会へ進出できるようになっていく時代だ。その証として、子育てや家事をする父親がいることも普通のことになりつつあるのではないか。  そう思うと、その男性の顔色の悪さも薄らいだ気がした。 「正人くん、大丈夫。きっと優しいおじさんだよ」  彼はまだ不安げな顔をしている。 「お友達と遊んできてもいいよ」  彼は頷くと友だちのところへ走って行き、おしゃべりを始めた。  私も彼についていき、友だちのお母さんに会釈した。  そこにもう二組親子が集まってきて、四人は帰り道の公園で遊ぶことになった。  こどもたちは前をぴょんぴょん跳ねながら歩き、私は文香のママ友であろう母親たちと話をした。  子どもたちは騒いでいたが、ちらと前を見ると、正人くんは友だちとじゃれ合いながらも、きょろきょろとどこかをうかがっていた。  振り返ると、先ほどの男性は園庭に立ったまま子どもをじっとみつめていた。棒立ちのその姿は幼稚園の風景に不調和に思えて、何だか不気味だった。  母親たちは雑談で盛り上がっていたが、私はその盛り上がりにうまく入れなかった。文香の代替で来ているのだから、話が合わないのは仕方のないことだと思う。でも、それとこれとは違う気がする。  *** 「とりあえず正人くんも楽しそうだし良かったじゃないか」 「まあ、そうなんだけど……」  則夫は大きくあくびをして、本にしおりを挟んだ。 「子どもの時は大人が怖いものなんだよ。僕だってちっちゃい頃は近所の無口なおじさんが怖かったよ。でも、年を重ねるにつれて、子どものことを見守ってくれている優しいおじさんだってわかった」 「そういうものなのかなあ」 「そんなもんさ」  ドアが開き、寝ていたはずの正人くんが寝室から出てきた。その顔にはありありと不安が浮かんでいる。  おむかえのおじさんが怖い。  彼の口から出た言葉は昨日と同じだった。 「どんなおじさんなの?」  則夫が尋ねる。  正人くんは黙って下を向く。思い出すのが嫌なのかもしれない。  無理に答えなくて良いよ、と言おうとしたら彼は顔を上げた。 「顔が白くて、こっちをみてるおじさんだよ」  則夫が私の方を見る。  たしかにあの保護者の男性は顔が白かった。それに子どもをじっと見ているような様子もあった。しかし、正人くんのほうを見ていたようには思えなかった。見た感じ、自分の子どもを見守っている風だったが。 「最近、いつも来てるの」  最近来るようになった、ということは今までは来ていなかったのだろうか、母親の代わりに父親が来るようになるということは、何か事情があるのだろう。 「正人くん、おじさんはお友達が怪我をしたりしないように、見守ってくれてるんだよ。だから、顔が怖いかもしれないけど、中身はきっと優しい人だと思う。だから心配しなくて大丈夫」 「そうなんだ……」  則夫の話に、正人くんはまだ信じられないといった顔をしていた。  昨日と同じく、私は正人くんの横で手を握って寝転がった。  正人くんはしばらく暗闇の方を見たり、私の顔を見たりしていたが、次第に落ち着きを取り戻し、眠りについた。  私がリビングに戻ると、則夫は肘をテーブルについて顔の前で手を組み、考え事をしていた。  椅子に座ると、彼は顔を上げた。 「本当にその人のことなのかな。その保護者の男性の人」 「正人くんが言ってた特徴と同じ感じだったからその人だと思う」 「そうか」  彼は本を開きかけて、再び閉じた。 「子どもにしか見えないものもあるからな」 「それ、どういうこと……?」 「例えば母親が言ってたんだけど、僕も小さい頃、ある場所に行くと何もないところを指して、人がいるっていつも言ってたらしいんだ」  壁にかかった時計の音が乾いて聞こえた。 「……何それ。怖い話?」 「いや、怖がっていた記憶はないんだ。母親も小さい僕は楽しそうにそれを指さしてたって言ってたしな」 「ふうん。じゃあ、正人くんも何か私たちに見えないものが見えてるのかもしれないね」  則夫は正人くんが寝ている部屋の方を向いた。 「その可能性もあると思う」  でも、正人くんは怖がっている。それも心の底からおびえているような怖がり方だ。 「子どものほうが敏感で、実は恐ろしい本性が見えていたりするのかもしれないけど」  則夫の言葉にあの男性が園庭に立っている姿を思い出し、身震いした。  決めつけはよくない、と則夫に言うと、それもそうだな、と彼は本を開いた。
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