おむかえのおじさん

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 翌日、私は文香の病院にお見舞いに行った。  毎日電話で正人くんのことを話していたのだが、私は彼がおじさんを怖がっていることについて、まだ話していなかった。入院中の文香の心配事を増やすのは良くないと思ったし、それ以外にも色々と話すことがあったから話題に出していなかったのだ。  しかし、どうしても気になっていたので、この機会に彼女に聞いてみた。  すると、彼女からは意外な答えが返ってきた。 「多分それ内間輝一(うちまきいち)くんのお父さんだと思う。あの家はお母さんが社長の娘で、バリバリ働いてるからお父さんがいつもお迎えに来てるんだよね」 「え、そうなの?」  文香は置いてある花瓶を見つめた。 「うーん……正人、今まで内間さんのこと怖いって言ってるの聞いたことなかったんだけどな。まあ、あまり良い話は聞かない人だけど」 「そうなの?」 「何か子どもについて関心が薄いというか、お迎えだけはくるんだけど、周囲と話したくなさそうにしてるし、よく輝一くんがひとり、公園の端で遊んでることがあって、心配されてるんだよね」 「そういう家庭もあるんだ……。輝一くんのお父さんって最近来るようになったんじゃないの?」 「いや、ずっと前からお父さんがお迎えに来てるよ」  私は則夫の言葉を思い出して、寒気を感じた。  何もないところに人が見える……。  則夫の場合は怖がっていなかったらしいが、正人くんは怖がっている。この違いが示すものはどういことだろう。 「ごめん、なんか心配かけるような話しちゃって。また、何かわかったら連絡する」  話さない方が良かったかもしれないと後悔しつつ、私は病院を後にした。  ***  その日のお迎えの時間、私はさりげなく内間さんを観察していた。  正人くんは友だちとブランコで遊んでいる。  内間さんは昨日と同じく、魂が抜けたように園庭にしばらく突っ立っていた。  輝一くんはひとり砂場で山を作っていたが、十分ほどすると父親の元へ駆け寄ってゆき、父親が何も言わずに歩き出すと、その後ろを無言でついていくのだった。  あれこれと考え事をしている私の裾を、正人くんが引っ張り、現実に引き戻された。 「おむかえのおじさん、またいる」  今日もか、と思った。そして内間さんが帰った今、その言葉を聞いて、鳥肌が立つのを感じた。 「おじさんって、内間さんのことじゃないの?」 「内間さんて?」 「輝一くんのお父さん」 「輝一くんのお父さんじゃないよ。おむかえのおじさんだよ」  嫌な汗が垂れてくる。 「おむかえのおじさんはどこにいるの?」 「ほらあそこ」  正人くんは幼稚園の門の方を指さしていた。そこには誰の姿も見当たらない。 「えーと……」 「ほら、あのおむかえのおうちから見てる」  おむかえのおうち……? もしかして、お向かいのこと……?  視線を門の外に立ち並ぶ家へ滑らせる。一つずつ、窓を眺める。  そして、体が動かなくなった。  幼稚園を出て右前にあるボロアパート。その二階の割れた窓の隣の部屋。そこのカーテンの裏から、こちらを覗いている青白い男の顔があった。  部屋の闇に溶け込んでいため、よく目を凝らしてみないと見えないのだが、そのぎょろっとした目は明らかにこちらを見ていた。  にやついた顔の男は園庭を覗いていた。  ふと、その視線がこちらへ向けられた。  ひゅっと自分の喉から変な息が出る。  すぐに男の顔は闇に沈んで消えた。  心臓が掴まれたような心地だった。  手が震える。 「あ、あの家から、怪しい男性がこちらを覗いています」  慌てて幼稚園の先生に伝えると、彼女は困惑の色を見せた。 「はい……えーと」 「あの、アパートの二階の窓からこちらを見ている男が……」  彼女は目を細めてアパートの窓を見た。 「子どもたちが騒いでいるから気になったのかもしれないですね。でも、幼稚園は前からありますし、クレームも最近は来ていないので、気にしなくても大丈夫だと思いますよ」  そうだ。私は正人くんから怖いという言葉を聞いていたため、勝手に怪しい男だと決めつけてしまった。しかし、あの人はただそこに住んでいて、子どもたちの様子を眺めているだけなのかもしれないのだ。 「そうですね。すみません」  正人くんと友だちは近場の公園で遊びたいといい、私は他の母親たちと公園へ向かった。  母親たちは今日も会話に花を咲かせていたが、カーテン裏に浮かぶあの男の異様な目つきが脳裏に焼き付いて離れない私の耳に、その会話は入らなかった。
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