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正人くんの手はおにぎりみたいで、握るとぎゅっと握り返してくれた。
友人の文香が体調を崩したのは一昨日、彼女とは同じ高校でいつも一緒にいる仲だった。高校を卒業し、文香は都会の大学へと進学した。一方で私は田舎町の大学へと進学した。それぞれ別の道に進んだが、交流は絶えず、月に一度は連絡を交わしていた。
正人くんが生まれた後、私は文香の家を訪れ、生後数ヶ月の正人くんを抱きかかえた記憶がある。彼と会うのはそれ以来で、今では短い足でばたばた走り回ったり、友だちと楽しそうに喋ったりしていることが驚きだった。
私がこちらへ引っ越してきたのは一ヶ月ほど前。夫の転勤が決まり、地元を離れることになった。驚くべきことに引っ越し先は文香の住む町だった。その話を聞いたとき、彼女との縁の強さを感じたものだ。
文香は昔から体が強い方ではなかったが、今回はだいぶ弱っており、一週間以上入院することになった。タイミング悪く、文香の入院二日後から彼女の夫も出張で約一週間の不在が決まっていた。そこで、近くに住んでいる私が正人くんの両親が帰ってくるまでの間、彼を預かることになった。
幼稚園につくと、正人くんは人形用みたいな小さな靴を脱いで、同じサイズの上履きに履き替えた。
先生が出てきて、彼はそちらへ駆け寄った。
「正人くん、また後でね」
声をかけると、彼は先生の背中にくっつき、はにかんでいた。
先生が「ばいばい」というと、彼もその手をふりふり振った。
幼稚園は綺麗だった。数年前に改修工事がなされ、それで見違えたらしい。しかし、周りの街並みは古くて、さびれた印象を与えた。
幼稚園前の通りを挟んで向こう側に並ぶ家々は、壁にひびがはいっていたり塗装が剥がれ落ちたりしていて、この町に流れる時間を感じさせる。特に幼稚園を出て右前にあるボロアパートは、二階窓ガラスの一箇所が割れており、住んでいる人がいると思えないほどに劣化していた。
こういう街並みは、いつどうやって生まれ変わるのだろう。そしてまた、自分が引っ越した家もいつかはこのように朽ちていくのだろうか。
背後でこどもたちの高い声が楽しそうに響いている。
***
子どもがいない私の家に正人くんがきて、生活が新しく感じられた。相変わらず正人くんは照れ気味だが、夕食前には家から持ってきたおもちゃの車を家の中で走り回らせており、我が家は賑やかになった。
則夫は眠った正人くんを起こさないように、音に気をつけながらコーヒーカップを置いた。
「それにしても子どもはパワーに満ちているな」
彼は笑いながらひそひそ声で喋った。
「私たちにも子どもができたら、毎日がこんな感じになるのかもね」
則夫は頷きながらコーヒーを口に持っていく。
私は明日の朝作るお弁当の仕込みをして、早めに寝ることにした。
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