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一般的な、披露宴。よくいる、酔って地雷を踏む親戚のおじさん。その二つが揃うなんてことは珍しくもない。長きにわたる人類の歴史の中でも、ごくありふれた状況だ。
「結良(ゆら)ちゃん、妹の佐奈(さな)ちゃんに先越されちゃったね。結良ちゃんの王子様は、いつ迎えに来てくれるんだろうねぇ?」
「ちょっと!お父さん!結良ちゃん、ごめんなさいね」
親戚夫婦二人の定番のやりとりに、藤井(ふじい)結良は社会人生活で鍛え上げた作り笑いで返した。こめかみがピクピク痙攣するのを、しっかりと感じとりながら。
三十歳を過ぎれば、今更親戚が集まる席で嫁き遅れだのなんだのと言われることは慣れっこだ。しかし、「迎え」が来る来ないの話をされると別で、結良の持つ数々の苦い思い出が一瞬にしてほじくり返され、ゾンビの如く甦ってきてしまう。そう、結良の「迎えが来ない」歴史は長く、根が深い。
結良の記憶にある限り、その始まりは今から四半世紀前に遡る。当時、結良は人並みにいたいけな幼稚園児であった。
ある日の、結良の母があと数時間で幼稚園に娘を迎えに行かなければならないタイミングだった。母は、結良の妹の体温が異常に高くなっていることに気が付いた。母は結良の迎えを近所に住む結良の祖母に頼み、自分は妹を病院に連れて行った。
その数十分後、祖母の元に一本の電話が入った。結良の兄が通う小学校からで、昼休みの時間に校内で遊んでいた兄が骨折をしたという連絡だった。驚いた祖母は、慌てて現金と兄の保険証を持って電話で知らされた病院へと向かい……結良を迎えに行く約束をきれいに忘れた。幼稚園からの電話がようやく母の携帯電話に通じたのは、日が暮れすっかり暗くなった時間帯だった。
妹は、急な発熱。兄は、腕の骨折。兄妹二人は緊急事態に陥り、そんな中では、元気な状態で幼稚園に預けられていた結良の存在が母と祖母の意識から離れてしまったとしても、無理のないことだった。しかし、それは大人に成長した後だからこそ納得できる理屈で、保護者達から忘れ去られた事実は幼い結良にそれなりの心の傷を与えた。
とはいえ、そんな出来事は他に兄弟を持つ者にとっては、よくある話だ。だが、「お迎えがこない」事例は結良のその後の人生にもしつこく付き纏った。
小学生の夏休み、結良は父方の実家に向かったが、駅まで車で迎えに来てくれる約束だった祖父は前の晩にあおった酒が原因で寝過ごし、待ち合わせの時間に大幅に遅刻した。
高校生の時には、部活の合宿所に向かうバスがトイレに行っていた結良を一人残し、出発してしまった。
成人式の朝、頼んでいたタクシーはダブルブッキングだかなにかで、晴れ着姿の結良の前に現れなかった。
社会人一年目の秋休暇、温泉地を訪れた結良はホテルの送迎車がやって来るのを待ったが、入れた筈の宿泊予約は従業員の連絡ミスにより入っていなかった。
そして極めつけが、今から四年前の出来事だ。その時の同棲していた彼氏、大学時代から付き合っていた末永藤馬(まつえとうま)の浮気を知った結良は、逆上し、最低限の荷物だけを持って実家に帰った。
藤馬がその足で迎えに来るまで戻ってやるものかと、結良は藤馬の連絡を無視し続けた。結果、藤馬は結良を迎えに来ないまま、二人の部屋を出て行った。
一人分の荷物だけが残る部屋に戻って以後、結良は何人かの男性と食事をしデートをしたが、その誰とも付き合うまでには至らなかった。かなり悪い別れ方をしたというのに、忘れられていない自覚はあった。
そうして、この日の結婚式の二次会にも、結良はこっそり彼の姿を探してしまっていた。
妹の夫は大学時代に藤馬と先輩後輩の関係で、今日の主役である新郎新婦を引き合わせたのも藤馬と結良の二人だった。それでも、新婦の姉と自分の浮気が原因で別れた男だ。二次会の場に、結良の前に、姿を現す訳がなかった。むしろ、もし彼がこの場に現われたとしたら、それこそデリカシーが皆無な奴だと、今度こそ結良は彼を完全に軽蔑し未練も綺麗さっぱり捨てることができただろう。
それでも結良は賑やかな会場の中に、ただ一人をさがしてしまう。四年も経った。彼の後ろ姿の様子も変わってしまっただろうかと、思いながら。
披露宴から三か月後、結良は妹に呼ばれ新婚宅に遊びに行った。新婚旅行の写真の整理を手伝ってやっているうちに、夜になった。結良が帰ろうとすると、夕食をご馳走するからと妹が引き留めてきた。姉妹で食事を済ませた後、いつもより仕事が早く終わったという妹の夫が帰って来た。結良は彼と挨拶をしている間に帰宅するきっかけを逃してしまった。
妹が彼女の夫の食事を暖め直している間、趣味等の共通点がない義姉と義弟が向かい合うダイニングルームには、気拙い沈黙が流れた。結良は手近で話題を探そうと室内を見回した。薄暗いリビングの壁際に置かれた、灯りの点いていないフロアライトを見つけた。その照明に結良は見覚えがあった。いつだったかにインテリアショップで見かけた物と、おそらく同じ製品だった。
「あのライト、前に私がこの部屋来た時はなかったよね。この部屋に合ってていいね。ああゆうの、インダストリアルデザイン?って言うんだっけ?」
義理の弟は後ろを振り返り結良に半分背中をむけて、「結婚祝いに貰ったんです」と言った。
「そうなんだ。私もああいうの家にあってもいいかなって思ってた時期あったから、目がいっちゃった」
義弟は愛想笑いを浮かべながら頷いた。礼儀としての世間話は済ませた。もういいだろうと、結良は椅子から立ち上がりかけた。
「わたし、そろそろ…」
「あの、結良さん」
いつもぼそぼそと静かに喋る義弟が、珍しくはっきりとした声を出した。
「あの照明贈ってくれたのって、藤馬さんなんです」
結良は義弟をただ、じっと見つめた。
そうだ。結良があの照明を見かけたのは、藤馬と出掛けた先でだった。その場で、ああいった趣味の製品を「インダストリアルデザイン」と呼ぶのだと結良に教えたのも、藤馬だった。
「この間、宅配で届けてもらって。その時、お礼の電話で藤馬さんと話しました」
もしかして…もしかしなくても、この話題のために今日の自分はこの部屋によばれたのだと、結良はようやく気が付いた。そうなるともう、妹夫婦にどんな顔をしていいのかわからなかった。
「そう」
「結良さんの話も出ました」
「あ、そうなんだ。そんな大昔の話、こっちはほとんど忘れちゃったけど」
冗談めかして言ったが、義弟の方は真面目腐った顔を崩さなかった。
「藤馬さんの方は、まだ忘れてないみたいでした」
「……遅くなってきたし、今日はそろそろ帰るね。ご飯、ご馳走様。またね」
作り笑顔がいよいよ崩れてしまう前に、不自然に見られてもいいと、結良は慌ただしく妹夫婦の家を後にした。
駅に向かう途中で、結良を追ってくる人がいた。そのことに気が付いてからしばらくして、結良は笑い出してしまった。追いつき怪訝な顔を向けた相手に、結良は言い訳をした。
「ごめん。私が男の人に追いかけられるなんて、嘗てないことだなと思って」
義弟は義姉の発言の意味を取り違えた。
「今までなくて、何よりじゃないですか。怖がらせちゃいました?」
「うーん…そういうんじゃないよ」
人が好く優しい彼は、結良にメモ紙一枚を差し出した。
「これ、渡すように頼まれてたんで」
結良はぼんやりとした心地で、住所と電話番号が書かれたメモを受け取ってしまっていた。筆跡を見れば明らかで、「誰から?」と聞く必要はなかった。
「わざわざ追ってこなくても、携帯の方に送ってくれてよかったのに」
「約束しちゃったんで。遅すぎるだろうけど、やり直したいって言ってました」
「いや、……ないよ。四年も前だもん」
結良は義弟にメモを返そうとしたが、受け取ってもらえなかった。
「いらないなら、捨てて下さい」
メモを持て余した結良は義弟に見せつけるようにくしゃりと、それを手で握り潰した。
「なんなんだろうね。四年前、迎えに来てくれなかったくせに、今更」
そんなことは、この今そばにいる男性には関係ない。わかってはいたが、結良は愚痴らずにはいられなかった。
「俺には、許してもらえてないのわかってて、それじゃ自分から迎えには行けないって、言ってました」
「何それ」
「多分、藤馬さんも結良さんと同じです」
「迎えに来てほしかったんだと思います」
結良は改札前で五分うろつき、その後、改札横のカフェで三十分かけてブラックコーヒー一杯を飲んだ。そうして結局、改札を通ると自宅があるのとは別方面のホームに向かった。
思えばこれまで、誰も迎えに来てくれなくても、結良は自力でどうにかしてきた。
部活の合宿所には、地元の人に教えてもらった路線バスを乗り継ぎ自力で到着した。
成人式の会場には、美容院で一緒になった同じく新成人に頼んで、彼女の両親の運転する車に一緒に乗せてもらった。
温泉宿には、手持ちの証拠で必死にむこう側のミスを訴え、少々強引にではあったが迎えの車を出させた。
そして幼稚園の、あの迎えが来なかった日の、その後。結良は彼女に迎えが来なかった原因の一つである兄の、腕を骨折してしまい重い荷物を持てなくなってしまった彼の、荷物持ちを助ける為に駅にバス停に学校に、迎えに行ってやったことさえあった。
自分には、迎えは来ない。むしろ、自分は迎えを待つのではなく、迎えに行ってやるのが天命なのだろう。
「これで行った家に女の影でもあったら、またぶん殴ってやる」
ホームで電車を待ちながら、結良は剣呑なことを呟いた。
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