一時停止

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■■■  大津市に入ったあたりから、雨は弱くなりはじめた。ようやく雲が流れただろうか。湖西線は日中なら、平日でも休日でもまったく混雑しない。特急が停まる駅はほとんどないかわりに、近江舞子より北は、新快速でも各駅に停車していく。東とちがって、湖西地域はそれだけ住んでいる人間が少ない。比良山系の稜線と湖の波打ち際、その挟まれた裾野の地形に、道路と線路と田畑と町が細長くのびている。  窓を流れる雨粒を目で追っていた。振り向くと、右手の空は晴れ間を見せはじめている。  たまに徹夜をしたときの、もうじき朝を迎えるような気分に似ていた。  ◆  十四時過ぎに出る姫路ゆき新快速に乗り込み、無意識のうちに進行方向の左側に座った。待避線があって、この駅に特急は止まらないけれど、同情したみたいに新快速が停まってくれるから遠出には支障なかった。三十分で大津の市街地に着くし、一時間もあれば京都市の方面へ抜けられる。それでも、来る電車は普通と合わせて一時間に二本だ。  電車が動いてから、はっとして車内を見渡した。この車両に自分のほか客は三人しかいなかった。きれいに禿げあがった頭を掻きながら新聞をめくる小太りのおじさん、両手をカメラに添えて膝におく長身の男、座っているあいだも傘を杖がわりにして体勢を保つ老人。男ばかりなことも余計に安心させる要因だった。制服は着替えてリュックサックのなかに入れてあるし、怪しまれることはない。安堵して窓枠に肘を乗せた。  高架線から見下ろす田んぼは、ひどく濁った泥の色をしていた。  昨日、兄と喧嘩をした。きっかけは些細なことだったと思う。割り入ってきた母とも言い争いになった。母との口論はめずらしくないが、兄と険悪になるのは稀だ。ひどいことを言ったかもしれない。許して、くれないかもしれない。  八月だから、学校は夏休みだった。夏休みだけど、三年生は今週から補習があった。土曜なのに朝から教室に集められ、高校受験に必要な五教科の基礎の復習をする。きっかり昼の十三時に解放され、教卓に呼ばれて進路希望表を早く出せという先生の小言を聞き流したあと、校門を出て途方にくれた。  帰りたくなかった。意地を張っているというより、単純に怖かった。突然いままでの居場所を失ったような感覚、あるいは、これから失うかもしれない恐怖があった。自分だけ教卓に呼びつけられていたせいで、声をかける友人ももういなくなっていた。傘をさしたまま数分間、門のまえで立ち尽くし、やがて家と反対方面に足が向いた。行くあてはなかった。  磁石の斥力みたいだ、と妙な自覚だけがそこにあった。  なにを考えることもなく、気がついたら駅が目のまえにあった。白地に黒文字で書かれた駅名の看板を見上げる。いま思えば、このときすでに決め込んでいたのかもしれない。行き先欄に「京都」と書かれた電光掲示を見て、その思考はいよいよ決定的になった。  家出をしよう、と思い立った。そうなってからは早かった。それから恐ろしい速度で頭が回った。  まず、制服のままではまずいと考えた。ちょうど小遣いが入ったばかりで財布にも余裕がある。シャツとズボンくらい、なにか買えるはずだ。つづいて時刻表を確認した。この電車のつぎは、十四時十八分発の新快速姫路ゆきだった。時計を見る。十三時二十七分。間に合うだろう。手持ちのICOCAカードに残高をチャージしておくことも忘れなかった。目的地は乗ってから決めればいいと考え、奮発して五千円札を投入した。今年のおばあちゃんのお年玉だった。  雨が降っていることなど、抑止力には到底なりえなかった。  線路を挟んで少し離れた平和堂へ駆け込み、メンズコーナーからSサイズのいちばん安いものを片っ端から探した。どれでもいいとわかっていながら存外悩んでしまうもので、結果二十分間を費やして無地の白いTシャツとベージュ色のチノパンを手に入れた。あわせて九百円で済んだ。  エレベーターわきのトイレに逃げるように入り込み、個室で着替えを終わらせた。バーコードのついたタグを外してもらうのを忘れてしまい、振ったり回したり力づくでちぎった。みるからに指が赤くなったが、興奮のためか痛くなかった。着ていた制服のシャツとズボンはリュックサックのなかにねじ込んだ。なんとか入ってよかった。  落ち着きをとり戻すために、駅までは走らずにあえて歩くことにした。時間はまだ残っている。歩いているあいだに、いろいろと思考を巡らせた。雨の日に制服姿でシャツとズボンを買いに来た子どもをレジの店員が怪しんではいないだろうかとか、トイレで着替えたことが監視カメラの映像からバレたりしないだろうかとか、これからどこへ行けばいいだろうか、とか。雨天で蒸し暑いとはいえ、それにしても汗が止まらなかった。信号を待っているあいだは、傘を叩く雨音に聞き入るに徹していた。  ICOCAカードを通して改札をくぐり、階段で高架のプラットホームへ上がった。雨はピークを過ぎたようだった。  「新快速」という青い文字を冠した列車が滑り込んできた。雨の日はブレーキの金属音がながく響く。降りる人間はいなかった。傘を畳んで、車両に足を踏み入れる。乗り込む人間もひとりしかいなかったことは、不安を煽る要素でありながら、それでいて足取りの勇ましさを際立たせた。  興奮が上回り、自分の不在に気づいた家族がどう動くだろうかということには、ついに思い至らなくなっていた。  ◆  当面の問題は、どこへ行くか、ということだった。スマホがリュックに入れっぱなしになっていたことを神に感謝し、マップを起動して目的地を探った。調べるうち、『ICOCAカードは営業キロ200kmを超えて利用できない』という事実を知った。200kmってどれくらいだろう、とマップを見ながらだいたい推測してみて、岡山県の手前まで行けることに驚いた。ここまで行くとお金が足りないかもしれないとも思った。復路の運賃のことまで考えている自分に気づき、矛盾しているようで笑いがこみ上げてきた。ほんとうに奇妙な思考だった。  ひとまず大阪まで行くことにした。小さいころに一度だけ行ったことがあるし、なにより大都会を練り歩くことには憧れがあった。近江舞子を過ぎ、通過駅が増えてきて電車はようやく新快速らしくなる。時刻は十四時半をまわり、雨は完全に上がっていた。雲間から晴れた空が見えはじめ、窓の外の視界が明るさをとり戻していくのがわかった。目的地も決まり、良い気分だった。  電車は快調に南下をつづける。湖西線は全線が高架化されているから、非常に見晴らしがいい。そのかわり山麓の吹きさらしの位置を走るため、風を切る音が凄まじいこともまたこの上ない。途中で特急のサンダーバードとすれ違った。特急列車の大半は、京都を出たらそのまま湖西をすり抜けて日本海に面した敦賀まで行ってしまう。あらためて調べてみると、この間を約五十五分ほどで結んでしまうことを知り、また驚愕した。  和邇(わに)を通過するときに、平和堂の大きな立方体の看板を目にして、親近感が湧いた。堅田を越え、琵琶湖大橋を遠目に南湖地域へ突入する。  このあたりから、沿線は市街地へと変わっていく。景色の移りも早くなり、車窓を眺めていると目が忙しくなる。さきほどまで五駅連続で通過していたこの電車も一駅ごとくらいに停車を繰りかえすようになって、直線での速度も落ちはじめてくる。乗ってくるひとも増えてくるが、それにしたって今日はいつもより乗客が多い気がした。  大津京駅での停車をもって、県内の駅は最後となる。  もういちど窓の外へ目をやった。まだ日は高い。湖面は白くひかりを返して目を焼いた。突如、車両内にいたカメラの男が立ち上がり、窓越しの湖を写真に収めはじめた。それにならうように、自分もスマホをとり出して写真を撮った。ふと画面端を見て、電池残量が減っていることに気がついた。かばんに入れっぱなしだったからか。一抹の不安がよぎる。  ここから線路は山を越え、本格的に京都へ入る。住み慣れた水辺が離れていくのを見つめていると、不思議な焦燥の念が湧いて出て心を惑わせた。家出をしているという後ろめたさがいまになって襲ってきたとも思えた。  あるいは、怖かったのかもしれない。  電車はトンネルに入った。遠ざかっていく外界の光を見ていると、そんな思いもついに吹っ切れた。  京都府へ突入した。
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