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背後から「ククッ」という小太りの男が漏らす嗤い声が聞こえた。
嗤いたければ嗤えばいい。
それで僕に対する憎しみの溜飲を少しでも下げることができるのなら。少なくとも俺はお前と違って、あのなっちと握手ができるんだ。
「てことは、坂本龍馬様のフィギュアはもらえないんですか?」
僕の隣りに立っていた女性がポニーテールを揺らして99番の整理券を手に野田さんに詰め寄っていた。なぜかひどく興奮していて、白い頬がほんのり薔薇色に染まっている。
野田さんもその剣幕にたじろいで半歩ほど後ろに下がった。女性は容赦なく間合いを詰めてきっぱりとした口調で言い放った。
「私、アイドルの写真集なんていりません。龍馬様のフィギュアと換えてもらうことってできないんですか?」
野田さんは気圧されながらもなお営業用スマイルを崩さず「そういう決まりですので」と控えめな声で言った。
「じゃあ、この整理券はお返しします。私は別にアイドルと握手したいわけでも、写真集が欲しいわけでもないので」
「そう言われましてもですね」と野田さんは柳眉を八の字にしながら当惑した声を出す。
「今日は報道各局のテレビカメラも入っていまして、映画『維新龍馬伝』に出演予定で今日はゲストとしてこちらに来館されている河本夏海さんからお客様に記念品をお渡しする様子を撮影させていただくことになっていまして……誠に勝手とは思いますが、お客様が受け取っていただかないとこちらとしても困ってしまいます……」
「私だってそんな勝手なこといきなり言われても困ります。テレビになんて映りたくないです」
チャンス到来。神はまだ僕を見捨ててはいなかった。
女性の言動から判断すると、どうやらというかやはり彼女はCutyCoolのファンでも、なっちのファンでもないらしい。この博物館へ純粋に「坂本龍馬と幕末展」を観るべく訪れたのだ。
いわゆる「歴女」ってやつだろうか。「龍馬様」とか言ってたし。
だけど、彼女に話しかけるのは正直、怖い。
声が気持ち悪いって思われないだろうか? 目が泳いでいるって思われないだろうか? そう考えただけで脚が震え、腋の下や背中に汗が噴き出す。それが一風変わっているとはいえクールな雰囲気のきれいな女性ともなればなおさらだ。
だが、CutyCoolの直筆サイン入り写真集は何としても手に入れたい。幸運の女神に後ろ髪はない。後から手を伸ばしても幸運はするりと逃げてしまう。
勇気を出せ! さっさと話しかけるんだ俺!
「俺でよかったら代わりに貰ってやってもいいよ」
僕の背後から小太りの男が驚くべき敏捷さでしゃしゃり出てきた。
分厚い唇は気味の悪い笑いを含んでだらしなく緩んでいる。
人のチャンスを横取りするんじゃない!
「あ、あのっ!」
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