4 今日は朝から嘘をつきっぱなしだ

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 震える声を誤魔化そうと声を張ったら、思いのほか大きな声になってしまった。野田さんとポニーテールの女性がいっせいに僕の顔を見た。  僕は怪しい奴と思われないように手にしていた整理券をFBI捜査官が身分証を見せるように二人の目の前に掲げた。  小太りの男が小さく舌打ちするのが聞こえた。 「よかったら、この整理券とあなたのを交換しませんか?」  女性の表情が見る間に輝き出す。よく澄んだ黒い瞳で僕を覗き込んでくる。 「いいんですか?」 「え、ええ……僕もその、別になっち、じゃなかったアイドルと握手とかまったく興味ないし、記念品が欲しくて並んだわけじゃないので」 「ありがとうございます! わーい、やった!」 「これなら問題ないですよね」と、野田さんに訊ねる。 「そういうことなら、問題はないと思います。ご迷惑をおかけして申し訳ありません」  野田さんもほっと安堵の表情を浮かべると、僕に深く頭を下げた。僕は今朝方に藤沢さんに対して感じたのと同じ種類の罪悪感に再び苛まれた。  とっさに嘘をついてしまった。  なっちに興味がないなんて、ごめんよ、なっち。俺は格好つけたがりの弱い人間です。  でも、目の前で僕の整理券を手に素直に喜ぶ女性を眺めているのは悪くなかった。  さっきまではちょっと怖い子かなと思っていたけれど、こうして見ると、無邪気にまるで少女みたいに笑うこともあるんだなと不思議に嬉しくなった。 「あ、すいません。つい興奮しちゃって……じゃあ、これ……」  我に返って頬を赤らめると、彼女は僕にむかって自らの整理券を差し出した。  僕はついに99番の整理券を手に入れた。  ロールプレイングゲームのアイテム獲得時に流れるファンファーレがどこかから聞こえたような気がした。  口元が緩むのを必死にこらえ、別にこんなもの興味ないんだけど、まあ博物館の人たちもテレビ局のカメラマンの人たちも困っちゃうだろうし、仕方なく協力する人助けなんだからね、やれやれ的スタンスを装った。 「本当にいいんですか?」  女性は僕の目を再びまっすぐに覗き込んでくる。  瞳の力が妙に強い子だ。  あまりに長いこと目を合わせていると、心の中まで見透かされそうで思わず彼女から視線を外し、遠い目で博物館の入口を眺めた。  館内にいたスタッフや警備員が開け放ったガラス扉から外に出てきた。開館時刻だった。列がゆっくりと前へ進み始めた。 「気にしないでください。僕はただ龍馬に逢いに来ただけですから」  彼女は「私も」と言うように深く頷くと、にっこりと白い歯を見せて笑った。  彼女の笑顔を眺めながら、人間はその一生の間に何度ウソをつくものなのだろうとぼんやり考えた。  今日は朝から嘘をつきっぱなしだ。  それにしても「龍馬に逢いにきただけ」なんて、よくもまあさらりとそんな嘘がつけるものだと自分で自分に感心してしまう。
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