4 今日は朝から嘘をつきっぱなしだ

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 僕はグラスから水を一口だけ飲もうとしたけれど、水はよく冷えていておいしく、ゴクゴクと喉をならして飲み干してしまった。思えば今まで何も水分を口にしていなかったから喉がカラカラだった。  僕が息を吐き出しながら空になったグラスをテーブルに戻すと、朱音さんが何か珍しいものでも見るように僕の顔をじっと観察していた。  僕が「え?」という顔をすると、彼女が我に返ったようにふと笑った。 「男の人っていいですよね。何でも豪快にできて、それが格好よく見えるし。女性の場合は何でもそっと丁寧に振る舞わないと、はしたないとか言われてしまうから。うちはけっこう躾が厳しい家だったので、父親からいつも怒られてました。それははしたない、それは下品だって。今でも怒られてますけど」  僕は頷きながら、なるほどと思った。  彼女の歩くときの姿勢や礼をするときの美しさはその躾の賜物なのだと納得した。そうとう厳しい父親なのかな。今も怒られてるってことは実家暮らしなのだろうか。お嬢様か。たしかに少し変わってるけど、今時にしては珍しく古風な品の良さを感じさせる女性だし。門限なんかもあったりして。 「お決まりでしょうか?」  ウェイターが僕らのテーブルにやってくると、相変わらず神経質そうなポーカーフェイスを僕にむける。まだ決まってませんとは言い難い雰囲気だ。 「ええと、何にしましょうか?」  と、僕はまごまごしながら朱音さんに助けを求めた。  男性の立ち居振る舞いの豪快さに憧れる女性を前になんだか優柔不断で情けないなと思ったけれど、僕にはメニューに書かれた舌を噛みそうなカタカナ表記の料理の名前がよくわからなかった。  僕にわかる料理といったら牛丼やファストフード、コンビニの弁当とおにぎりの種類くらいだった。  なんて貧しい食生活をしているのだろうと悲しくなったけれど、その食品を栄養として形作られた細胞の集合体こそが今の僕なのだ。その細胞の栄養となるどころか、口に入れたことすらない料理や食材の知識が皆無なのは仕方がない。  結局、朱音さんが料理を何種類か頼み、それに合うワインを選んだ。彼女の選び方には迷いがなく、その決断の速さはそばで聞いていて気持ちが良いほどだった。彼女の方が僕よりよほど男らしいんじゃないかと思った。  ウェイターが朱音さんにむけて一目置くような恐縮した態度でメニューを下げて去っていくと、僕は情けない気持ちに拍車がかかり、自分の部屋に帰りたくなった。  内気な僕は何か悲しいことがあるとすぐに部屋に閉じこもって独りになりたくなる。  そんな僕が営業の仕事をしているなんてつくづく向いていないと思う。  なんで俺はあんな菓子で腹を膨らませたプラスティックのピンク恐竜を売り歩いているんだろう?  俺は一体ここで何をしているんだ?  教えて、神様、なっち様。  そうだ、なっちだ。俺はあの写真集を回収するというミッションの途中だったじゃないか。
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