2 たとえ明日、世界が終わろうとも

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 なっちは憶えているだろうか? いや、おそらくもう僕のことなどこれっぽっちも憶えてはいないだろう。僕はまだ彼女たちが売れていない駆け出しのアイドルだったころ、秋葉原の歩行者天国で遇っていた。  あれは、パソコンのパーツを買いにソフマップを梯子していたときだった。歩行者天国の路上で、垢抜けない女の子の三人組が道行く人を呼び止めてチラシを配っていた。 「キューティクルっていいます。路上ライブやります。よろしくお願いします」  それがあっちゃん、ゆっか、なっちだった。  彼女たちは本当に今とは比べ物にならないくらい地味で田舎くさくて、まだ出身地である岡山から上京してきたばかりのように見えた。  はっきり言って、どう見ても売れるようには見えなかった。  それでも、一生懸命さは伝わってきて、僕は思わず足を止めて、少し離れたところから彼女たちの姿を眺めていた。  チラシを受け取ってくれた人に彼女たちは丁寧にお礼を言って深々と頭を下げていた。そのお辞儀の深さはメジャーになった今も少しも変わらない。それはたぶん、あのころの売れなくて辛い日々が身に染みているからだ。  見ることもなく見ていると、なっちと目が合った。  そのどこまでも澄んだ黒い瞳にまっすぐに見つめられて、僕は目を逸らせないでいた。  すると、なっちがあの真夏の向日葵を思わせるような明るい笑顔で僕にチラシを差し出して駆け寄ってきた。 「私達、キューティクルっていいます。これからここで路上ライブをやります。もしお時間があったら、是非見ていってくださいませんか?」  僕はぼんやりと頷くと彼女の手からチラシを受け取っていた。なっちのあのときの笑顔が今でも僕の脳裏に焼きついている。  その後、路上で行われたライブはびっくりするくらい完成度の高いものだった。  さっきまで冴えない田舎娘だった三人は、ラジカセから曲が流れた途端にまったく別人のような強い輝きを放って歌い、踊り始めた。  その踊りのキレは素晴らしく、素人目にも彼女たちが本気であることを思い知らされた。彼女たちはアイドルであって、アイドルではなかった。  さっきまで柔和な笑みを振りまいていた顔はどれも怖いくらいに真剣そのものだった。  最初は数人しかいなかった見物人も、いつのまにか彼女たちの周りを取り囲むような人だかりとなり、路上の通行が困難になるほどにまで人が集まってしまった。  全部で三曲を歌い踊り終わると、見物人から拍手と歓声が起こった。  彼女たちはさっきまでのどこか抜けた笑顔に戻ると「ありがとうございまーす」と手を振り、深々と頭を下げた。  拍手と声援はしばらく鳴り止まなかった。  ケータイのカメラで熱心に撮影している人々もいた。  笑顔で手を振り続ける三人を見ながら、僕はこの子達はきっとメジャーになると確信していた。  テレビの中で三人は歌い踊り続けている。僕は華やかな舞台で七色に輝くあっちゃん、ゆっか、なっちの姿を眺めながら、君たちはもう手の届かない遠い存在になってしまったんだねとつぶやいた。  あの路上ライブから君たちはとうとうここまで来たんだ。悲しいけど、嬉しいよ……なっち。  このまま自分の夢にむかって走り続けてほしい。  僕はいつまでも君を見守り、応援し続けるよ。
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