1 また、つまらぬモノを斬ってしまった……。

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1 また、つまらぬモノを斬ってしまった……。

 居合(いあい)を習い始めてからというもの、瞳の動きから相手の心がある程度読めるようになった。  居合というのは、刀を鞘に納めた状態で腰に帯び、鞘から抜きざまに放つ一太刀ないしはそれに続く二の太刀で相対する敵を斬り倒す日本古来の剣技のことだ。一撃必殺。刀を鞘から抜き放った瞬間に生死が決する。  目の前にいる相手は今、何を考え、次にどのような動きにでようとするか。一瞬の判断で刀を抜いて応じなくてはならない。たいていの人は自分の心がそれほど目に表れているとは思っていない。当たり前だ。  今は戦国の世でもなければ、幕末でもない。まして、ここは関ヶ原でもなければ、幕末の京都でもない。銀行からの借り入れを含めても資本金一千万あるかないかの中小企業の狭いオフィス。いきなり刀を抜いて斬りかかってくる者などいない。眠たくなるような温い平和に浸かりきっている現代の日本なのだ。  それにしても、だ。  現代の男達には危機意識がなさすぎる。  オフィスを見渡せば、弛緩しきった男達の顔、顔、顔。  皆緩みっぱなしの目と口でパソコンのキーを叩いたり、電話をかけたりしている。  もしもここが幕末の京都で、彼等が浪人で、私が新撰組の隊士なら、社長や営業の小林君や経理の秦野さんも含めて一人残らず抜き様に斬る捨てることができるだろう。今宵の虎徹は血に飢えているのだ。  もちろん、そんなことはしないけど。  にしてもだ。  坂本龍馬様のような男が現代の我が国にはなぜいないのだろうか。  民主主義がいけないのかな? ご恩と奉公の封建制という統治システムの方が日本の男達には合っているのではないか、なんて思ったりもする。男が男らしく美しく散れる場所は戦場以外にはない。  かつての侍達が美しかったのは戦があったからだ。常に死と隣合わせの境遇で日々を生きていたからこそ、輝いていたのだ。  不況とはいえ天下泰平で飽食の現代日本に生きる男達が美しくもなく、耀いてもいないのは当然といえる。自らの牙と爪で獲物を捕らえることを忘れ、檻の中に寝そべって飼育係の運んでくる餌を欠伸をしながら待っている肥満した虎などもはや観る価値はないのだ。 「大河内君、ちょっと」  太った虎ならぬ、信楽焼の狸の置物にしか見えない社長がコピー機の前で首をぼりぼりかきながら私を呼んでいる。  うんざりした声が出ないように声帯を微調整しつつ小鳥のように澄んだ返事をして席を立ち、側までいくと、社長は眉間にシワを寄せて言う。 「紙が切れた。補充して」  古狸は毎度のことながらコピー用紙がなくなったのは私の責任であるかのごとく不満そうな光をその田螺のような目にたたえて曰う。  私は狸が「紙が」と口を開いた時点で抜刀してそのメタボっ腹を水平にかっさばいている。もちろん、頭の中で。狸は前のめりにどうっと倒れる。  私は刀に着いた血を払いつつ、いい加減コピー用紙くらい自分で補充せよ、と冷めた声でつぶやき、『燃えよドラゴン』で敵を打ち倒した後のブルース・リーばりの憂いを秘めた眼差しで狸の骸を見下ろし、その最期を見届ける。  これを「残心(ざんしん)」という。  命を奪った相手に対する最低限の礼儀であるし、絶命したと思った相手がむくりと起きてきて不意の一撃を加えてくることに対する用心でもある。  目の前の敵に対しては最後まで気を緩めてはならない。真剣での斬り合いは一瞬の油断が命取りとなる。  時代劇のように敵を斬り倒してすぐに刀を鞘に納め、その場をすたすたと立ち去るようなことはあり得ないのだ。 「大河内君、何ぼおっとしてるの? 早く」  社長が怪訝そうな顔で「残心」をしている私を見ていた。 我に返った私は茶店で働く町娘のようにしおらしく頭を下げてそそくさと倉庫へとA3のコピー用紙の束を取りに行く。 「あっ、朱音(あかね)ちゃん、お茶、じゃなくて今日はコーヒー」  オフィスを出て行こうとする私の背中に秦野さんの声がかかる。毎度のことながら狙いすましたようなタイミングの悪さだ。  絶対わざとですよね?  私は反射的に刀を抜くと秦野さんの文字どおり外側も中身も不毛な頭部へとまっすぐに斬り下ろす。絶命。残心。また、つまらぬモノを斬ってしまった……。 「おっ、ウチの息子がこの子のファンなんだよ。ええと、なんて言ったっけ……」  社長が窓際に置かれた小さな液晶テレビを点けてニヤけた顔をむける。
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