metamorphose

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 夜の闇が隠してくれる。  もうずっと長いこと夜が味方だった。  街灯に照らされた公園で、桜の花が短い命を散らしている。夜が薄まり三日月は既に存在感を失いつつあった。  一人ベンチで夜桜を肴に、桜をイメージしたピンク色をしたウオッカベースの酒を飲むと、寂しさは幾分和らいでいく。  一人が嫌なわけではないと言い聞かせても、どうしたって拭いきれない孤独。理解とか許容とか、他人に求めるのはどこか申し訳なくて自ら暗闇へと身を隠してきた。  誰も居ない公園。砂場に忘れられたゾウの形をしたじょうろがポツリ。フワフワとサクラ色の花弁が舞い落ちて何も言わずに寄り添っていた。  眺めていた先で、突然やってきたつむじ風に膝下まであるスカートが捲れ、ゾウに寄り添っていた花弁が舞い上がって散り散りに。 「あれ? 本橋?」  背後から声を掛けられて、びくりと背筋が伸びた。声の主はそんなこと気にも留めないで乗っていた自転車から降りて近づいてきた。 「一人で花見?」 「知里(ちり)ちゃんはこんな時間にどうしたの?」 「うん、バイト帰り。そこのカラオケ」  大学の同じ学部にいる知里は、本橋になにかと声を掛けてくるありがたい存在だった。肌が真っ白な男はそこまで珍しくないが、女装癖がある本橋はこのご時世でも異端だ。受け入れてくれる人間は少ない。 「私も飲みたいなー」  明らかに知里は酒をねだっている。しかしビンの酒が一本しかなく、その一本も本橋が口をつけてしまっていた。 「ごめん、これしかないんだ」  ビンの口には赤のルージュ。さすがにこれは申し訳なくて本橋が断ると、知里はビンを掴んで笑う。 「間接キスくらいで動揺するなよ、本橋」  ツーブロックのショートヘア、スレンダーな体にデニムと革ジャンの知里は見た目もさることながら、中身も非常にサバサバしている。容姿はやたら整っていて美形だ。しかし、性格が災いしているのかカレシが居たことはないらしいともっぱらの噂だった。  もらうよ。と、宣言した知里は酒をゴクゴクと豪快に飲んでいく。ぷはっと口をビンから離せば、案の定赤いルージュが唇についてしまっていた。 「ついちゃったよ、赤いの」 「そう? 少しは女らしくなった?」  ニヤリと笑う知里に本橋は思わず目を背けそうになってしまう。あまりに妖艶な美女だった。 「……キレイだよ」 「そう? 化粧なんてしたことないからさ。今度教えてくれる?」  本橋は一瞬言葉に詰まる。教えてあげるのが嫌なのではない、ただ人前では化粧はしないと決めていた。女装も人知れず楽しむようにしていたのだが、こうやって誰かにバッタリ出くわしてバレてしまったのが徐々に広がってしまったのだ。大学も三年目、かなりの学生が本橋の趣味を知っていた。 「俺は……たとえバレていても人前ではやりたくないから」  学生生活では女装は封印し、ただの冴えない男子として生きている。そうしていれば少なくともあからさまな嫌悪は向けられないのだ。 「じゃあ、うちか本橋の(アパート)ですればいい。なんなら今からでもいいよ?」  たとえ今はスカートを履いていて化粧をしていても、本橋は男だった。恋愛対象は女なのだから……。夜と朝の狭間で明るくなってきているとはいえ、互いに独り暮らしの身だ。部屋に行くのも来てもらうのも躊躇わずにはいられない。 「俺、男だし」 「わかってる」 「知里は女だし」 「そうだよ」  知里は全然わかっているとは思えない。それはそうか、こんな見た目の男に恋心を抱くわけもなく、身体を狙われるなんて思いもしないのだろう。昼は冴えなく、夜は同性みたいな姿なのだから。  知里は急にベンチからすくっと立ち上がった。東の空が白み始めて辺りは仄かに色づいていく。  革ジャンを脱ぐと本橋の頭の上から掛けた。 「ヤバいよ、日が昇る」  本橋は知里の香水が染み込む革ジャンを被ったまま口を開きかけ、一旦引き結んでから問う。 「俺が紫外線アレルギーだって知ってたんだ……」 「当たり前じゃん。白くて綺麗な男がいると思って眺めてたら、いっつも日陰選んで歩いてるし、日焼け止め塗りたくってるし」  元々はその日焼け止めがきっかけだった。塗らなければ肌が荒れてしまう。だから、せっせと塗っているうちに更にキレイに見せるにはどうしたらいいのかと思うようになってメイクをするようになったのだ。次第にエスカレートして女装をしてみたくなり、現在に至っている。 「それにさ、一年の学園祭の時、無理矢理呼び込み任されて顔が腫れちゃったでしょ? 私、あんとき見てたんだ」  サークルはあの時辞めてしまった。誰かと何かすることは難しいのだと改めて悟った。高校までは先生が気を使ってくれたが、大学になれば自分の身は自分で守るより他なくて、諦めるという選択肢ばかり選んできた。 「そかぁ、見てたのか。気持ち悪かったろ?」 「なんで? 可哀想だと思ったけど気持ち悪いなんて全然!」  そうこうしている間も日はジリジリ昇ってくる。 「とにかく帰ろ。自転車、後ろ乗んな」  本橋よりも知里が焦っていた。まだ中身の入ったビンをゴミ箱に投げ捨てると自転車に駆けていく。 「私さーずっと本橋見てたんだ。ってか、ほら乗んな」  既に自転車に跨がって大声で話しながら、本橋を急かす。 「いつも我慢ばっかりしてんじゃん? なんかいじらしくて目で追っちゃうんだよね」  スカートで自転車に乗るなんて初めてだ。荷台に跨がるべきなのか、横座りで乗るべきなのか。 「横座りでいいよ? 早くしなって」  目で追っちゃうとか言われて恥ずかしいから声には出さずに頷いた。 「私が守ってあげるから」  荷台に座った本橋を知里が半身振り返って確認する。先程より知里の唇が赤く見えた。 「だから、うちおいでよ」  二人の視線が絡み合って、互いの気持ちを探ろうと揺れる。 「俺……」  そんなことを言われたら、簡単に堕ちてしまう。知里は美しくて、優しい女だから。  見つめている先で知里の顔が朝日を受けて、朧気な赤さを纏い始めた。 「わ、ヤバ。行こう」  更に焦る知里は顔を前に向けて自転車を漕ぎ始める。  本当は朝日くらいなら日焼け止めを塗って、さらにファンデーションも塗っているから大丈夫だなんて本橋には言えなかった。  知里の革ジャンから甘い香りが漂っていてクラクラしていた。  まだ人通りのない街を自転車が走り抜けていく。
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