baby blue

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 那覇空港で購入した麦わら帽子、日焼けを気にしてつばの大きいものにしたのは失敗だったかもしれない。瑚子(ココ)は帽子のつばを両手で掴み、夏輝と睨み合っていた。 「お前さ、海行くって言ったのになんで水着着てこないんだよ」  瑚子の白のワンピースは先ほどから風に踊らされて激しく揺れていた。  夏輝はペンションのオーナー夫婦の一人息子だった。ここ数年、夏になると瑚子一家はペンションに泊りに来ている。出会った頃は小学生だった二人も既に高校生になっていた。 「海に行くと、海に入るは違うでしょ」 「は? 同じ意味だよな?」  夏輝は険悪な空気に固唾を飲んで見守っていた男友達二人に同意を求めるが、友人たちは瑚子に遠慮して頷くのをためらったり、おずおずと頷いたり。 「まあ、いいや。俺らはここから飛び降りるけどココは家に戻れよ。構ってやれないし」 「ちょ、言い方!」  夏輝は我関せずでTシャツをまくり上げてこんがり焼けた肌を惜しみなく曝け出す。ハーフパンツタイプの水着姿で履いていたスニーカーを、足を振って脱いだ。  崖の上で水着姿になった夏輝に瑚子は驚いて海に視線を投げる。  沖縄特有の紺青からの崖に近づくにつれエメラルドグリーンの海。風に押されて波が立つ。崖付近は白く泡立っていた。 「待って。まさか、まさか……飛び降りたりしないよね……」  沖縄特有の彫りの深さを存分に見せつけて夏輝は眉毛の片方だけ上げた。 「そのまさかだよ。ま、ココには無理だよな。行こうぜ」  好戦的な夏輝。  こんな夏輝でも、二人きりになれば優しいところもある。昨晩だって夜の海に行きたいといった瑚子を文句も言わずに連れ出してくれたのだ。その時は暗いからと理由をつけて手を繋いだのに、二人以外の誰かが居るとなにやら意地悪夏輝に変身するのだった。  夏輝の友人たちは瑚子に申し訳なさそうな顔をするが、夏輝がしたようにTシャツを脱ぎ捨てる。沖縄の男の子たちは揃いもそろってパンの耳みたいな色にこんがり焼けていた。 「無理じゃないって!」  瑚子は履いていたサンダルをみんなと同じように脱ぎ捨てる。強がって言ってみたが、足は震えるし、飛んだところを想像するとぞわぞわする。 「無理しない方がいいよ……」  友人の一人がそっと言って走り出す。綺麗に飛び立った後、夏の太陽に溶けたように一瞬姿を消して、その後、海へと落下していく。大きな音が立って、白い泡の中心から水面に浮かび上がってくる。 「内地の人間には出来ねーって」  夏輝は直ぐに本州の人間をそうやって区別する。  昨晩だってそう。 「うちの母親、内地の人間だけど……やっぱり内地からくるとここって不便って言っててさ」 「うん」 「やっぱり住む世界が違うんだよなー」  砂浜に座ったまま、二人はまだ手を繋いでいた。瑚子は夏輝の手をぎゅっと握り締めた。 「そんなことないよ」 「そうかなー」 「そんなに変わんないし、私は好きだよ……沖縄」  濃藍(こいあい)の海は月光が照らす場所だけ群青色をしている。キラキラと光る水面。ココの髪がしっとりとした海風に揺れていた。 「出来るよ!」  意地になって言い返す瑚子を横目に、友人の一人がまた駆けだして海にダイブ。 「しゃーないじゃん。俺たち住む世界違うんだし」  夏輝の言葉が癪にさわる。キッと睨みつけた海。夏輝の友人たち二人が立ち泳ぎで海に浮かんで待っている。 「出来る」  自分自身に言い聞かせて、瑚子は唐突にビーチサンダルを脱いだ。    灼熱の太陽に焼かれた岩の上を走り出すと、麦わら帽子が解放され風にさらわれた。髪が一気に舞う。大きく吸った、しっとりとした潮の匂いを含んだ沖縄の空気。  踏み切った岩から身を投げれば一瞬世界は青に占領される。(あお)(あお)(あお)。あらゆる青のち、ドボンと海に吸い込まれた。辺りは白い気泡に包まれて白。  一瞬の出来事だった。息苦しさと圧迫感を覚え、気泡に促されるように必死に上昇すれば青と白の混濁したベイビーブルー。  ぷはっと海から顔を出すと、数秒遅れて夏輝が同じように顔を出す。どうやら瑚子が飛んだ後に夏輝もダイブしたようだ。いつになく真顔というよりは怒ったような顔をした夏輝。元々濃い顔立ちだから無表情は怒っているに近い。 「泳ごうとすんな! 力を抜け!」  瑚子に命令する夏輝。友人たちも顔を出したクロールで泳いできて瑚子の元に寄ってくる。 「みんなで連れていくからとにかく浮いてろ!」  夏輝の命令口調には僅かに怒りを覚えるが、余裕がなく言い返すことも出来なかった。三人に連れられた漂流物みたいになった瑚子は、着ているワンピースがやたらと重いので回収してもらって有り難かった。夏輝の偉そうな態度に、本当は一言でいいから言い返したいが、口を開けば海水が押し寄せてくるのでどうにもならない。ただの漂流物でいるのが精一杯。  砂浜まで着くと水圧はなくなったがとにかく服の重量感に閉口し、立っているのがせいぜいで、ただ肩で息をしていた。  瑚子以外の三人はなにやら相談事を始め、早々に結論が出たようだった。 「俺たちは海に戻るから」  夏輝の友人が言うと、もう一人の友人が瑚子に真っ白な歯を覗かせる。 「あんた内地の人なのにスゲーよ。ただ、服はヤバイから次は水着でやんなよ」 「死ぬから、真面目に」  二人の態度は明らかに軟化していた。崖から飛び降りただけなのに、微かに漂う連帯感。仲間にいれて貰えたのかもしれない。ならば飛び降りるのは仲間になる儀式だったのだろう。 「ココ。大丈夫か?」  二人きりになると声音が柔らかくなる夏輝に目を向けた。滴る水滴、太陽の光を反射させて正直夏輝がキレイだと思った。 「ココ?」 「私、沖縄すきだから。住む世界は一緒なんだよ!」  瑚子が強く主張すると髪からやはり水滴が落ちていく。夏輝はちょっと驚いた顔をしたけれど、驚きをゆっくり溶かしてそっと笑う。 「俺もそう思うよ」  そう口にしてから海の方に視線を移して、友人たちが見ていないことを確認してから瑚子を抱き寄せた。 「俺も東京行くし」 「うん」  抱き寄せられたまま見た空は雲一つないベイビーブルー。瑚子も夏輝の背に手を回していた。 「ココ? あのさ、一つ言うけど……今日の下着が水色なのは気のせいか?」  瑚子が弾けるように夏輝から離れて自分の身体を見下ろした。確かに白いワンピースが濡れて透けている。 「ちょっと! 早く言ってよ!」  顔が一瞬にして火照って、でも自分を抱きしめる以外なすすべのない瑚子を夏輝が笑う。 「上に戻って俺のTシャツ貸してやるから」  そう言って、瑚子の手を引いて走り出す。 「俺にだけ見せるようにしろよな」  それって……。  南国の太陽が二人をジリジリ焼いていく。  二人の関係はまだ始まったばかり。 ※まかろんさんは現在依頼等は多忙の為、受け付けをしていません
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