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「アヤ、愛してる」 シーツのなかで、彩佳を後ろから抱きしめながら、耳元で弘樹が囁く。彩佳はほんの一瞬だけ、身を固くした。 弘樹は、デートのたびに彩佳の体を求めてくる。一度ならず二度、三度。彩佳は拒絶せずに応える。 今日は、何回目のデートだっただろう。毎回、飽きないのかな。 そんなことを考えながら、彩佳は目を閉じて弘樹の求めに応える。 付き合い始めてから、ほぼ毎週末。弘樹の仕事が早く終わった平日も彩佳に連絡が入り、彩佳の仕事が終わっていれば会っている。 弘樹と彩佳の出会いは、里佳子の結婚式の二次会の幹事として顔合わせをしたときだった。 里佳子は、彩佳の高校の同級生だ。 社会人になって少しして、ある事情のあった彩佳に、友人の里佳子がルームシェアを提案して一緒に暮らしていた。 その里佳子が結婚することになり、二次会の新婦側の幹事として彩佳が、新郎側の幹事として駆り出されてきたのが弘樹だった。 二次会の打ち合わせで何度か会ううちに、弘樹から好意を寄せられていることには、彩佳もうすうす気づいていた。 当時の彩佳は男性からのアプローチに慎重になっていた。そこを熱心に口説き落としたのが弘樹だった。二次会の準備で手際の良さを見せながら、彩佳へのアピールも欠かさない。弘樹の熱意と里佳子の夫の友人というつながりもあいまって、弘樹のアプローチにうんとうなずいたのは、出会いから半年近くたったころだった。 里佳子が結婚して、彩佳は今一人暮らしをしていたが、まだ弘樹に家は教えず、中に入れていない。 「今度、アヤの家に行きたい」 帰りの車のなかで、弘樹が彩佳の手を握りながら言った。 「あ・・・」 これまで付き合った人には、「友達とルームシェアしているから、異性は家に入れないルール」と言い訳して、家には呼ばないようにしていたのだが、里佳子が結婚しているとの経緯を知っている弘樹にはそれが通じない。 「う・・・・ん。考えとく・・・」 彩佳は顔を見ずにあいまいに答える。 「嫌?」 弘樹は心配そうに顔を覗き込む。 「あ・・・」 家に呼ばないことには彩佳なりの理由があったのだが、弘樹に正直に言うかどうか、まだ迷っていた。できれば、周りの目があるようなところで話したいと思った。弘樹がどんな反応をするかが怖かった。喉がつかえて、すっと声がでない。 「何が心配なのかはわからないけど・・・。無理強いはしないから。行ってもよくなったら、誘って」 弘樹が握った手に少し力を込めて言った。 「一応、結婚前提の付き合い、ってことになってるんだし。もっと彩佳ちゃんのことも知りたいし、俺のことも知って安心してもらいたい」 そういって、弘樹が握っている彩佳の手に軽く口づける。 「うん・・・」 彩佳は口角を上げてそう答えるのが精いっぱいだった。 彩佳の家の最寄り駅のロータリーで彩佳を下ろし、弘樹の車は去っていく。 弘樹の車を見送って、周囲を確認した後、駅への階段を駆け上がる。彩佳の家はこのロータリーの反対側にあった。 駅から徒歩8分のところにあるオートロックのマンションまでの道は、スーパーやコンビニ、小さなレストランやラーメン屋もあって、比較的明るい。里佳子とのルームシェアを解消し、一人暮らしを再開するにあたって、駅へのアクセスとオートロックは、一番こだわったところだった。 途中のコンビニで、アイスクリームと炭酸水を買う。 自宅につくと、コンビニで買ったアイスクリームと炭酸水をしまい、エアコンのスイッチを入れる。バッグからスマホを取り出す。弘樹に、「家についたよ」とメッセージを送る。少しすると既読がついて、OKのスタンプがつく。 それを見て、彩佳はシャワーを浴びようと浴室へ向かった。単身者向けのワンルームは、広くはなかったが、彩佳一人で暮らすには十分だった。 シャワーを終え、バスタオルを体に巻き付けて冷蔵庫から炭酸水とアイスクリームを取り出し、部屋のテーブルの上におく。部屋は冷房が利いてきていて涼しい。 彩佳はベッドに腰かけて、炭酸水を口に含む。 「ふう」 思わず声にでる。彩佳はテレビのスイッチを入れて、夜のニュースを見る。明日は土曜日。彩佳は仕事は休みだが、弘樹は仕事があるらしい。だから今日会いたい、と言われ、仕事終わりに待ち合わせして会っていた。  社会人になって、初めて出たボーナスを資金にして、一人暮らしを始めた。そのころ付き合っていた彼は一人暮らしをしていて、デートするときは相手の家が多かったから、問題はなかったのだが、 その次の彼・・・社会人になって2年ほど経った頃、合コンで知り合って付き合い始めた彼に、一人暮らしをしていた部屋に入り浸られたことがあった。  気を許してカギを渡してしまったら、彩佳が仕事から帰ってくると家にいることが多くなった。週末も、彩佳の部屋から離れない。彼が、彩佳の部屋から出勤することも多々あった。会社の飲み会で遅くなるといってあっても彩佳の部屋で待っていて、誰といたのか、どこで飲んでいたのかとしつこく問われ、浮気をしていないかを探りを入れられる。そんなことが続き、生活のペースを乱され、彩佳は彼から気持ちが離れていった。別れ話をしようとすれば、好きだから嫉妬するんだと引き留められ、挙句には逆ギレしはじめたり、彩佳は困って里佳子に相談した。  里佳子は、兄の結婚により、実家が二世帯住宅への建て替えを検討し始めたところで、ちょうど家を出るタイミングをうかがっていた。そこで、「ルームシェアして一緒にすまないか」と提案してくれた。 それから、里佳子と物件を探し、彼に引っ越しすることを話して、ようやく別れることができた。 それ以来、恋人ができても、家には呼ばないことにしていた。「友達とルームシェアしているから、異性は呼ばない約束をしている」。これで切り抜けていた。  が、弘樹は里佳子とのルームシェアを解消していることを知っているから、これは通じない。だから、どこまで、どう弘樹に話せばよいものか、迷っていた。「自分はそんな男のようにはならない」と怒ったりするんじゃないだろうか。相手がどう感じるかわからない。二人きりの空間で怒り出したりされたら、どうしたらよいかわからない。だれか第三者の目があるところで話したかった。 正直なところ、弘樹に「愛してる」と言われても、自分には実感がない。 愛されているという実感もないし、相手に対して「愛してる」といえるような気持ちももっていないように感じている。どうなれば、「愛してる」といえるのだろうか。 スマホに届いた弘樹からのメッセージを横目に、再び炭酸水を口に運んだ。
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