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部活に入っていない碧井にとって退屈な夏休みが終わり、新学期が始まっていた。
大勢の生徒が登校してくるため、暑さと同時に騒がしさが到来していた。初めの短縮授業が終わって、通常の授業時間になって落胆していた。
登校途中、忘れ物に気が付いたが、学校が近かったので戻ることが出来ず、気持ちがモヤモヤしていた。そういうこともあって碧井は憂鬱だった。
汗を拭う動きをすると、額に何かが当たった。それは里がくれたミサンガだった。中学生の頃に流行った物で、碧井はいまだ身に着けていた。暖色で編まれたミサンガは友人を想うため、そして、自分に刻むため。
碧井は後ろから友人に声を掛けられた。言葉を交わしながらその友人と教室へ向かった。
五限の授業が終わって、各々の生徒が帰宅の準備をしていた。碧井は六限の選択授業を取っているため、違う教室に移動しなければならなかった。移動していた最中、同じ授業を受ける健と合流して、移動先へ向かった。
教室は一クラスの人数の半分の生徒しかいなかった。初めはもっとたくさんいたが、徐々に人数が減っていった。そう、ここには竹井さんもいた。健に頼まれていた事を聞こうと思った。
授業は入試問題対策の問題集から抜粋した問題を解いた。高校三年のこの時期なので、静かに授業を受けている者がほとんどだった。
碧井は授業の後半にウトウトしながらも何とか耐えて、乗り切った。早速、終わると竹井さんに話しかけた。
「竹井さん」
ん、と顔を上げた竹井明(たけいあかり)は眼鏡をかけていた。レンズの奥は険しい目つきになっていた。
「あ、ごめんね。今、大丈夫?」
明は太いフレームを持ち上げて、微笑んだ。
「田辺さん、どうしたの?」
碧井にいきなり話しかけられ、驚いているようだった。
「いきなりだけど、真っ赤の鳥の都市伝説って知ってる?」
興味を持ってくれたと言わんばかりに明の表情はパッと変化した。
「もちろん!知ってるよ!」
「あ、ほんと!?前に都市伝説好きだって言ってたから」
「あ、そうそう。あの時ね。熱中して語りすぎちゃって」
明は眼鏡をはずして、ケースにしまった。
「良かったら、ここ、座ったら?」
明は自分の後ろの席を指した。碧井はそこに座った。授業は終わったが、まだ何人かの生徒は明と同様に残っていた。
「いきなりでごめんね」
「ううん、大丈夫」
「で、さっきの真っ赤な鳥伝説なんだけど、友達から竹井さんに聞いてきてって頼まれてさ」
「そうなんだ」
「私もそれ以外に聞きたいことあって」
「そしたらさ、田辺さんはこの後どうする?」
「真っすぐ帰るよ」
「じゃあ、一緒に帰らない?ここだとあれだし」
明は教室内を見回した。確かにここで話していると迷惑がかかりそうだ。
「そうだね、じゃあ」
「いこうか」
明と碧井は教室を出た。
学校を出ると、田んぼばかりののどかな景色が待っていた。
成績優秀者の竹井さんがこんなに話しやすい人だとは思わなかった。碧井は頭の良い人とは話が合わなそうと感じていた。
「眼鏡はかけなくていいの?」
「あの眼鏡は勉強するときだけ、掛けるんだよね。気合をいれるために」
明は高校受験したときから愛用していた。受験当日、具合が悪くて調子が出ず、本命の高校に落ちてしまったが、この高校だけ受かることができた。
「それ以降、勉強するときはいつもかけてるんだよね」
碧井はそう語る明のめつきが一瞬変わったことを見逃さなかった。高校受験の悔しさがあるのだろう。大学受験は成功したいという強い決意が見て取れた。
「ここに座って話さない?」
そこに壊れかけたベンチがあった。道の脇に違和感を覚えるように置かれていた。明の話しによると、バス停がここに存在していて、そのバス停が別の場所に移動してこのベンチだけが残された。
「バスを使う人たちが良くここに座るから、壊されずにいるんだって」
「へぇー」
地元にいるのに、知らなかった。ただの木製ベンチに様々な人の想いが詰まっているとは。
高校卒業したら、こんな田舎からすぐ出たいという子がいる。それは視野が狭くなるからより大きくて広い都会へ行きたいということだろう。しかしこの狭い田舎でも知らないことがある。場所は関係ない。
「ここは私が落ち着くために必要な場所なんだよね」
様々な人の想いの中に、明の気持ちも詰まっていた。
「あ、そうだ、真っ赤な鳥、だよね」
明は本題に切り替えた。
「私も存在は知ってる。数年前からいたんじゃないかって噂されている」
これは健の言っていたことと同じだった。
「全身が真っ赤な鳥は神の使い、って言われているね。他にも別名があるらしいけど。存在自体が怪しいんだよね。それを見たっていう人があまりいないから。見た人は行方不明になったっていう話しもある」
初めての情報ばかりに碧井は戸惑った。
「知ってるのはこれぐらいかな。どこで、どうやって、そしていつその鳥が現れるか判らない」
「竹井さんさ、それをどうやって知ったの?」
「インターネットの掲示板に都市伝説が好きな人達が書き込むスペースがあって、私はそこで知ったよ。後はここに住んでいる人が教えてくれた」
「竹井さんは、そこに書き込んだりするの?」
「うん、するよ。でも今は閲覧するだけだね」
同じ制服を着た生徒たちが碧井の前を通った。バスを利用する生徒はこの道を通ってバス停に向かっていた。
「じゃあさ……、もう一つ良い?」
碧井は声音を変えて尋ねた。
「空間が歪むとか異空間の話って聞いたことある?」
「うーん……。それだけだと……」
碧井は迷った。言うべきか言わないべきか。慶也とこのことは秘密と約束をした。でも、竹井さんなら里に一歩近づけるような事を知っているかもしれない。
「あの……、誰にも言わないって約束してくれる?」
「……そういう類の話し?」
「うん」
「言わないよ。都市伝説の中でも人に話してはいけないことも多いから」
碧井は間をおいて、「三年前のことなんだけど――」
碧井は三年前に起きた事を覚えている範囲で、細かく説明した。明は相槌を打たず、真剣に耳を傾けていた。
慶也へ明に三年前の出来事を言ったことを伝えなければいけない。慶也のためになるならと、手がかりを増やしたかった。
「…………なるほど。田辺さんは今も辛いんじゃない?大丈夫?」
「うん、何とか。ポジティブに考えられているかな」
「そう……。その友達、見つけたいね」
「そうだね。とりあえず、聞いてくれてありがとう」
言うのも地獄、言わないのも地獄だった碧井は口に出すことで胸のモヤモヤが晴れた気がした。
「……判った。そうだね……」
碧井の告白に戸惑いを隠せないものの、普段の冷静な顔つきに戻った。
「私が良く見てる掲示板にそのような情報がないか調べてみる。望みは薄いだろうけど」
「ありがとう」
「……どうしたの?」
「いや……」
明は碧井のスカートのゴミを払った。
「田辺さん、森君のこと、好きでしょ?」
「え……?」
思わず明を見た。
「いや、何となくそんな気がしてさ。森君のこと話すとき、表情がいつもと違うからさ」
「え、えっと……、うん」
碧井は恥ずかしくなった。やはり頭の良い人は嫌いかも。
「やっぱり。いつもそういう表情してたほうがいいと思うよ。そっちの方が可愛いし」
「え、そうかな」
「うん。今の顔はさっきよりも明るいし、可愛いよ」
「ありがとう……」
明から褒められるなんて、思ってもみなかった。素直に受け入れられない。
「そうかー。すごいなー、頭の良い人は。全部、分かっちゃうんだもん」
「そんなことないよ」
「竹井さんさ、悩みとかあるの?」
「そりゃ、あるよ。あと、明でいいよ」
「あ、じゃあ、明で」
「うん」
お互い、遠かった距離を縮めて、地元の友達同士のように打ち解けた。
「あ、ごめん。話し逸れちゃったね」
明は携帯の時計表示を見た。
「どうかな、竹井さ、明的には」
「引っかかるのは、さっき話した真っ赤な鳥の都市伝説あるじゃん。それとリンクするんだよね」
「……どういうこと?」
「その里ちゃんが巻き込まれた三年前とその真っ赤な鳥がいた時期が被ってるんだよね」
「あ、そうか。数年前からって言ったもんね」
「真っ赤な鳥を全く見ないことはないって人はいなくて、数人はいるんだよね。その人たちが掲示板で書き込んでいたのは『三年前』に見たって書き込みだった」
「でも、その人たちはいるんだよね?」
「うん、一人は知ってる人だから」
明は続けた。
「私はその一人から聞いていたから、鳥の事はしってた。里ちゃんはその鳥を見てしまったのかもしれない。でも、そうしたら私の掲示板仲間は何もなかったのが不思議」
碧井の膝からデバイスが落ちた。明はそれを拾った。
「あと、その異空間っていうのが怖いね。なぜ生じたのか、だよね?」
「うん」
「私も判らない。何か条件が合って、それを満たしてしまったがために起きてしまった」
「それを解明できれば……」
「うん。ただそれが分かった所で」
碧井は促した。
「…………里ちゃんは戻ってこないかもしれない」
そう。それはあの時から分かっていた。里が生きているかも分からない。三年前の事を再現できたとしても、どうしようもない。
「……どうすれば」
神様はこういう姿を見て、笑っているのだろうか。神の使いと呼ばれる赤い鳥にも腹が立った。
「諦めないで、こうしてる間にも里ちゃんは二人に会うために、もがいているよ」
明は碧井の肩に手を置いて、発破をかけた。
「まずは、掲示板調べてみるから。そこから考えよ」
「……ありがとう」
帰宅する生徒の数が増えて、田舎道に集団が現れるようになった。
「明はどうしてそこまで」
言ったのは自分だが、断られれば別にそれはそれで良かった。
「田辺さんが話してくれて、悩みを抱えているのは私だけじゃないんだなって思ってさ。私も進路や家庭の事で悩んでたからさ。仲間がいてホッとしたよ」
「……そう」
「あ、ごめん。『さん』付けしちゃった。碧井ちゃんでいいかな?」
「うん」
里が自分のことを「碧井ちゃん」と呼んでいた。懐かしい響きだった。
田舎なので、進学するところは限られていた。学力的に碧井と里は同程度で、一緒に進学する予定だった。
中学の頃はそれぞれ部活に入っていたので、中々、遊べなかったが、それでも時間をつくっては里、慶也、碧井の三人で行動していた。
この三人で遊ぶようになったのは、小学校のグループワークで三人が集まったからだ。
碧井が慶也に好感を持ったのはこのグループワークでだった。そして中学生になって慶也に好意を持った。理由は覚えていない。
優しい人、とか女子は好みのタイプとして挙げるが、それはそうじゃない男子もいるけど、大体は優しいと思う。友人の内の何人かに慶也の事を話すと、
「優しいからねー」と返ってきた。碧井はそんな単純な話じゃないと心の中で反発した。しかし、理由を問われても説明できない。
「――碧井ちゃん」
明に話しかけられていたことに気が付かなかった。
「ごめん、私さ、そろそろ帰らなきゃいけないんだ」
「あ……、ごめんね」
一時間以上経過していた。
「ここからバスで二十分掛かるんだよね。今は慣れたけど、最初は嫌だったなー」
夕日を背景に田園風景が橙色に染まっていた。明は田園を眺めた。
「良かったら、連絡先交換しない?」
明の提案に碧井は頷いた。お互いに交換し合って、その場で解散になった。
「里ちゃんのために、森君のためにもね!」
明のお茶目な一面に碧井は微笑んだ。相談して良かったと思った。
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