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雲が連なって巨大な海洋生物と化し、空を浮遊していた。陽光がそれを後ろから照らしてその雲の輪郭をくっきりさせていた。
連絡を待つ間、手持ち無沙汰だった。碧井は考えていた。三年前、あの空間が突如、現れ、友人の里を飲み込んだ。それはどうやって生成されたのか、判らない。
時空線と時空線の交点でデバイスを動かすというのはただの妄想だろうか。里がいた頃、時空線はあったのだろうか。
碧井はデバイスに目を戻した。形状は携帯電話と似ていて、個人の思想が入った機械だった。碧井はデバイスのボタンを押して声に応えた。
「……いないよ、ここには」
「マジかー、いねぇのかな」
大きい声が返ってきた。碧井は帰りたいとため息をついた。わかった、と向こうから声がして通信が切れた。通信が切れたと同時にザッと音がしたので、顔を向けた。
「田辺じゃん、何してんの」
メンドイから坊主にしたと数日前に言っていたが、慣れなかった。
「あれ、探そうぜって」
「健か。またやってるんだな」
慶也は笑った。
「部活?」
「いや、補習。やっぱり出ないといけなくて」
慶也は日差しを手で覆う仕草をすると、すぐにその場を後にした。中学の頃、慶也と古い地元の本屋にいったことがあった。慶也は店主のおばあちゃんと親しげに会話していた。
足音がしたかと思うと、慶也が戻ってきて碧井の直線上に立った。
「……まだ、行方はわからない?」
軽い足取りとは裏腹に重い口調で言った。
「うん、まだ……。分からないことが多すぎて」
苦い表情をして答えた。三年前にいなくなった里のことを慶也は心配していた。慶也は彼女の事が好きなので、こうやって碧井と話をしたりする。
「探すか……」
「うん、私もそのつもりだから」
じゃあ、また、と碧井と慶也は別れた。
家に帰る途中、碧井は暑さに耐えながら、買い物袋を持っていた。
「いやー、助かったよお姉ちゃんがいて」
妹の律は肩を回して、いかにも楽になったアピールをした。
「普通に、重いんだけど」
「いいじゃん、荷物少ないんだし」
スポーツカバンを利き手に掛けなおした。バッグには自分の名前が書かれたシールとキャラクターのキーホルダーがついていた。
律は碧井に一生懸命、今日の試合のことを語っていたが、碧井は生返事をしているだけだった。
碧井は妹と肩を並べて帰宅した。茶色い簡易テーブルの上にあった焼うどんを温めて昼食の準備をした。タッパーの紅しょうがをうどんの上に乗せながら、律の話の続きを聞いていた。
食事が終わると、律は足早に出掛けていった。碧井もデバイスを手に取り、家から出た。デバイスをポケットにいれて、戸の鍵を閉めた。
道端に備えられている充電塔にデバイスを繋げて充電を開始した。このデバイスは一日に一回は充電しないと機能しなくなる。中学、高校の六年間でこの一つのデバイスを持ち続ける。中学の入学時、全員に配布れ無くさないように国から注意を受ける。一人一人番号と記号を合わせた所有ナンバーが振られる。
所有した当初は、ただのデバイスだったが三年前に起きた出来事によって、碧井はこれを大事にするようになった。
三年前、碧井が中学三年生の頃。
デバイス、俗称「AND」の様々な噂が学内で飛び交っていた。碧井、慶也、里の三人は秘密の領域に踏み込んだ。
「え、何、これ……」
碧井は動揺していた。横にいた慶也は動くことができなかった。
里の目の前に黒い、異空間が現れた。巨大でパックリ割れたように穴が空いていた。碧井は自然と慶也の手を取り、逃げようとした。里にも声を掛けたが、間に合わなかった。里はその空間に飲み込まれた。
何もできなかった。慶也が叫んでいたのを碧井は覚えていた。そこで慶也が里の事を好きだと判明した。
雲の多い青空が広がっていた。何もなかったかのように景色は元通りになっていた。
充電完了のランプが点滅した。碧井はデバイスをケーブルから外した。地面に叩きつけようとしたが、堪えた。
三年前の場所は、ここから背伸びすると見えた。地元の山の中にある開けた場所。今は雑草が生い茂って、荒れ果てている。
それ以降、夏の時期に図書館でデバイスの歴史を調べたり、山の近くに住む住人に聞き込みをしていた。少しでも里に近づけたらと。収穫はほとんど無かった。碧井は山に足を向けた。
山の入口に立つと、デバイスを握りしめ山の上の方へ視点を合わせた。
小さい山なので険しくなく、高校生でも頑張れば行ける道が多い。地元のスポーツチームや部活動の学生らが入っている姿が夏になると散見される。
広く整備された道を行くと、小さい抜け道があった。そこを地面に手をつきながら登った。
元々は私有地だったが、所有者の元に学生が良く遊びに来るようになって山を利用させてあげた。所有者は亡くなって今は家族の人間が管理している。
碧井が到着して、十分経った。
「やっぱりここにいたか」
慶也が右手にデバイスを持って現れた。
「家の用事あるって言ってなかった?」
「姉ちゃんに任せてきた。今日は大学行かないっていうから」
「……お姉ちゃんは元気?」
「ん?元気だよ。碧井ちゃんまた遊ぼうって言ってたよ」
慶也は笑って、頭を触った。
「そう……」
何となく会話が続かなかった。碧井は嫌だった、慶也と話すのが。まるで里を利用して慶也と一緒にいるから。申し訳なかったし、ずっと苦しんでいた。慶也が里の事を好きなのを知っているから、より辛かった。
「そういえば、姉ちゃんが言ってたんだけど」デバイスに指を差しながら『大学生になったら急にいらなくなる』ってやっぱ変だよな」
デバイス「AND」は学生の間は持っているように言われるが、大学生になると邪魔に感じて破棄する人間が大半だが、何も起こらない。
碧井は複雑な気持ちで慶也の話を聞いていた。中学、高校の六年間だけ必要な理由がどこにあるのだろうか。
クラスメイトの健がデバイスを誤って失くしたときは、周辺の聞き取り、親への連絡等、スーツ姿の役人と思しき人間が周りにうろついていた。碧井も注意を受けた。
「それは私達が未熟だから、とか?」
「あー、監視のためのデバイスって噂もあるから無くはないかも」
慶也はその場に座った。
「正直、判らなすぎて、最近は疲れて何もできていないというか」
ここ最近の慶也の沈んだ表情はこれが原因だった。いつもなら補習を受けるような成績など出さなかった。
「……じゃあ、一回」間をおいて「里の事から、離れてみない?」
自分でも性格悪いと思った。碧井は恐る恐る訊いた。
「……うーん。でも俺は、探したいかな」
碧井は怒られると思ったので、ホッとしたが、言ってしまったことを少し後悔した。
「……私ももちろん手伝うよ」
とっくにコップの中の恋心はあふれて外に出ていた。中に戻すことはできないし、したくなかった。
「じゃあ、どうすっか」
「図書館に行って調べるよ」
「俺は、と思ったけど補習があるから、田辺に任せるわ。何か判ったら逐一、教えて」
慶也は去り際に「後で、勉強も教えて」と言い残して山を下りていった。碧井は慶也の後ろ姿に瞳を揺らした。
碧井も山を下りて、地元の図書館に向かった。中へ入ると、白を基調とした造りで、天井付近にオシャレな明かりがついていた。外界との気温差に鳥肌が立った。
目的の場所まで歩いて、書棚の前に立った。何冊か本を手に取り、近くのイスに座った。夏休みということもあって、勉強している学生の姿が多くなっていた。よくこんなに勉強するなぁと感心しながら、一冊の本を開いた。
図書館に併設されたキッズルームでは親子で遊んでいたり、子供が一人で絵本を読んで独り言を言っていた。碧井のほうにもかすかに彼らの声が聞こえていたが、静かな場所には変わりなかった。
堅苦しい文章が並べられていて、頭に入ってこなかった。活字を読むのが苦手な碧井は本を閉じた。
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