硬質な音

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硬質な音

舘林亨輔(たてばやしきょうすけ)くん」  俺の名を呼んで、白衣のジジイが溜息をついた。 「君がスポーツ選手でなければ、『完治です』と、言ってあげられるのだけどね」  ちょっと待て。  そう言いたいのに口から何の音も出なくて、下半身は身動きが取れないくらいに重たくて、ただ手を伸ばした。  待てよ。  待ってくれ。  夏の大会の途中なんだ。  この大会の成績で、俺の未来が決まる。  完治じゃないってどういうことだよ。  俺のバレーボール人生、ここで終わるのか?  今までの俺の頑張りや、これから描いていた予想図が、全部無駄になるっていうのか?  口から言葉は出ないのに。  だからこそ。  ぐるぐるといろんなことが頭の中を駆け巡る。 「まっ……!」  やっとのことで声を出したところで目が覚めた。  そう、覚めた。  俺がいるのはやたらと可愛い色合いの部屋の、ベッドの中。  時々泊まらせてもらっている、そういう関係の女友達の部屋だ。  眼だけ動かして時計を確認する。  午前一時。 「ああ、ゆめか……」  まだ十代の終わりで、さほど長くもない俺の人生において二番目にサイアクな日の記憶。  俺のこれまでの人生に、強制的に幕を引かれた日。  一番は腰を悪化させて救急車に乗せられた日。  いやな記憶。  窮屈な姿勢が気になって、体をずらした。  ごく普通の女子大生の友達が一人で眠るにはちょうどいいだろうベッドだけど、バレーボール選手だった俺と二人で眠るには無理がある。  対角線使って横になっても頭つっかえるし足ははみ出すし、そこに友達が密着するもんだから、身動きが取れない。  夢の中で動けなかったのは、きっとこのせい。 「……なぁに?」  寝ぼけた声が隣からしていたけれど、それには構わずにベッドを下りて服を身に着ける。  むくりと体を起こした友達の顔は、栗色に染められたウェーブヘアで見えない。 「きょーすけ、もう行くの?」 「バイトあるから」 「夜中なのに?」 「うん」  実際のシフトは朝の四時からだけど、目が冴えてしまった。  今から一度自分のアパートに帰って出直すのがきっとベスト。 「ふう……ん」  会話しながら身支度を整える。  不機嫌そうな友達の声。  面倒くさそうに髪をかき上げてから、ベッドの上にぱふんと体を横たえて、じっと俺を見る。 「じゃ。鍵、いつもの通りでいい?」 「うん」  大学生の一人暮らしにはちょっと手狭なアパート。  玄関の下駄箱の上から鍵を手にして、靴を履く。  事後、俺が出るときには外から鍵をかけて郵便受けに落とすのが、いつものやり方だ。  ドアに手をかけたら、声がした。 「ねえ……次からは前もって連絡してね、()()()()」 「ああ。わかった。ありがとう」  さっきまで『きょーすけ』と呼んでいた女が、呼び方を変えた。  まあそういうことだろう。  体の関係はあったけど、お互いに好きあって付き合っていたわけじゃない。  見た目がまあまあのアクセサリが欲しかった女と、あり余った時間を消費する相手が欲しかった俺。  都合がよかっただけのこと。  だから、俺はいつもそうしていたように部屋の外に出て鍵を閉めて、郵便受けに鍵を落とす。  かつん、と硬質な音がした。
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