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少女が第二王子と婚約したのは、七歳の頃。
第一王子の生誕祭に関わった父親に付いて訪れた王宮は、見たこともないほど広く美しかった。己が住む邸とは比べものにならない。
ひらりと舞う蝶のように庭に踊り出た可憐な少女は、花香る庭園の奥で第二王子と巡り会う。刹那、まるで運命の邂逅であるかのように、荘厳な鐘が響き渡った。
美しい金色の巻き毛は柔らかな風になびき、それはさながら天使のごとき――
「盛りすぎじゃないですか、それ」
「大袈裟なぐらいでちょうどいいのよ。わかっていないわねルークは」
振り返り、右手に持っていたペンを従者に突きつけて、テレサは言う。
「本当のことを書く必要はないの。フリッツが庭にいたのは迷子になっていたのだとか、泣きべそをかいていたとか、そんなことはどうでもいいのよ」
「いえ、私が言いたいのは、悪役の立場である少女が主人公じみていることについてでして」
「流行りらしいわ。王子の恋を邪魔する少女は、公衆の面前で断罪されるのですって。悪趣味よね」
肩を落とし、これ以上の問答は受け付けないとばかりに、机に向かう。
忘れないうちに書き留めておかなければ。小説においてリアリティは大切。読者の感情を揺さぶるには、己自身の叫びを込めなければならないはずだ。
「しかし見せ場である婚約破棄シーンにおいて、お嬢様の投影である少女が震えるのは、屈辱でも哀しみでもなく歓喜なのでしょう?」
「わたしの気持ちはどちらでもいいじゃない。どう感じるかは読者にお任せするわ」
「作者のリアルな感情とはなんだったのか」
「うるさい」
口出しはするけれど、テレサのやっていることを決して否定しないルークは、よい従者だと思う。
十歳を機に父が付けてくれた彼は、家族にも等しい存在だ。貴族令嬢のくせに、物語を書いてみたいだなんて、俗っぽい趣味を秘密にしてくれている。
テレサは本が好きだ。
絵本に始まり、年齢を重ねるにつれ幅も広がり、一般に流通している大衆小説も読むようになった。外交官をしている父親の伝手で、外国の本だって手に入るのだ。ドルステン伯爵家の蔵書は多岐に渡る。
代々、読書家であり好事家でもあるため増える一方。父の代になり、敷地の隣に図書棟を建ててしまったほどだ。
利用者は主に王宮の文官や研究員。もともと有名だったドルステン家の蔵書が気軽に読めるとあって、文献や論文などを参考にするべく通ってくる。
一角には物語の書架もあるが、そちらの利用者はまだ少なかった。商業区にある貸本屋のようにはいかないらしい。
だからこそ、こうして趣味に勤しむことができるのだが、できればたくさんのひとに手に取ってもらいたいというのが、父から図書棟の管理を任されたテレサの願いである。
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