詰みは、罪である

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詰みは、罪である

「へえ〜、パパ、かっこいいね!」 話し終えた後、娘が夫に向かってそう言った 「もう10年も前だからなあ。 そんなこと、言ったような言ってないような」 「ちょっと、告白の言葉を忘れたとか言わせないからね?」 そう言って私が睨みつけると、「冗談だよ」 と言って、笑った夫 あの対局から10年 私たちは結婚し、娘も生まれた 娘の名前は「香央里」 真っ直ぐ、堂々と生きて欲しいという意味で、夫が名付けた 彼らしいなと、私は温かい気持ちになった 「ママ、将棋しよーよ!」 そう言って、香央里が将棋盤を出してきた 「いいわよ。 ママ、強いからね?」 ――― パチンという音が響く 香央里は、私の置いた駒を見ることも無く、すぐに自分の駒を置く 「ねえ、香央里?」 「なに?」 「いいこと教えてあげよっか」 そう言って私は、香央里の顔を真っ直ぐ見る 「相手の気持ちを考えて、相手の気持ちを読む。 そして、相手に1番有効な手を打つ。これこそ、将棋と恋愛の1番の共通点である」 ぽかんとする娘に、私は続ける 「将棋ってね、ただ自分の攻め手だけを考えていてはダメなの。 相手の攻め手も考えなきゃいけない。 じゃないと、自分が相手を追い詰めていたつもりが、いつの間にか、自分が追い詰められていることがあるの。 恋愛においてもそう。 自分がアプローチする事だけを考えて、相手の気持ちを考えないのはダメ。 相手の気持ちを理解して初めて、そこに"恋愛"っていうものが生まれるの」 これは、10年前 夫が言った言葉 チラッと夫を見ると、コーヒーを飲みながら、ニヤニヤと笑っていた 「それと、もう1つ」 私は娘の方を向く 「"詰みは、罪である。攻め手においても、守り手においても"」 「ツミワツミデアル?」 「そう、詰みは罪なの。 これはお互いに言えること。まず攻め手の場合、 人を追い詰めるような人になってはいけない。人と接する時は、1歩引いて、心地良い距離感で話してあげることが大事なの。パパなんて、ママを何回追い詰めたことか」 「おいおい、それは将棋の中での話だろ?」 勘弁してくれと呟いた夫を無視して、私は続けた 「そして守り手の場合、相手に王手をかけられても、簡単に詰みだと諦めてはダメ。 必ずどこかに逃げ道はある。 そこから逆転する道だってある。 それを、最後の最後まで探し続けることが大事なの。人生においても、恋愛においても、すぐに諦めるような人にはなってはいけない。」 「――うん、分かった! 」 香央里は少し考えながら、笑顔でそう答えた たぶん、この歳ではまだ分からないと思うけど、伝えることが大事なんだと思う 「将棋は色んなことを教えてくれるの。 生き方、考え方、人との接し方、そして、運命の人との出会い。香央里もいつか、誰かと向かい合って、対局する時が来る。その時は、相手のことを考えて、読むことが大事なの。すると、いつか必ず、あなたの運命の人に "成る"人が、"参ってくれる"はずだから」 そう言って、微笑んだ私を見た香央里は、誰かの顔を思い出すようにして、頷いた ああ、娘もそういう時期なのかと、私は少し、嬉しくなった 相変わらず呑気にコーヒーを飲んでいた夫 でもその顔は、どこか昔を懐かしんでいるような顔だった ――― 将棋と恋愛は似ていると思う 今度は香央里が、私たちを持ち駒として動かすのだろう 香央里が目指している"王"は、どんな人なのだろうか 果たしてその人は、香央里にとって、運命の王なのだろうか そんなこと、今は分からない もしかしたら、王ではないかもしれない 香車のように、とにかく真っ直ぐな人 桂馬のように、ちょっと変わった行動をする人 歩兵のように、コツコツと進み続ける人 飛車や角行のように、周りからの人気者のような人 銀将のように、相手の心を掴むのが上手い人 金将のように、ずっと自分の傍に寄り添ってくれる人 将棋の駒のように いや、それ以上に、色んな人がいる その中で 自分のところに"参ってくれる"人は、どんな人なのか それを見極めるのもまた 私たち、持ち駒の仕事なのかもしれない なんにせよ、願いは1つ 私たちが、幸せな夫婦に"成れた"ように 香央里も、幸せな人に"成れますように"―― ※将棋用語解説 王...自分と相手に1枚ずつある駒。これを取 ると勝ち、取られると負け。 金...駒の1つ。正式には"金将"。縦と横、斜 め前方に1つずつ動ける。 成る...相手の王に一定以上近付くと、その駒 を裏返すことにより、金と同じ動きが できるようになる。ただし、金と王は 成ることができない。 王手...次の一手で王を取れる状態のこと。 原則、言わないといけないという決ま りは無いため、プロではほとんど耳に することがない。 詰み...どう動かしても、次の一手で王が取ら れてしまう状態のこと。 香車...駒の1つ。前以外は動かせないが、前 ならどこまでも進める。成ることがで きる。 参りました...詰みになってしまった時、相手 に言う言葉。「負けました」 や、頭を下げて、台に手を置く こともある。 桂馬...駒の1つ。前に2つ、左右に1つ進んだ ところのみに置ける、変則的な駒。成 ることができる。 歩兵...駒の1つ。前に1つだけ動くことができ る。成ることができる。 飛車...駒の1つ。縦と横に、どこまでも動く ことができる。成ることができる。 角行...駒の1つ。斜めにどこまでも動くこと ができる。成ることができる。 銀将...駒の1つ。前と、斜め前後に動くこと ができる。成ることができる。
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