『葦牙の如く萌え騰る』

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私が歩むことを止めぬのは、その最中にて、様々な言葉が滾々と心の深奥から湧き出てくるからだと思う。 黙々と歩む最中にて、空が湛えている様々な彩り、その移り変わりの様を目の当たりにし続けることはじんわりと楽しい。 昼過ぎに家を出る頃には抜けるような青だった色合いの空が、陽が西へと傾くにつれ、何処か寂しげな影を纏い始める。 時を経て、いよいよ日没が近づく頃、空の色は去りゆく陽を労るかの如き淡い水色を帯び始める。 そして、陽が沈んだ後は、残照を孕んだかのような藍の如き暗青色を、天の頂きから降りて来たかのような黒の帳が次第次第に包み込んでいく。 漸く家へと辿り着く頃には、空の色はすっかりと闇の色に染め上げられ、そして、ちらほらと星々が瞬いている。 時の流れと共に刻々と変わりゆく空の色を、独り歩きながら眺めていると、その妙を言い表したい気持ちが沸々と湧き上がって来てしまう。 空の色のみならず、季節の移り変わりを目の当たりにすること、そのことも私の心に数多の言葉を湧き出でさせるもののように思えてしまう。 例えば、田の移ろいを見続けること。 それは楽しくもあれば、何処か愛おしくもあるし、そしてまた切なくもある。 冬の間は荒れ地の如き姿を見せていた田が、春の訪れとともに耕されて息を吹き返し、桜の季節になると水を湛え、そのうちに幼き苗を迎え入れる。 まだ頼りない苗を迎え入れたばかりの田に、初々しい緑で彩られた山々がその姿を映す様は堪らなく美しい。 梅雨の時期を経、初夏の若々しい陽光を浴びる深緑の稲の葉が、微風にその姿を揺蕩わせる様は実に溌剌としたものであり、誠に目を瞠らされる。 晩夏ともなると、次第次第に稲穂も膨らみ始め、微風に揺蕩うその様は、どこか重々しい印象を与えるものとなる。 そして、初秋ともなると稲穂は黄金へと色付き、いよいよ刈り入れの時を迎える。 稲田を駆ける四角く赤白のコンバインが、金色の稲穂を直線的に刈り取っていく様は、田の上を過ぎてきた緩やかな季節の流れが、人の営みによって無機質に終わらされてしまうようにも感じられるし、そのギャップには何とも言えぬ面白みを抱かされてしまう。 稲株が取り残された田の様は何とも言えぬ寂しさに満ちている。 響き渡る雀の囀りや風の音、それらの響きは何も言えず虚であり、そして、寂しくも感じられてしまう。 春から夏にかけては、それらの響きは稲が受け止めてきたのであろうし、稲もそのざわめきに応え続けてきたのだろう。 漂う虚さや寂しさは、嘗て田を満たしていた交歓の残り香のようにも思えてしまう。
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