『葦牙の如く萌え騰る』

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思い返してみると、都内で暮らしていた時分も、よく歩いていた。 週末の度に昼過ぎには神保町へと赴き、そして、本屋などを巡っていた。 一頻りの冷やかしの後、喫茶店などに立ち寄って無為な時を過ごし、そしてまた本屋を巡る。 陽が沈む頃になると、神保町から水道橋駅方面へと歩みを進め始める。 陽が落ち彩りが影に塗り潰された分、街の輪郭は際立っているように感じられ、店々を飾るけばけばしい灯りは、網膜へと無遠慮に押し入ってくるようにも思われた。 行き交う人々や駆け行く車が為すざわめきは、絶え間なく耳を擽った。 ようやく水道橋駅付近へと辿り着くと、今度は線路沿いへと歩みを進めた。 人通りが疎らとなった線路沿いの道には、総武線を駆ける電車とレールとが奏でる低く重く規則正しい金属音が響き渡っていた。 視線を上げると幾多のビルが為す直線によって切り取られた、仄暗く狭苦しい夜空が広がっていた。 歩みを進めるうちに飯田橋駅へと辿り着いた。 飯田橋駅界隈は猥雑な喧噪に満ち、様々な暖色の灯りが街を彩っていた。 飯田橋駅前を過ぎ、お堀端を市ヶ谷方面へと歩みを進めた。 その頃になると、ようやく空を広く感じられるようにはなったけれども、闇色とは言い難い、黒灰色といった色合いの空は、どうにも無表情に感じられて仕方が無かった。 都内を歩む中で、言葉が私の中から湧き出てくることは無かったように思う。 それは、私が歩んでいた街の中は、人が作り出した言葉で溢れ返っていたからではないかと思う。 私自身が私の目に映るものを語る必要も無いまでに、それら言い表す言葉、或いはそれらが存在を主張する言葉が、過剰なまでに満ち満ちていたからだと思う。 そして、目に映る事柄に不可思議さや得体の知れ無さ、或いは私の心に揺らぎを呼び起こす要素は内包されていなかったからだと思う。
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