『葦牙の如く萌え騰る』

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今、この地において、半日を費やして歩みを進める中で目にする空の色の移り変わり、それは不可思議さに満ち満ちているし、得体の知れぬ意思に支配されているようにも思えてしまう。 そして、その色合いの妙を、その移り変わりの不可思議さを、何とかして言葉にて表わしたいとの衝動に駆られてしまう。 季節の移ろいを目の当たりにすることは何処か哀しい。 それは、時に置き去りにされてしまった季節を、もっと貪っておけば良かったとの悔いに苛まれるから。 新緑の季節には桜の花が恋しくなり、緑が力を漲らせる盛夏の候には初々しく優しげだった新緑が恋しくなる。 稲穂が金色に染まる初秋には、夏の陽光を存分に貪っていた稲の力強い緑が恋しくなるし、雪が舞い降りて野も山もモノトーンに塗り潰されてしまった晩冬の頃には、山々を錦に彩っていた紅葉が暖かく懐かしいものとして思い返されてしまう。 季節の移ろいは、私の心の中に哀しさ、或いは悔いといった揺らぎを容赦無く掻立ててしまうものだし、そして、悪戯めいた含み笑いを残しながら素っ気なく駆け去って行くようにも思えてしまう。 私が切なく、そして悔しくも思うのは、駆け行くように、そして逃げ去るように変貌を遂げていく空の色や季節の彩りを表わそうとする私の言葉は常に舌足らずであり、その変貌に追い付くことは絶対に叶わないことなのだ。 私の中にて諸々の言葉たちは、『葦牙の如く萌え騰る』と言わんばかりに、まるで急き立てられるかのようにして姿を為そうとする。 けれども、その有姿はありのままの自然の姿に対し、常に歪で、常に不十分であるし、そして、私の中の言葉が姿を為そうとするその速度は、自然の移ろいの速さに追い付くことは決して叶わない。 そのことは、私の中に切なさ、或いは悔いをもたらしてしまう。 そして、その切なさや悔いは、私を次の歩みへと駆り立ててしまう。 存分に姿を為し得なかった言葉達は、私を独りきりの半日の旅へと飽くことも無く駆り立てるのだ。
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