7人が本棚に入れています
本棚に追加
幾重にも繋がれた銅巻管の中を流れる低粘度オイルのように
ブラック企業に就職して3年。よくある話で申し訳ないのだが僕は死んだ。
突然死だ。
死因は精神異常、脳血管疾患、心臓疾患、虚血性心疾患による体調の悪化のようだ。このような死に方を過労死と言うらしい。だがそんな事はどうでもよい。その後の事の方が思う所があって憤っている。
これは死んで初めて解かる事なのだが死後の世界は天国や地獄的な所では無い。三途の川も無いし閻魔様も神様もいない。では死んだらどうなるのか? 結果を言うと自我と記憶だけが肉体から切り離されてプヨプヨした存在になるのだ。
どうして鏡も無く自分の姿が見えない状態でプヨプヨしている事が分かるのか? それは周りに同じようなモノが沢山いるからだ。そしてそれらとほぼ同速でゆっくり流されてるのが現状だ。
このプヨプヨした存在になった後からがまたまたきつい。
何がきついかと言うと、それは生まれてから死ぬまでの一生を一人称視点でひたすら何回も何回も回想することになるからだ。
前述できついと表現したが特にその内容に関して回顧的、悲痛的、寂寥的にきついわけでは無い。
では何がきついのか、それは一生分を回想した回数を数えるのがきついのである。
なぜ回数を数えると言う苦痛に苛まれなければならないのかは不明だが、そうしなければならない謎の義務感から数えることが止められないのである。
そして今もまた一生分を回想をしている。12億8321回目だ。
この繰り返される回想を何回も見ていると微小な違いに気付くことができる。
”アレ? 何だか少し違うぞ”
と、まあ、毎回こんな感じに新しい疑問をいだくのだが、この現象は恐らく欠如していた記憶が思い出されて内容が都度更新されているからだと推定できる。
最初のコメントを投稿しよう!