12-4.くるみの覚悟と実篤の決意

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***  台風から数日後の九月十三日は実篤(さねあつ)の誕生日だったのだが、正直それどころではないと思っていた実篤だ。  だからその日もいつも通り。  仕事を失って家で留守番してくれているくるみに行ってきますのキスをして、「なるべく早めに帰るけん」と言ったら「約束ですよ?」と上目遣いに見詰められた。  そんなことは今までなかったので「おや?」と思いはしたけれど、考えてみればここ数日、くるみは日中、家に一人きりでいるのだ。  (きっと寂しいんじゃろうな。早よぉ何とかしちゃげんと)と思って。  でも――。  夕方に仕事を終えて帰宅してみたら、家の中がほわりと甘い匂いに(あふ)れていて、思わず何事かと思ってしまった実篤だ。 「実篤さん、お帰りなさい!」  玄関先で靴を脱ぎながら(何の匂いじゃろ?)と鼻をひくひくさせていたら、エプロン姿のくるみがパタパタと嬉しそうに駆け寄ってきた。 「くるみちゃん、ただい――」  「ま」まで言い切らないうちに、ギュウッとしがみ付いてきたくるみに、実篤の心臓はバクバクだ。 「手ぇ(あろ)うたりしよったらお出迎えが遅うなりました。――あのっ、実篤さん! お誕生日おめでとうございます!」  ふんわりと紅茶の香りをまとったくるみが、腕の中でニコッと微笑むから。  条件反射的にその小さな身体をギュッと抱き締め返したら、すぐ間近。  色素の薄い大きな目できゅるるんっと見上げられて、その余りの可愛さに実篤は胸が苦しくなった。  バタバタし過ぎていて、自分では本当に誕生日のことなんてすっかり失念していた実篤だ。
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