12-4.くるみの覚悟と実篤の決意

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「……ありがとう」  思わずくるみのへの愛しさに気圧(けお)されて返事が遅れて。  くるみに「もう、実篤(さねあつ)さん。もしかして自分の誕生日、忘れちょったん?」とクスクス笑われてしまった。  誕生日ケーキは、くるみが紅茶のシフォンケーキを手作りしてくれていたのだけれど。 (ああ、それでこの匂い……)  リビングに入るなり所狭しと並べられた料理と、ふわふわのシフォンケーキが目に入って、色々合点(がてん)がいった実篤だ。  もしかしたら車がなくて、ケーキ屋に行けなかったというのもあるかも知れない。  だが、甘いものが苦手な実篤には市販の生クリームたっぷりのケーキより、くるみが作ってくれたあっさりとした味のシフォンケーキのほうが嬉しかったから何の問題もなかった。 「うち、パン作りは得意なんじゃけど……ケーキは専門じゃないし焼くん自体久々じゃったけん。失敗するか思うてドキドキしました」  ――実は材料も一回分しかなかったので、とはにかんだくるみだったけれど、実際『くるみの木』で彼女が焼くシフォンケーキは人気メニューのひとつなのを実篤は知っている。  くるみが焼いたシフォンケーキのきめ細かさとふわふわの食感を味わったら、他所のシフォンケーキは食べられなくなるとお客さんがよくベタ褒めしていて。  実際リピーターもとても多かった。  今回は慣れない栗野家(くりのけ)の古臭い台所で。  なおかつ慣れない調理器具と慣れないオーブンを使って焼いてくれたから、きっといつも通りには作業がはかどらなかったはずだ。  なのに――。  家があんなことになって辛くてたまらない時期だろうに、こんな風に自分のために色々してくれたくるみの健気さがたまらなく愛しく思えた実篤だ。
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