第8章 変化と成長

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 家の前まで行って、僕はレンファをセラス母さんに預けた。  キツネ目は不服そうだし、ウシみたいに優しい目は不安そうだし――馬車を家の横につけているクマもこれでもかと顔を顰めていて、嫌だなあ。  幸せに暮らしていたのは僕1人で、家族は何度も嫌な思いと怖い思いをしていたんだ。  守ってくれたのはすごく嬉しいけれど、僕だけ仲間外れで幸せだったのが少し寂しい。  チラッと痩せた女を見ると、厳しい目つきをしている。こんなに怒った顔は村に居た時でも見たことがない。  たぶん、いよいよ余裕がないんだ。大事な()()()()は死にかけで、どうしようもなくて――だから会いたくもない化け物を探しに来て、そして本当は食べさせたくもない、化け物の肉を食べさせようとしている。  それで大事な人が少しでも長生きできるなら、なんだってしたくなるだろう。  僕だって「僕の肉を食べさせればレンファが長生きする」って断言されたら――何をするか、分からないもんね。その気持ちは分かるよ、応じるかどうかは別として。  僕は「こんにちは」って挨拶しようと口を開きかけたけど、それよりも先に女が喋り出した。 「ジェフリーをこんな目に遭わせて……これで満足!? 弟を呪うだなんて、この人でなし!!」 「……呪う? 僕はそんなことしてないよ」  いきなりおかしなことを言われて、僕は首を傾げた。  呪ってどうにかできるものなら、たぶんもっと早くに――村に居た時に呪っている。でもあの頃は、家族に対してそんな感情を抱くこと自体が罪だと思っていたからなあ。  そもそも――僕は、セラス母さんから「後悔するような「ざまあみろ」はやめなさい」って教えを受けているんだ。  こんなのでも僕の元家族。僕の手と心を汚してまで、どうにかすべき相手でもない。放っておいてくれたら、僕はそれで構わないのに。 「呪いのせいに決まっているじゃない! アルが村を出てからというもの、私たちがどれほど酷い目に遭ったか……!」  女はジェフリーの肩を抱いたまま、狂ったように不幸を叫んだ。  どうも彼らは、僕を追い出した後に村人全員から無視されるようになって――いわゆる、村八分にされたらしい。  せっかく村と家から邪魔な化け物が居なくなったのに、どうしてそんなことになるのかな。  理由はよく分からないけど、女の話すことを信じるならば「呪いで突然」だ。  物々交換でしか品物を入手できない村で無視されるのは致命的だ。  特にウチは、農業も畜産もしていない木こりと彫り細工師。自力で食べ物を手に入れるには、森で拾うしかなかった。  村の牛肉も脂も、牛乳も手に入らない。米や麦、布だって交換してもらえない。  せっかく作った薪や木工細工も、街まで運んで商売してくれる人が居なければただの木だ。冬に燃やして暖がとれるだけ、まだマシかな。  段々食べるものに困るようになって、3人家族はどんどん痩せ細って――栄養が足りなくなれば、体も弱くなる。  そうなれば、ただでさえ体の弱いジェフリーがますます体を壊したっておかしくない。  村中に無視されても、薬師のお婆さんだけは薬と薪を交換してくれたらしい。  ――「人の命に係わることだから」なんて言っていたらしいけど、たぶんお婆さんは薪が欲しかっただけだろう。  自分で用意するには、伐採も裁断も乾燥もしんどすぎるからね。  だけど、村でつくられる薬の効果なんてたかが知れている。  そもそも、村ではどうにもできないから父さんだった人は『魔女の秘薬』を探して、ゴミクズの僕と交換したんだもん。  ジェフリーは年々、日に日に体を悪くした。見た目も瘦せっぽっちのボロボロで、体だって成長期の大事な時期に栄養を取れなかったせいで、大きくならなかった。  そうして皆に相手にされなくなった、力も体も弱い男の子。どれだけ汚れても、洗えばそれなりに見られる子。  ――僕は、()()()()()を狙うのが好きな女の人を知っている。  彼はたぶん僕と同じか、それ以上の目に遭ったんじゃないだろうか。  この女が言うには「村の女の憂さ晴らしで痛めつけられて、もう使い物にならない」って話だけど――仮にそれが本当だとしても、たぶん他にもっと深刻な虐待を受けている。  しかも、下手をすればその虐待は今も続いているだろう。彼が潰されたのは体じゃなくて、心の方なんじゃないかな。  村の人気者で、皆からあれだけ可愛がられていたジェフリーがそんな目に遭うなんて信じられない。  確かに、それは「呪いだ」と言われても仕方がないかも知れない。だって普通に考えたら、理由もなく突然そんなことになるはずがないんだから。  喚き散らす女が抱いている小さな男。俯いているから表情は分からないけど、体は震えていて――頬には涙が流れている。  誰よりも顔色が悪そうだ。素人の僕が見たって、体の栄養状態が悪いことくらい分かる。 「ねえレンファ。例えば彼は、街に行けば――」  ――治せるのかな。  そう聞くつもりでレンファを見たら、首を横に振られた。  つまり、あとはもう死ぬしかないんだ。それが何日あとの話か――それだけで、どうしようもない。  どうやって、どんな気持ちで死ぬか、だろうね。 「なんの役にも立たないんだから、せめてジェフリーぐらい治しなさいよ! この子がお前に何をしたって言うの!?」 「何も、死ねなんて言ってない! どこでも良いからくれって言っているだけだろ! このまま弟を呪い殺すつもりなのか!? どうしてお前が生き残って、ジェフリーが死なないといけないんだ……こんなのは間違っている、渡さないって言うなら無理やりにでも――!」  男が「指1本くらい良いだろ、こっちは命がかかっているんだぞ!」って叫ぶと、僕の家族の纏う空気がピリリとした。  ゴードン父さんが馬車の荷台から大きなシャベルを取り出そうとしているのが見えて、さすがに焦る。  僕はたぶん、父さんだった人との力比べなら負けない。でもゴードン父さんは無理だ、本当にクマだから止められない。  セラス母さんも目尻を吊り上げて、今にも怒鳴り散らしそうな顔をしているし――レンファだって、ほとんど表情が変わらなくても不機嫌なのが分かる。  胎教によくない。次は女の子かもって言われているのに、怒りっぽい子になると困る。  とりあえず、落ち着かせないと――と言うかもう、僕とこの人たちとで話すから、皆は家に入ってくれないかな。  そうして僕が「やめて」って言えば、それに被せるようにもっと大きな「もうやめてよ!!」が響いた。  大きな声を張り上げたのは、今にもダメになりそうなジェフリーだった。
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