最終章

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 ――レンファは死んだ。たぶん僕の落ち込みようと言ったら、なかったと思う。  町へ行けば商会の人に心配されて、眼医者にも心配されて――お墓参り用の花を買えば、ルピナに心配されて。  あまりにも心配されるから、僕はできるだけ明るく振舞った。でも僕の意識だけでは、どうにもならない部分が多々あった。  ストレスのせいか、まず初めに味覚を失った。  何を食べても味が変わらずに、食感もモソモソして気持ちが悪い。食べないと家族が心配するから食べるけど、毎食苦痛だよ。  暑いとか寒いとかも分からなくなって、手もひどく冷たいらしい。――らしいって言うのは、自分じゃ温度が分からないからだ。  寝る必要性もあまり感じずに、夜はただ目を閉じるだけ。外が明るくなれば目を開いて、いつも通りの生活を始める。  そのせいで目の下のクマがとれないんだ。だから皆が、顔を見るなり心配するんだよなあ……。  実は意外と元気なんだけど――見た目が深刻だから、こればかりは仕方ないね。  別に病気している訳じゃないし、疲れてはいるかも知れないけど、死にそうな気配もない。 「――父さん、おやすみ。頼むから無理しないで早く寝てくれよ」 「分かってるよ、おやすみエルトベレ。……ああ、明日は一緒に商会へ行こうか? 父さん――君の爺ちゃんは、君に甘いからね。僕がビシバシ仕事を教えてあげよう」  胸を張ってふふんと鼻を鳴らすと、エルトベレは「父さんだって俺に甘いよ、自覚ないの?」って笑った。  僕も笑ってから、改めて「おやすみ」を言う。  ――僕は毎日、寝る前に日記を書いた。  レンファが居なくなったあとのこととか、寂しい気持ちとか……とにかく色んなことを書いた。  子供たちは寂しいって泣いて、母さんと父さんも――ずっと前から覚悟していたとは言え――やっぱり落ち込んだ。  そして、僕まで「どうにかなるんじゃないか」って心配している。一番下の子なんて、僕の日記を見るなり「パパが変になった」って大泣きするから驚いた。  別に、泣かれるようなことは書いていないはずなんだけどなあ……なんだか少しショックだ。  分厚い日記帳を閉じて、息をつく。  僕しか使わない、広いベッド。ほんの1週間前、レンファが最期の時を過ごしたベッドだ――。  布団の中に潜り込んで、どうせ今夜もまともに眠れないと知りながら目を閉じた。  ◆  ふと気付くと、真っ白な世界に居て驚いた。  夢を見るなんて、いつぶりだろう? 僕ってばちゃんと眠れたのか。  そんなことを考えている時点で、「本当にちゃんと眠れているのか?」と思わなくもないけれど……なんだかホッとして、その場に座り込んだ。  どこまでも白が続いていて、ここに居ると、全身真っ白な僕は、溶けてなくなりそうだ。  溶けてなくなりそうなのに安心するなんて不思議だね。僕はそのまま仰向けになって、大きく伸びをする。  そうして目を閉じてのんびりしていると、何かにグッと腕を引かれて起き上がる。  僕の目の前には、いつの間にか真っ白に光る人影――小人? が立っていた。 「やあ、ええと……こんにちは」  光る小人には、目も口も鼻もついてない。何も喋らなくて、ただ僕の腕を掴んだまま首を傾げた。  グイグイ引かれて仕方なく立ち上がると、僕のお腹ぐらいまでの身長らしい。 「どこかへ行きたいの?」  やっぱり小人は何も答えない。  僕は「まあ、夢だし流れに身を任せてみよう」と思って小人について行った。  ――やがて、真っ白な世界に川が流れ始める。水のせせらぎに癒されて、花畑と甘い香りが辺りに広がった。  小人が足を止めると、途端に土の香りが濃くなる。小さな指先が示す先を見て、僕は思わず「ウッ」と呻いた。  案内された小さな畑には、これでもかとにんじんが埋まっている。 「――悪夢かな……? ごめんね、僕、にんじんだけはダメなんだ……ウサギみたいな顔をしているとは言われるけれど、それは本当に見た目だけで――」  及び腰になっている僕の手を放した小人は、畑に飛び込んだ。そして立派なにんじんを1本掘りだすと、僕の口元にグッと押し付けてくる。  ひ、酷い……ダメだって言っているのに……! そして僕は、いまだに食べ物を粗末にできないんだ!  クッと顔を顰めて苦悩していると、口もついていない小人がクスクス笑った。  そして僕の口元から人参を引くと、いつの間にか近くに現れた石にこすって、擦り下ろし始める。  その見覚えがあり過ぎる動きに、僕は震え上がった。 「ああ……そんな、まだ()()()だよ、レンファ――」  ――まるで、僕にお仕置き用のにんじん茶をつくる時の、レンファの動き。  きっとすぐに迎えに来るだろうとは思っていたけれど、まさかこんなに早いとは思わなかった。 「――10年って言ったじゃないか、もう待てなくなったのかい?」  僕の声色はたぶん、呆れと喜びで震えている。 「エルトベレに、仕事を教える約束をしたのに」  小人はぴたりと動きを止めた。半分になったにんじんを握ったまま、所在なさそうに立ちすくんでいる。  僕は小さく笑って、近くに咲いている花を1輪摘んだ。それをくるりと丸めて、結んで指輪にする。 「――意地悪を言っちゃったね、嘘だよ。一緒にいこう……皆、分かってくれるから」  光る小さな左手。その薬指に指輪を嵌めた。  すると小人はパッと光が弾けるように消えて、代わりに遠くから「アレク」って涙混じりの声が聞こえる。 「レンファ」  声が聞こえた方に走る。細い小川をバシャバシャ渡って、影じゃない本物のレンファを探す。  1週間、寂しくてずっと泣いていたんだろうか? じゃあ「よく我慢したね」って頭を撫でてあげなくちゃ。 「……アレク、アレク。死んで、お願い、早く死んで――」 「分かった、死ぬよ! 一緒に終わろう! これからはずっと一緒だ、ずっと一緒に()()()()――」  ようやく見付けたレンファは、初めて会った時の幼い姿だった。  気付けば僕の身体も、左目をダメにした時と同じぐらい縮んでいる。短くなった両腕で、泣いてうずくまるキツネを抱き締めた。  ――ああ、僕はなんて幸せ者なんだろう。どうかこれが夢じゃありませんように。しっかり呪い殺されますように。  こんなに幸せな思いで満たされているのに、目が覚めて絶望しませんように――。  レンファと抱き合ったまま、僕は幸せな気持ちで目を閉じた。
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