エピローグ(挿絵あり)

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エピローグ(挿絵あり)

 緑の濃い森――ここは、かつて〝不老不死の魔女が住む森〟と呼ばれた場所だ。  森に住む魔女は永遠の命をもち、森羅万象の知識を蓄えていたらしい。彼女がつくりだす『秘薬』は万病に効く薬で、失った目玉でさえ取り戻せるような代物だったという。  しかし、不老不死だったはずの魔女は死んだ。不滅の魔女を殺したのは、たった1人の男の〝愛〟だったらしい。 「全く、よくある話だよなあ」  かつて〝魔女の家〟があったとされる、苔むしたガレキの山。  その前にある大きな切り株に腰掛けて分厚い本を眺める男は、自分の真っ白い頭を掻いた。  この地に眠っている者は居ない。  もし誰かが居るとすれば、過去何度も孤独な死と生を繰り返した()()()()()だろう。 「――もう、エルトベレ兄さんったら! お香忘れてるじゃないの!」 「ファンチェ」  薄い轍が続く道から、男と同じく白髪の目立つ女性が姿を現した。2人は、魔女と魔女を愛した男の間に生まれた子供だ。  どちらもとっくに還暦を迎えていそうな白髪に、皺の目立つ顔をしている。  長女の名前ファンチェは、どこかの国で〝トマト〟を意味する言葉だ。  花言葉は『完成美』や『感謝』。さらに、トマトは『医者いらずの野菜』として知られている。女性にとって縁起のいい名前――なのだろうか。食い意地の張った両親が付けた名だから、野菜なのは仕方がないだろう。  ちなみに、末っ子は『メーレン』という。  にんじんを意味する言葉なのだが、由来はもちろん「人の父親なんだから、いい加減にんじんを克服しなさい。ほら、可愛い娘と同じ名前なんですよ」というメッセージである。誰から誰に対する――とは、言わずとも分かるだろう。  にんじんの花言葉は『幼い夢』だ。  恐らく、幼い頃から「愛されたい」と願い生きてきた父親の夢が叶った、その結晶という意味合いもある。  エルトベレとファンチェは、それぞれ小皿に茶色い香を載せた。それに火を灯してガレキの山に手向ける。 「……それ、父さんの日記?」 「ああ。昔メーレンがこれ見て大泣きしたの、覚えているか? ママが死んで、パパの頭がおかしくなったって」  言いながらエルトベレが開いたページには、まるでミミズが這うような謎の線や、草花が絡み合ったような謎の絵が書かれている。  ――古代レフラクタ文字だ。  それまで現代の文字が使われていたのが、ある日を境に難解な古代語に変わる。文字を解読できない者からすると、見ただけで不安に駆られてしまうだろう。  しかし、読み解いてみれば、なんてことはない。  書かれていたのは、亡き妻に対する感謝や愛情、寂寥感と――子供たちに対する「君たちのことが二の次でごめん」という謝罪などだ。  何もおかしいことは書かれていない。  唯一、狂ったように亡き妻の名前を羅列しているだけのページからは言い知れないモノを感じるが、あの男にとってレフラクタ文字で書かれた妻の名前は特別なのだ。  人生を変えた転換点とも言えるので、一枚くらい狂気を感じるページがあっても仕方がない。むしろよく一枚で我慢した。 「レフラクタ文字、兄さんは読み解いたのよねえ……よくやるわ。私には無理」 「冷たい女だな」 「だって――いや、良いわ。ところで兄さん、いつ街へ引っ越すのよ。私たち皆待っているのよ?」  ふん、と顔を逸らすファンチェを見てから、エルトベレは「そうだなあ」とガレキの山に目を落とした。 「――まあ、もう50年以上()()()からなあ……さすがにもう、還ってこないか」 「来る訳ないじゃない! 「10年待つ」なんて言いながら、父さんはたった1週間で死んだのよ? あの人たちは、世界に2人だけ居れば良いんだから……子供のことなんて「二の次でごめん」で終わりなんだから!」  故人を悪く言わないよう耐えていたらしいが、ファンチェはついに恨み言を零した。どうしても寂しくて、やりきれないのだろう。  エルトベレも窘めなかったが、しかし胸中で「でもちゃんと愛していたし、俺たちは2人の〝宝物〟だった」と思う。  まだエルトベレが幼い頃には両目が揃っていたような気がするが、いつの間にか義眼になっていたアレクシス。  まるで玩具みたいに義眼を取り外しては子供を驚かせ、周りをドン引きさせていた。  いつもやることなすことが独特で、頑固で、価値観もどこか変だった。しかし、子を愛し、妻を愛し、父母を愛した――優しい人だった。  レンファもまた〝魔女〟だけあり相当の変わり者だったが、2人を取り巻く世界はいつだって美しく、尊いものだった。  魔女の帰りを待つと言っていたはずのアレクシスは、たったの1週間で眠るように息を引き取った。  心の底から安堵した、安らかな死に顔を見た家族は胸を撫でおろした。心が病んで死んだのではなく、不思議と「無事に会えたのか」と思ったからだ。  若くして亡くなった両親の代わりに子供たちを育てたセラスとゴードンも、可愛い孫に囲まれて幸せなまま没した。  彼らの亡骸は先祖代々続く街の墓地へ葬られているので、この森には何も残されていない。  強いて言うなら、家族皆で暮らした家と、そこに1人住むエルトベレだけだ。  エルトベレは長男としての責任感からか、父が果たせなかった「10年待つ」という約束を律儀に守った。  10年どころか50年以上待ったが、レンファは森へ還って来なかったのだ。  やはり、無事に再会したのだろう。それなら良いのだ。両親が幸せならば、エルトベレの心は満たされるのだから。 「――家を潰して、俺も街へ行くかな」 「蔵のビンは?」 「……捨てたら、()()()母さんに呪われそうじゃないか? 教会に悪魔祓いのエクソシストを派遣してもらおう、祓い終わったら焼いて供養するさ」  エルトベレが肩を竦めれば、ファンチェもまた複雑な表情で「ありえるわね」と頷いた。 「父さんの恥ずかしい日記もあることだし、街で〝魔女と少年〟の物語でも描いてみるか……どう思う?」 「それって、父さんと母さんがモデル? タイトルは『不老不死の魔女』とか?」  興味なさげに鼻を鳴らすファンチェに、エルトベレは笑って告げた。 「いや『愛に殺された魔女』にする。死んだんだから」 「なんか寒いし、自己陶酔が透けて見えるわねえ――『魔女が不老不死だなんて、誰が言い出したんですか?』ぐらいが良いんじゃない」  2人は顔を見合わせて「格好がつかない」と笑った。  ひとしきり笑ったあと、街に住む末の妹からも意見を聞こうと、ガレキの山に背を向けた。  ――緑の濃い森に魔女は居ない。彼女は二度とこの森に還らない。  何故なら魔女の傍には愛しい男が居て、一生を白い世界で共に生きると決めたからだ。  魔女と少年は、永遠に続く幻想の中で今も幸せに暮らしている。川で魚をとって、花畑で指輪を作って――そして、にんじんの茶を飲んでいるだろう。 3fde7475-d434-4f9a-9c57-19753e006c68
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