ある夏のはなし1

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ある夏のはなし1

 お隣さんのことはよく知らない。  上京して三年目の夏、さすがに会えば挨拶をする。  顔を合わせる時間は決まって朝。私が大学に向かう時間ギリギリでゴミを出すと、何回かに一度お隣さんも同じようにゴミ出しをしている。 「おはようございます。五十嵐さん」 「……ふぁ……ああ、失礼。おはよう、村井さん」  いつもとても眠そう。おはようより先にあくびがでる。髪はボサボサ、無精ひげが生えていて、着古したスウェットとTシャツ、茶色い(上品に言えばベランダ用の)サンダル。  年齢は三十歳くらいだろうか? どんな仕事をしているのかもわからない。  背が高くて、顔はたぶん整っているけど、シェービングもしないでその辺をうろうろしている人は、異性としては正直好みじゃない。  それに私には今、洗練された社会人の素敵な恋人がちゃんといる。だから、これまでお隣さんをそういう対象として見たことはなかった。  この朝まじまじと見てしまったのは、よこしまな心からではなく、いつもよりも足元がおぼつかない感じで、顔色も悪いように思えたからだ。 「ああ、ねみぃ……だりぃ」  ぶつぶつと独り言を言っている。本当に眠そうだ。  一方の私は大学のテストの最終日で、しかも得意科目を残すのみだから、徹夜で勉強することもなく睡眠はばっちり。  終われば楽しい夏休みという状況で、心が海のように広く穏やかだった。だからついお節介なことを言った。 「具合が悪いのなら、私がゴミ、出しておきますよ」  五十嵐さんが手に持っていたのは、ゴミ袋半分くらいの量だったから、私の分とあわせても片手でも持てる。別に手間にはならない。 「いや、失礼……独り言だったんだ。不愉快な思いさせてたらごめん」 「いえいえ、本当に眠そうだなと思って」 「勤務時間が夜間なもので……」  部屋のある五階の共有スペースで、エレベーター待ちをしている間、遠い目をした五十嵐さん。  なるほど謎がひとつ解けた。
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