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「松尾だけじゃなく、君たちもお茶出しする機会はあったよな。なんてったって四菱商事は大口の取引先なんだから、仕事の関係でお互い何度も行き来している」
「それがどうしたっていうの?」
訝しげに眉根を寄せて問いかけた梅本さんに、佐々木先輩は微笑みを絶やさず答える。
「専務は毎回、ここに来るたびに濃いお茶をわざわざオーダーしていた。そんなお茶を淹れた記憶のある奴は、手をあげてみてくれ」
梅本さんと隣にいる池野さん以外、3人が小さく手をあげた。
「3人もいるのに、専務からお声がかからなかったということは、なにを意味するのかわかるだろう?」
佐々木先輩が楽しげに告げた瞬間、梅本さんは右手を大きく振り上げて、テーブルを強く叩いた。苛立ちまかせに叩いた音は無駄に響き渡り、周囲が一斉に静まり返る。
元彼が物によく当たる人だったせいで、そのことを瞬間的に思い出し、嫌な汗が体から滲み出てくるのがわかった。
「松尾、大丈夫か?」
言いながら膝の上に置いている手に、佐々木先輩のあたたかい手が重ねられる。私のちょっとした変化に気づいて声をかけてくれたことに驚きつつ、無言で頷いた。
血の気が引いていたせいか、重ねられているところから、縋りつきたくなるような温もりを感じてしまい、もっと安心感を得たくて、反対の手で佐々木先輩の手を思わず掴んでしまった。
「梅本、そういうところだぞ」
佐々木先輩の目線は、梅本さんに縫いつけられていたけれど、テーブルの下では掴んだ私の手をやんわりと振り解いてから、大きな手で両手をぎゅっと掴んでくれる。そこから安心感を得たおかげで、顔をあげることができた。
目の前に座っている梅本さんは、怖い顔で私を睨みながら口を開く。
「なによ?」
短い問いかけに、佐々木先輩は呆れたように小さなため息をついて、仕方なさそうに説明をはじめる。
「自分の思いどおりにならないことがあったら、さっきのように物に八つ当たりしたり、人の悪口を言うことさ。ほかの社員が君たちにとても気を遣ってること、少しくらい空気読めよな」
佐々木先輩は握っている私の手を引っ張って、その場から立ち上がらせると、座っていた椅子を私の分まで元に戻し、梅本さんたちに背を向けて歩き出した。
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