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狼亭
黒装束の男は両手を広げ、ハグのポーズを取りながら、
「おいで、何? 俺が怖い。分かったよ」
言うが早いか黒装束の男はギュッタをギュッと抱き寄せた。
「しっかり捕まっとけよ」
黒装束の男は狭いベランダの桟に足をかけたかと思うと、プリエト3番橋目掛けてジャンプした。
2人の身体は宙を舞い、天地が逆さまになったと思った頃には、橋の上に何事もなかった様に着地していた。
ギュッタは心臓が口から飛び出しそうなぐらいドキドキしている。
黒装束の男
「お疲れ様。狼亭に行くのだろ? ん、何で知っているって? さっき君が自分で『あれが狼亭か』て、言っていたじゃないかフフフ…」
ギュッタ
「そうですが、ありがとうございます。あの…あなたそんなに太ってないですよ」
黒装束の男
「そう? 若い頃は華奢で、女装してもバレなかったんだ」
黒装束の男は、大爆笑しそうになったギュッタの口を手で押さえながら、
「お休み。良い夢を! 魔導の勉強、君なら間に合うよ」
黒装束の男はそう言い残して暗闇の中に消えた。
ギュッタは暗闇の中で呟いた。
「今日は、目紛しい夢を見ているみたいだよ」
そして、川向こうの宿屋狼亭を目指して歩き始めた。
ギュッタは狼亭の玄関の前までやってきた。
食堂は1階のフロントを利用してやっている様だ。
1階にはあと2店あるが、今は閉店している。
店の中から、店主らしい大声がする。
狼亭店主
「へい! お待ち、エール追加だな。今日はこれでラストオーダーだぜ! 他に注文はないかい!?」
ギュッタ
「何だって? ラストオーダー、もうすぐ閉店じゃないか!」
ギュッタは大慌てて宿屋狼亭に飛び込んだ。
狼亭店主
「へい! いらっしゃい!!」
店主は人狼で声も相応の巨漢だ。
「あの…こんばんは。俺、ギュッタです」
狼亭店主
「お! お前さんだね、蜜蝋ギルドの仕事人は。俺が宿屋の主ウルヴァンだ! ようこそ狼亭へ!」
それにしても大きな声だ。
ウルヴァン
「今日は晩御飯と風呂をサービスするよ! 仕事は明日朝からだ。ギュッタ! よろしく頼むぜ!!」
ギュッタ
「はい! こちらこそよろしく!!」
ギュッタもウルヴァンの大声につられて大声になっていた。
ギュッタ
(これでプリエトの街で暮らせる! お金を貯めてヴォレイオス山へ魔導の修行に行ける!)
ギュッタは自分の夢に1歩近づいたことを確信した。
ギュッタがウルヴァンに案内された部屋は、1階パブの厨房の奥にある納戸の様な小さな部屋だった。
ウルヴァンは、むさ苦しい部屋で申し訳ないと言ったが、ギュッタにとって夢にまで見た自分の部屋だ。
今までは粗末な寝床で妹弟とひしめくように寝ていたのだから。
部屋には小窓があり、低い天井にランタンまでぶら下がっている。
ギュッタ
「凄いや! ベッドが藁じゃない、マットレスだ! 枕もある!? シーツも土嚢じゃなくてリネンだ!!」
ウルヴァン
「そ、そうかい?」
ギュッタ
「ありがとうございます!!」
ウルヴァン
「今日はゆっくりお休み、明日からはガッチリ働いてもらうぜ!」
ギュッタ
「はい、今日は本当にありがとうございます! 頑張ります!! お休みなさい、ウルヴァンさん」
ウルヴァン
(こんな部屋で大喜びとは、この子は今までどんな暮らしをして来たのか)
ギュッタ
「生まれて初めてだ! まともな飯食って、風呂に入って、気持ちいいベッドで寝られるなんて! 俺の部屋だよ、俺の…」
ギュッタは興奮していたが、天井が回り出しそのまま眠りに就いていた。
これが酒の成せる技だとはギュッタが知る由もなかった。
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