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木村大介、怒る
全く、最近の若いもんは。少しは思いやりってもんを持てないのかねぇ。
怒りを込めて、いつもよりもほんの少し乱暴にハンドルを切る。無意識に舌打ちをしてしまう。
一日中タクシーを運転して街中を走り回っている大介にとって、運転の合間に吸う煙草は唯一の癒しだ。しっかりとマナーを守って喫煙所でゆったりと煙を吸い込む。娘が小さい頃には「お父さん、身体に悪いよ。煙草やめないと駄目だよ」とうるさい程に言ってくれたものだが、もうその娘もすっかり家に寄り付かなくなった。昔はイチゴ味の歯磨き粉を買ってあげただけで大はしゃぎして抱きついてきたもんだったが。
「なんだかねぇ」
空に昇っていく煙を眺めながら独り言ちる。若い頃から一心不乱に働いて、結婚して郊外に家も建てた。大事に大事に子供を育てた。身を粉にして働いた結果、コンビニの若造にゴミのような扱いを受ける。他の客の前で、恥をかかされる。じわじわと怒りが心を蝕むのを感じる。
車を走らせていると、客と思しき人物が右手を挙げているのが見えた。車を停めて、後部座席のドアを開ける。疲れた顔をした若者が乗り込んできた。
「どちらまで?」
「隣町の、○○銀行の近くまで」
声に覇気がない。
「お客さん、大丈夫ですか?具合悪いなら一回停めます?」
「いや、大丈夫っす」
くたびれた若者を見ていたら、押し殺していた怒りが徐々にまた心を波立たせる。大介は自棄になって言う。
「いや、ほんと。疲れちゃいますよね。生きてたっていいことなんてなんもないよ。冷たい世の中だしさぁ」
若者は驚いたような顔をして、大介の横顔を見つめた。
「そう思います?」
「おう、そうですよ。正直者がバカを見る世界だ、まったくやってられないね」
若者は、青い顔をして頷いた。
やがて、ここでいいです、と○○銀行の前で車を停め、礼も言わずに降りていく。
やれやれ、世も末だな。こりゃあ、仕事が終わったら飲まないとやってらんないな。大介はまた、いらいらとハンドルを切る。
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