本当に、ありがとうございました。

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本当に、ありがとうございました。

 この国の歴史が動き始めたのは、つい最近のことでございました。  歴史が動き、社会の体制が変わり、そして家や人も変わることを求められたのです。  旧いままではいられなくなったのです。月宮の家も例に漏れることはありませんでした。そして、月宮家がそのまま存続していけるようにと、お嬢様は時代に相応しい婚姻を結ぶことを選ばれたのです。変わってゆく時代に即して、変わってゆこうと思われたのでしょう。  誰が悪いわけでもありません。ただ時期が悪かったのです。情勢が悪かったのです。 「ねえ、鈴蘭。私はね、この家が好きよ。お兄様もお義姉様も、お父様もお母様もとっても良い人たちだわ。きっと、このまま私がずっと家にいたいと言ったところで、誰も反対しないわ。でも私は、その良い人たちが、優しい人たちが悲しむのが嫌なの。……だから、結婚することにしたの。鷹野様のところへいくことにしたの」  月のない夜。お嬢様が、未来の旦那様と初めてお会いされた日のことでございました。  たったひとつの照明の光の下で呟いたお嬢様の言葉に、わたくしはなにも返すことができませんでした。なにか言葉を絞り出そうと足下で視線を泳がせていると、小さく笑い声が耳に入ってきました。 「ふふ、鈴蘭は優しいのね。私、鈴蘭のことが好きよ。あったときから、ずっと。これから先もずっと一緒にいたいと思うほどに。出ていきたくないと思ったわ。でも、私がこの家が大好きだから。……ずっと一緒にいられないのね」  それはお嬢様がわたくしにくださった最初で最後の本音でございました。「家を出ていきたくない」とおっしゃったのは、これが唯一でございました。 その言葉は、ずっと大切にしていこうと思いました。  あのときは決して、返事をすることができなかった言葉。ですが、今なら言えるのです。 「お嬢様、わたくしもずっと……あなたのことをお慕い申しておりました。わたくしはあなたと出逢えたことで、愛を知ることができました。名をいただくことができました。もう、本当の名は忘れてしまいましたが、わたくしの真名はきっと鈴蘭にちがいありません。お嬢様とお揃いでございますね」  本当は、ずっと知っていました。  いつもお茶をされていた場所に、庭師へ百合と鈴蘭を並べて植えるようにお願いをされていたことも。  旦那様の書斎に大事に大事に隠されている本の内容が、許されない恋をしたふたりが駆け落ちをするものだということも。  厨房から持ってこられる焼き菓子がいつもふたつだったことも。  ずっと知っておりました。わたくしの想いが一方通行ではないことも。  お嬢様もわたくしに好意を持ってくださっていることも。  全部存じ上げておりました。  でも、わたくしも好きだと伝えてしまえば、貴女のその美しい決意を汚してしまう気がして、どうしても言えなかったのです。  だから、たったひとつだけ。  ルビーの指輪だけを贈らせていただくことにしました。お嬢様の荷物をつくる際に忍ばせてみたのですが、もうお気づきになられたでしょうか。  ずっとお給金を貯めて、どうにかこうにか買ったものでしたから、お嬢様からしたら安物か紛い物か、そんなものに見えたかもしれません。  でも、ただひとつだけ覚えてほしかったのです。 「あなた、目がとっても綺麗ね。私のお母様が持っている宝石のようだわ」  幼いお嬢様が零した言葉に救われた者がいたことを。 我儘だと思われても仕方ないかもしれません。ですが、これ以降、この気持ちには蓋を致しますゆえ、どうかご勘弁願いたいと思います。 「お嬢様、わたくしは貴女のことがいっとう好きでございました。……どうか、お幸せになってくださいませ」  今日はどうにも桜が綺麗で、空の青が眩しくて、目に沁みる日でございます。
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