カモミールに誘われて

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カモミールに誘われて

「お母さんが亡くなっておかしくなっちゃったのかしらね」 「見えないお友だちってやつじゃない。変な子ね……」 「慈乃(しの)ちゃん、また誰かとお話してる……」 「ね。誰もいないのにね」 「知ってる? 遠藤(えんどう)さんって……」 「あんまりしゃべんないし笑ったとことか見たことないし、ちょっと怖いよね」 「なんか幽霊が友だちらしいよ」 「えー、何それー」 「いても迷惑な存在なんだから、でしゃばらずにおけよな。自分は頭がいいんだって自慢かよ。マジでむかつく、目障りなんだよ! なんでこんな奴が従妹なんだか……」 「真白(ましろ)兄さんも余計なもの遺してってくれたよ」 「とりあえず高校には行かせましょう。世間体があるのだし……」  誰もが私の存在を疎ましく思っている。そして、私自身そんな自分に失望している。  楽にしてほしいと願いながら、自分の手で人生を終わらせる勇気もないから、浅ましく醜い生き様だと蔑み、嘲り笑い、ただ息をするだけの毎日。  今日も私の世界に色はない。一体いつまでこの景色は続くのだろう。  自分に価値を見出せず、生命に意味を感じられず、居場所も見つけられない。こんな自分、生きていて何になる? こんな自分が生き続けるくらいなら、明日を生きたくても生きられない人に命を譲ってしまいたい。  生きる。ただそれだけのことが辛く苦しい。早く終わりにしてしまいたい。楽になりたい、死にたい、殺してほしい……。  何もない真っ暗闇の中を、ふらふらとおぼつかない足取りで彷徨う。終わりの見えない黒一色の世界は、慈乃の心そのものだった。広がる闇が心地よくて、このまま溶け消えてしまえたらと思う。  それでも未練がましく、本能だけは生に執着するのだ。  相反する二つの気持ちが慈乃の心を圧迫する。それが余計に苦しかった。 (私だって、できることなら、生きたいわ。だけど、これ以上苦しむのは、耐えられない……)  弱い自分を呪いたくなる。こんな自分、生きていていいはずがない。そんな資格ない。希望や未来など望んではいけない。  堂々巡りを続ける思考に自己嫌悪する。  いよいよ暗闇の中を進む気力もなくなり、足を止めて、しゃがみ込んだ。 (私、どうしたいの……? ……自分のこと、なのに。わからないなんて……)  こんなに胸は苦しいのに、涙の一滴も出やしない。 「私は、生きていていいのでしょうか……?」  答えなど端から期待していない懺悔のような問いに、返る声があった。 『くるしいんだよね』『ほんとうはいきたいんだよね』『シノがほんとうにのぞむなら』『きみがこれいじょうかなしまなくてすむのなら』『わたしたちがたすけてあげる』『だからいつかでいいからわらってほしいの』『いきててよかったっておもってほしいの』  眩しい白につられて顔をあげると、目の前に一筋の光の道が延びていた。柔らかく温かな光に導かれるようにして、慈乃は躊躇いがちに一歩を踏み出した。 (私が生きていることに、意味が、あるのなら……知りたい。この先に続く未来を、歩みたい)  細い道は唐突に開けて、慈乃は真っ白な光の波に飲み込まれた。 「おはよう、シノ」  目を開けて最初に飛び込んできたのは、春の陽のような優しい笑顔。先ほどの白色より安心感のある眩しい蒲公英色とマリーゴールド色だった。 「ウタくん……?」 「はい、ウタセです」  ウタセは冗談めかして笑ったが、そこで慈乃はがばっと机から身を起こした。肩からブランケットが滑り落ちたので、慌てて掴んだ。 確か保健室で言の葉語を教えてもらっていたはずだが、いつの間にやら眠ってしまっていたようだ。 「す、すみません……! せっかく時間を割いていただいていたのに……っ」 「ううん、気にしないで。慈乃は非番なんだし、疲れてたんでしょう? 休めるときには休まないとね」  ウタセは慈乃の分のお茶を淹れるとそれを慈乃の前に置いて、それから席に着いた。 「うなされてたから何度か起こそうとしたんだけど、起きなくて。ごめんね」 「いえ、ウタくんが謝ることではありません……!」  ウタセに申し訳なさそうにされるといたたまれなくなる。慈乃はふるふると首を横に振った。  ウタセは夢の内容を聞いてくることはしなかったが、慈乃は夢で見たことを反芻していた。 (あれは、ほとんど過去の焼き直しね……)  人間を信じられなくて、自分も好きになれなくて、なにもかもを止めてしまいたいと願い続けていたあの頃。それは遠い昔のことなどではない。つい半年前まで、慈乃は色のない世界で生きていた。 (それが、こんなにも色鮮やかな世界に変わったのね)  カモミールの声に導かれて、ウタセに出会って、学び家の家族に優しさと笑顔をもらった。そんな日常の交流の積み重ねがいつしか慈乃を変えていた。   カモミールに(いざな)われた先で私を待っていたものは……。 「シノお姉ちゃんみつけた!」  保健室に飛び込んできたのはメリルだった。その勢いのまま、慈乃に駆け寄る。 「やっぱりオレの予想は正しかったろ?」 「なんであんたが自慢げにするの? ウタ兄のところにいるかもって最初に言ったのはトゥナでしょ」  ガザが胸を反らすのへ、カルリアは呆れたため息をこれ見よがしに吐いた。同じく呆れた様子のソラルが後を続ける。 「しかも実際に見つけたのはメリルですしね」  そこで手を打ったのはトゥナだ。 「って、そんなこと言いに来たんじゃないよ。シノ姉、ウタ兄も。ニア姉がおやつだよって」 「しょくどうにきてね、だって。いこう」  メリルが慈乃の手を引いた。慈乃は腰を浮かせてウタセを振り返った。 「ウタくんも、行きましょう」 「うん!」  七人で連れ立って保健室を後にする。他愛ない話をしながら食堂まで歩いていった。    歩む道程は未来への希望に、行きつく先は何より愛しく輝かしいものに満ち溢れている。  カモミールに誘われて先で慈乃を待っていたものは、優しく温かな世界と家族だった。
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