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3
翌朝7時。
クロスは起床し身なりを整えると寝室を出た。
今日は朝から快晴。
新たな一日の始まりに相応しい突き抜けるような青空だった。
クロスは職務の為に廊下を歩いていたエンゾに尋ねた。
「レディアリスはもうお目覚めかな?」
「いえ・・・まだ寝室から出て来られません」
「そうか・・・疲れて熟睡しているのかも知れない」
だが、クロスが先に朝食を終え、午前9時になっても寝室から出て来ないのを不審に思ったクロスがアリスの寝室に向かい、ドアをノックした。
しかし、返事がない。
クロスは嫌な胸のざわつきを覚えながらもドアノブを回す。
鍵は掛けられており中にはいるようであった。
しかし、何度声を掛けても返事はない。
クロスは厭な胸騒ぎを覚えエンゾに合鍵を持って来させそれでドアの鍵を開けた。
クロスは静かにドアを開けると尋ねた。
「アリス、クロスです。なんどもノックしたのですが返事がなく失礼を承知の上で部屋に入らせて頂きました」
しかし、ベッドから返事はない。
それどころか・・・窓が開き、カーテンが裂かれてそれを結び合わせたものがブランと風に揺れて窓の外に垂れ下がっている。
クロスは慌てて、ベッドに向かい布団を捲る。
もぬけの殻だった。
窓に寄るとどうもアリスは自作のカーテンの梯子で外に脱出したようだった。
「一体なぜだ・・・」
悲愴に満ちた表情で悲嘆するクロス。
するとベッド脇のサイドテーブルの上に一通の封筒が置かれているのに気づいたクロス。
クロスはそれを手に取ると急いで中身を確認した。
その手紙は以下のような内容だった。
親愛なる、クロス・ベルスタイン侯爵
こんな形でお別れして、侯爵の身に余るご懇篤の心遣いを裏切る形で大変申し訳なく思っております。
私はやはり呪われた女。
そんな女を侯爵家に囲っておくと、侯爵の品位が問われ兼ねないと思い、お屋敷を去らせて頂くことにしました。
現在、行く当てはありませんが、それでもいざとなったらなんとかなるものでしょう。
私は大丈夫です。
アリス・マイラート
クロスの顔は真っ青だった。
このままでは最悪野垂れ死にしてしまう。
クロスはアリスの部屋を出ると、エンゾに馬の準備をさせた。
問題はアリスがいつ屋敷を去ったかであった。
1、2時間前なら特に問題ない。
おそらくアリス道なりに歩いているはずである。
だが・・・3、4時間前となると事情が違った。
徒歩であれ、丁度その辺りからクロスの管轄する荘園の森を抜けて、魔物が住む森になってしまうのだ。
だが・・・不幸中の幸いと言うか、人里に近い森と言うこともあり、既に人間に危害を加える危険な魔物の類は掃討している。
しかし・・・最近、この森に纏わる変な噂を耳にしている。
そう、魔物が少なくなったことを幸いに野草や茸を採りに行った婦女子が帰って来ない事例が多発していると。
この方面を守る騎士団がなんらかの手を打つと言っていたがそれはまだ果たされていないようであった。
そう、それがただの遭難か、もしかすると魔物の仕業なのかは杳として知れないのだ。
クロスは高まる不安を抱えて屋敷を出ると用意されていた白馬にまたがり、魔物が住む森を目指したのであった。
◆
その頃アリスは疲れを滲ませた顔で森の小道を歩いていた。
もう3時間近く歩き続けているだろうか。
侯爵の屋敷を出ることは昨晩の内に決めていた。
既にジネットの知るところとなり、瞬く間に自分が侯爵に匿われていることは知れ渡るだろう。
そうなると、いかに呪われた侯爵とは言え侯爵。
やはり、呪われた女を囲うことによりその評判は下がるのではないかとアリスは案じたのであった。
そんな形で侯爵の恩を汚す訳には行かなかった。
そして正直に告白すればもう一つ理由があった。
そう、貴族の中には狼の顔になった侯爵が、夜な夜な人を喰っている噂する者たちもいた。
アリスはそれを真に受けた訳ではなかったが、正直、昨晩鍵を掛けた寝室においてもビクビクしながら眠ったと言うのも偽りはなかった。
そう・・・アリスもやはり侯爵を内心恐れていたのだった。
それらを総じて無断で家を後にしたのであった。
とは言っても行く当てもなく、どこかの町で身分を偽り小間使いとしてでも雇って貰うことは出来ないかと、一縷の望みを胸に黙々と森の小道を歩き続けて来たのであった。
するとであった。
森の小道が途切れた地点に立ち尽くすアリス。
「困ったわね、さてどうしましょうか」
引き返す訳には行かない。
ここまで来る途中にあった別れ道に引き返そうか?
だが・・・と侯爵の顔が頭を掠めたアリス。
万が一侯爵が自分を探しに来ていたら鉢合わせする可能性があった。
呪われた自分に救いの手を差し伸べてくれた侯爵ならあり得る。
もう、侯爵には迷惑をお掛けしたくないその一心で不安を払拭出来なかったが、目前の森の中を突き進むことにしたアリス。
いつかは森を抜けることが出来るだろうと安易な心積もりで・・・。
アリスは仄暗い森の中を憂えを湛えた面持ちで歩いて行く。
だが内心まだ余裕があった。
そう、ここまでの道中、魔物やモンスターの類には一切遭遇することがなかったからだ。
もしも遭遇するとすれば獣の類。
人里も近いし猛獣はいないのではないかと算盤を弾いたアリス。
ただ、喉の渇きが激しかった。
春先とは言え、もう何時間も歩きっぱなしだった。
なにかフルーツでも実っていないだろうか。
樹上を眺め回しながら歩みを進めて行くアリス。
だがアリスの思いとは裏腹にフルーツ一つ実っていない。
アリスはため息を吐いて黙々と歩き続けたのであった。
そして、かれこれ20分ほど歩いた時のことだった。
目の前に突如、小道が出現したのである。
「こんなところに突然・・・なにかしら?」
木を伐採する職業の方の小屋でもあるのかな?と道なりに歩みを進めて行くアリス。
するとであった。
道の先に大きなお屋敷が出現したのである。
アリスは立ち止まると怪訝な表情でその屋敷を見つめた。
「こんな辺鄙なところに相応しくないわね。いえ・・・思い過ごしかな。物好きな貴族の別荘の可能性もある訳だし」
アリスはもう喉がカラカラだった。
そう、一杯の水だけ恵んで貰おうとエントランスへと歩みを進めようとしたその時だった。
「道に迷われましたか?」
ハッと驚きの表情で背後を振り替えるとそこにいた美青年の顔にアリスは思わず見惚れた。
アリスは多くいる貴族の令嬢の中でもその美貌ゆえ突出して男性の貴族たちから人気が高く、多くの貴族たちから言い寄られていた訳だったが、この青年はそんな貴族の中でも1、2を競うほどの美貌の持ち主だったのである。
だが・・・本当に貴族なのだろうか?
もしこんな辺鄙な場所に別荘を所持する貴族がいたとしたら既に噂好きの都人の間で噂が広まっているはずである。
それにこの美貌。
令嬢らの注目の的にならない訳がない。
だが、寡聞にして自分が知らないだけなのだろうか?
アリスは綺麗な身なりに包まれたその青年に会釈した。
「いえ、道に迷ったと言いますか、この森を抜けようと思っていた途中で喉があまりに乾いてしまってお水を一杯頂こうかと思いまして」
ニコリと微笑む青年。
「お安い御用です。さあ、我が家にお入り下さい」
「ありがとうございます。ですが・・・あの、あなた様は?どうしてこんな辺鄙な場所にお屋敷を構えておられるのですか?」
すると青年は寂しそうな表情で答えた。
「フフフ、ここだけの秘密ですがね、私は落胤なんです、王族の・・・」
それでこのような僻地に追いやられていたのか・・・。
アリスは落胤と言えども王族の血筋を引く青年を前にして威儀を正し深く礼をした。
「これは失礼致しました。王族の血筋を引く方へのご無礼お許し下さいませ」
青年はクスリと微笑むと言った。
「頭を上げて下さい。私は堅苦しいのが嫌いなんです」
頭を上げるアリス。
青年は話を続けた。
「もうここに住んで大夫になりますね。あなたのようなふいの訪問者ほど私の心の慰めてくれるものはありません。もしよろしければお水だけではなくお食事もいかがですか?」
こんな森に放逐され青年は寂しいのだろうと思った。
そう、アリスは放逐の理由は異なれど青年と自身の境遇を重ね合わせたのであった。
「ありがとうございます、是非、宜しくお願い致します」
「よかった。人と会うのなんて本当に久しぶりだからね」
「執事やメイドの方はおられないのですか?」
「うん、私一人なんだよ。ウフフ、こんな大きな屋敷にね。じゃあ、屋敷に入ろうか?」
コクリと頷き先導する青年の後に付いて行くアリス。
本当は名前を聞きたかったが落胤に名前を聞くのも失礼だと思い尋ねなかった。
青年は鍵を差し込みドアを開ける。
室内は男一人とは思えないほどに美しく整えられていた。
立派な調度品も設えられ王族の落胤に相応しい佇まいだとアリスは感心した。
アリスは大広間を抜け廊下を歩きダイニングに通され、勧められるままダイニングテーブルの席に着いた。
そして間もなく一杯の水とジュースを運んで来てくれた青年。
すっとアリスの前にそれを置いてニコリと微笑んだ。
美しい所作に美貌。
アリスは顔を真っ赤に染めた。
そう・・・自分の身の境遇を忘れ去ってしまうほどにこの青年には人を虜にする魅力があるとアリスは感じ入った。
いや・・・そんな一般論だろうか、そんなではなく、自分は個人的にこの青年に惹かれ初めているのだろうか。
だが・・・なんであれ、呪われた身では恋一つ叶わないのだ。
青年は言った。
「湧水の水です。ほんのり甘くて美味しいですよ。こちらは私が摘んだベリーのジュースです。お口に合えば嬉しいのですが」
アリスは礼を言い、水を一気飲みし、ジュースも一気飲みした。
「おやおや、凄い飲みっぷりだ」
顔を赤く染めるアリス。
「本当に喉がカラカラだったんです。でも甘酸っぱくて元気を貰えるようなそんなジュースのお味でした!」
「摘んだ甲斐があろうと言うものです。ではお食事の用意を致しますのでしばらくお待ち下さいね」
「はい、ありがとうございます」
そして青年が去り際アリスはその背に尋ねた。
「あの・・・私で宜しければなにかお手伝い致しましょうか?」
笑顔で振り返る青年。
「いえ、お気遣いなさらず、ゆっくりお休み下さい」
そう言い残すと部屋を後にしたのであった。
しばらくすると簡単な食事が運ばれて来た。
だが、簡素ではあるものの、全て青年の手作りなのだろう、派手さがない変わりに心がほっとするような料理であった。
テーブルに並べられたのは、パンとスープとサラダと様々なベリーが盛られたヨーグルトだった。
青年は対座し言った。
「素朴な田舎料理なんですが・・・」
「いえ、とても美味しそうです、頂いて宜しいですか!?」
「ええ、お食べ下さい!」
スープを一口飲むアリス。
ブイヨンに混ぜられた様々な野菜の味が複雑な味わいを醸し、しかもそれが統一感を損なうことなく舌の上に広がって行く、非常に洗練された味わい。
「こっ、これはまるでレストランで味わうスープのよう・・・」
「そんな・・・照れるなあ・・・」
そう言って頬を赤らめる青年の顔が可愛らしくも愛おしい。
もしも・・・呪いが原因で放逐されなければこの青年と生涯会うこともなかったかと思うと、まるで奇跡の出会いのように一瞬思ったアリスであったが、やはり、呪いと言う逃れられない宿命があらゆる自分の思いを残酷にも閉ざして行く。
そんなアリスの寂し気な表情に気づいたのか青年が言った。
「この森を抜けると言う趣旨のことを仰っていましたが、一体どこに向かうお積りだったんですか」
「いえ・・・ただどこか遠い所へ」
「遠い所ね・・・」
訳アリかなとそれ以上は尋ねることのなかった青年。
青年はスープを一口飲むと尋ねた。
「そう言えばお互い名前を知らないまま対座してしまいましたね。通りすがりの仲とは言え、ちょっと寂しいかな」
「そう言えばそうですね、失礼しました。私はアリス・マイラートと申します」
「あぁ・・・マイラート子爵家の令嬢であられましたか」
「はい」
「私は、落胤ゆえに・・・そう、ロイとでもお呼び下さい」
ロイ・・・もうしばらくするとこの青年とはお別れすることになる。
そう、どこに行っても自分はお邪魔虫なのだ。
ただ1人手を差し伸べてくれた方がいた・・・。
もしも・・・ロイが手を差し伸べてくれたなら自分はその手を握るのだろうか。
それにはなんとも言えないアリスであった。
するとロイがワインを持ち、ワイングラスに注ぎ言った。
「昼前からなんですが、これは特別なワインなんです。そう、もしも、私にとって特別だと思える人がこの屋敷を訪れてくれたら是非飲んで頂こうと寝かせていたのです」
顔を赤らめるアリス。
「わっ、私はそんな特別な人間ではありません!」
クスリと微笑むロイ。
「お堅いのですね。僕を困らせないで下さい。これを僕一人で飲ませる気ですか」
「でも・・・特別ってどう言う意味ですか?」
そう尋ねながらどこかしら期待している自分がいる。
「さあ・・・まずは飲んで下さい。なら自ずと答えが出るはずです」
アリスはワイングラスを渡され、うっとりとした表情でロイの顔を見つめるとワインを呷った。
やや、渋みの強いワインだなと思いながら、ガタンと空になったワイングラスをテーブルに投げ出すとアリスはウトウトと眠りに就いたのであった。
丁度その頃、駿馬の白馬を駆ってクロスは荘園内にある森との境目にまでやって来た。
ここまでの道のりは賭けだった。
そう幾つも別れ道があったが、クロスは彼女はきっと先へ先へと急ごうとしていると睨み、真っすぐに道を選択して来たのであった。
どうどうと馬をあやし馬から降りるクロス。
「さて・・・私の勘は当たったか外れたか」
なにか痕跡がないか探そうと森に入ると入り口に水色のハンカチが落ちていた。
そう、出会った日、アリスが携帯していたハンカチに違いない!
クロスはハンカチを手に取るとズボンのポケットに仕舞い、前方の奥深い森を眺めた。
「だがこれはこれで厄介な森に迷い込んでくれたものだ・・・」
そう、件の婦女子が行ったきり帰って来なかったと言う森である。
クロスは馬に戻ると近くの木に手綱を結び付け、森の中へと足を踏み入れたのであった。
「アリス、アリス、起きて!」
ダイニングテーブルの席でハッとした表情で目覚めるアリス。
「私・・・一体どのぐらい眠っていましたか!?」
「いや、ほんの数分です。きっとお疲れなのだと思いそのままにしておきましたが、流石にいつまでもこんな所で寝かせるのはマズイと思って」
振り返ると背後にはロイが優しい眼差しでアリスの肩に手をやり立っていた。
その顔をマジマジと見つめるアリス。
もうそろそろお暇しなくてはならないと思うと腰が重くなり席を立とうとする自分の意志をまるで拒否しているかのようであった。
甘く優しい顔立ちがニコリと微笑むとそっとアリスの手に彼の手を伸ばし、なんとアリスの手の甲に口づけをしたのであった。
「えっ・・・なにを」
「珍しいですか、親愛の証に過ぎません」
そう別に貴族の間の挨拶として殿方が令嬢に行う挨拶としてはごく一般的だ。
だが、それは序章に過ぎなかった。
ロイは優しく包み込むようにアリスの背に手を回すと彼女の顔に己の顔を近づけ言った。
「君とキスがしたい」
「いけません!」
「なら・・・僕はこの君に回した手を外し、君の元から永遠に去ろうか?」
「そっ、それは・・・・」
「その拒絶が答えだ!」
ロイはアリスと口づけを交わした。
情熱的な口づけに頭がクラクラするアリス。
だが、もう、これ以上の関係に陥ってはならない。
そう・・・ここから恋愛関係になったとしても、もう今の自分には希望はないのだ。
アリスはキスを避けると言った。
「ロイ、今日の私はどうかしておりました。もう、お屋敷を去らせて頂きます」
立ち上がるアリス。
だがロイは彼女の背に回した手を解こうとはしない。
それどころか意想外の言葉を口走った。
「アリス、僕は君を抱きたい!」
アリスは流石に冷笑した。
そう・・・この落胤の青年は初めから自分の体が目的だったのだ。
アリスはキスの先に甘い恋愛を思い描いた自分を嗤った。
「落ちぶれたとは言え、私は貴族の令嬢なのです。いかがわしい女と一緒になされては困ります」
するとだった。
ロイは不適な笑みを零すと言った。
「なら、本当に僕はこの手を離していいんだね。次こそ永遠に僕との関係は期待出来ないよ」
やはり世間から離れて暮らしているせいかどこか言葉が浮世離れしている。
そんな下らない台詞が二度も通じると思っているのだろうか?
アリスはきっぱりと拒絶しようとした瞬間だった。
「いや・・・離さないで下さい」
エッ!と心の中で驚きの声を上げるアリス。
私はなにを口走ってしまったの。
ニヤリと笑うロイ。
「分かった、それが君の本心と言う訳だ。だがここでは流石にあれだから、ベッドルームに行こう」
ロイはアリスを軽々とお姫様抱っこするとダイニングを出て行く。
アリスはもがいてその腕から逃げようとするも・・・同時にその腕にいつまでも抱かれていたいと別のアリスの気持ちが拒絶するのだ。
マズイ・・・と焦り始めたアリス。
もしや、先ほどのワインに媚薬でも混ぜられていたのであろうか。
だが・・・身も心のここまで支配する媚薬などこの世に本当に存在するのか?
アリスはそんなことを考えながらもロイの甘いマスクに釘付けになっている自分を恥じた。
このままでは最悪の展開が訪れる。
そう、それは自分の死を暗示していた・・・。
ベッドルームに着き、ベッドにアリスを寝かせるロイ。
ロイは衣服を脱ぎ、一糸纏わぬ姿になる。
アリスは頬を赤らめた。
鍛え抜かれた逞しい体に天使のような美しさが同居しているような見惚れざるを得ない美しい均整の取れた体であった。
もう・・・抵抗出来ない自分がいることに気付いていたアリス。
青年はアリスの衣服を脱がせ始めた。
アリスも一糸纏わぬ姿となった。
ロイは驚嘆の声を漏らした。
「ここまで美し女体を見たのは初めてだ。まるで神々が君だけに美の粋を集めてお造りになった体としか思えない!」
アリスは顔を真っ赤に染めた。
そう、男性の前に体をさらしたのは初めて、アリスは処女であった。
だが、青年は険しい顔付きで首を傾げた。
「それにしても惜しい・・・胸の間にある奇妙な紋章、これは一体なんなのだ!?」
アリスの顔が曇った。
そう、これが伝説の魔女カミラに掛けられた呪いの証の紋章であった。
アリスは逡巡した。
セックスすると自分自身が死んでしまう呪いの件を打ち明けるか否か。
当然、ロイは無傷だ。
呪いの対象はアリスのみ。
アリスはこのまま呪いの件は伏せてロイに抱かれる道を想像した。
そう、少なくとも男性を知って死ぬことは出来る。
女として生まれて男性を知らずに死ぬのはやはり切ない。
だが、少しぐらいはロイは自分のことを愛してくれているのだろうか?
もし、そうなら抱かれて彼の腕の中で死んでもいいかとも思う。
だが、その逆にただ肉体を弄ばれて死ぬのならそれは、男性を知らずに死んだ方がマシな死に方だった。
アリスはロイに真意を確かめた。
「私を今からお抱きになるのね?」
「あぁ、一つになろう」
「私のこと・・・愛してる?」
優しい笑みを零しアリスの金髪のロングヘアを愛おしそうに撫でるロイ。
「あぁ、愛しているとも。君はこの家で僕とこれから住むんだ」
その願いは叶わない、私はあなたの腕の中で死ぬから・・・だがそれは告げずにいたアリス。
アリスと熱いフレンチ・キスを交わすロイ。
キスを終えると、ロイの優しくも熱い愛撫が始まったのであった。
◆
丁度その頃クロスは森の中に一軒の屋敷を発見した。
明らかに場違いな所に立っている屋敷。
貴族が住んでいてもおかしくない立派な屋敷であったが、こんなところに屋敷とは聞いたことがない。
クロスは怪しんだ。
そう、行方不明の婦女子の件とこの屋敷はなにか関わりがあるのでないかと。
クロスはエントランスを通り、ドアの前に立つとドアノッカーを鳴らしたのであった。
◆
そして遂にアリスとロイは一つになった。
初めての体験、快楽ではなく痛みが先行した。
そして、それはアリスの死を示唆していた。
だが、愛される人の腕の中で死ねるのならそれで構わない。
だが・・・本当に自分はこの青年を愛しているのだろうか。
そう、自分の呪いを引け目に思い、愛されると言う受け身に立ち物事を考えてしまっている自分に気づいた。
なら、自分の本心は・・・!?
するとであった。
青年はアリスと一つに結ばれながら彼女の耳元で囁いた。
「最高の体だ!徹底的に貪り尽くしてやる!」
アリスは、もう後の祭りだと悟りながらも涙ながらに叫んだ。
「キャャァーー!嫌、嫌、嫌、離して!」
今度こそ青年の体から逃れようとするアリス。
アリスの悲鳴を聞いたクロスは水魔法を発動させ、手から氷弾を連射しドアを粉砕した。
するとドアノッカーの音には行為に夢中で気付かなかったロイが流石に行為を中断し、アリスから離れると軽く衣服を羽織り言った。
「これからと言う時に何者だ!」
そして部屋に飾られていた剣を手に持つと部屋を出て行ったのであった。
アリスは腰を起こすと涙を拭いた。
階下でなにかが破壊されるような音は聞こえた。
盗賊でも押し掛けて来たのだろうか?
でも、こんな森の奥にわざわざ?
アリスはハッとした。
「まさか・・・侯爵!?」
ならこんなあられもない姿を見られる訳には行かない。
アリスは急いで服を探し始めた。
「えっ!私の服がない!」
ロイが脱がせてその後は確認してない。
狼狽えるアリス。
「まさか・・・さっき出て行った時に私が逃げ出さないように持って行ったのかしら!?」
アリスはベッドの上で体育座りをすると赤面を隠すように両手で顔を覆った。
だが、直ぐに手を下ろした。
そう・・・恥ずかしがっている場合ではない。
もう、自分はセックスしてしまったのだ。
後は死が訪れるのを待つのみ。
短い人生だった。
最期の最期に獣のような男に身を許してしまった。
もう・・・人生に後悔しかなかった。
アリスは滂沱の涙を零したのであった。
剣を手にしたロイが二階から階段で下り、一階の大広間にいたクロスと鉢合わせする。
クロスは叫んだ。
「さっきの女性の悲鳴はなにかね!?」
「その前に人の家に無断で侵入したことを謝罪すべきではないのかね?」
「その必要はない。家探しさせて貰う」
ロイは剣を抜くと言った。
「獣人ふぜいが、調子に乗りやがって!」
「私を・・・知らないのか?」
「うん・・・狼の顔をした獣人だろう?まあ、レアだな」
「そうか・・・引きこもっていたことが災いしたようだな。身を引くのなら今の内だぞ」
「忌々しい、ぶっ殺してやる!」
剣で斬りかかるロイ。
クロスはひょいと躱しながら言った。
「レディアリスはどうした?まさか、危害は加えていないよな!?」
ニヤリと嫌らしい笑みを面に浮かべるロイ。
「アリス?獣人ごとき貴様になんの関係がある?貴様など伽の相手にされることもなかろう」
怒気を爆発させるクロス。
「貴様、レディアリスになにを!?」
「さあな、そんなことより死ね!」
再度剣で斬り掛かるロイ。
クロスは手の平をロイに向けると叫んだ。
「地獄に落ちろ!」
火炎の奔流がロイの体を包み炎に焼かれるロイ。
ロイは絶叫した。
「なぜ・・・獣人ごときに魔法が!?」
「貴様の知ることろではない」
そして炎に焼かれながらロイが本性の尻尾をピョンと出した。
尻尾の先はハート型になっている。
それを見届けクロスは呟いた。
「なるほど・・・そう言うことだったのか」
ロイが断末魔を上げながら炭と化したのを見届けて家探しを始めるクロス。
一階の全ての部屋を見て回ったがアリスはいなかった。
そして二階に向かい部屋を探索していた時、寝室でアリスを見つけた。
アリスはベッドに横たわってすやすや眠っていた。
だが、そのアリスを見て赤面することのないクロス。
そう、アリスは衣服を着用したまま眠っていたのである。
だが、その寝顔をよく見ると涙の筋があり泣きながら寝ていたようであった。
クロスはアリスの肩を揺さぶった。
「レディアリス、起きなさい、アリス、起きるんだ!」
激しく揺さぶられてようやくアリスが静かに目を見開いた。
同時にアリスは赤面し自分の体を抱きしめて言った。
「侯爵、お願い、こんな姿を見ないで!」
キョトンとするクロス。
「君はなにを言っているのかね・・・」
アリスはエッと言う表情で自分の姿を確認すると特に異変はなかった。
アリスはベッドから起き上がるとクロスに抱き着いた。
「私・・・セックスをしてしまいました。間も無く死にます」
「いや、君は死なないよ」
抱擁を解き、驚愕するアリス。
「えっ・・・どうして」
「先の男に抱かれたんだね」
「王族の落胤と称していました」
「いや、それはない。あれはインキュバスだ」
「えっ・・・では」
「あぁ、夢魔だね。夢の中に侵入する能力を有し、女性の夢に侵入し、いかがわしいことを執り行い、そして精気を吸い取って存続している魔物だよ。まあ私の魔法で死んだがね」
「では、私は夢の中でセックスをしていた・・・」
「そう。魔女の呪いであれ、流石に夢の中のセックスには効力は及ばないんだよ。だから君は死ぬことはないんだよ」
張りつめていた緊張感が解け号泣するアリス。そう、ダイニングで眠りから覚めた瞬間。あの瞬間からの出来事は全てが夢の中の出来事で、リアルの世界のアリスはインキュバスがベッドに運び終えていたと・・・。
「正直、カレに惹かれ、カレに抱かれて死ぬのなら構わないと思いました。ですが、行為の途中で自問自答し、カレへの愛に疑問を生じた時、カレがいかがわしい本性を覗かせたのです」
「愛のないセックスゆえに絶望したと?」
「はい・・・そんなセックスなら男性を知らずに死んだ方がマシだからです」
「と言うことは君は処女なんだね?」
赤面するアリス。
「はい・・・」
クロスも思わず赤面してしまう。
「そっ、そうか。まぁ、兎も角、不幸中の幸い、インキュバスでよかったよ」
顔を赤く染めたまま無言でコクリと頷くアリスであった。
そして2人は屋敷を出た。
だが、2人の後にはぞろぞろと瘦せこけた20代から30代の女たちが続いた。
クロスが地下室で発見したのである。
そう、森に消えた婦女子であった。
彼女らはインキュバスに精気を吸われ精も根も尽き果てた姿をしていたが、それでも、命に別状はなかった。
もう屋敷は元の絢爛豪華たる造りではなく、インキュバスが死んだ為に廃墟のようになっていた。
そしてクロスはアリスと共に女たちを引き連れ森を出ると、クロスはアリスを馬に乗せ、二人乗りで馬を歩かせた。
そして、そこで女たちと別れた。
女たちはクロスに礼を言い、クロスの馬を追う形で、元の集落に帰って行くのであった。
クロスは馬上でアリスに話し始めた。
「馬に乗ってくれたと言うことは僕の屋敷に帰ってくれるのだね?」
アリスはしばらくの無言の後答えた。
「侯爵はお怒りではありませんか?」
「私が一体なにを怒ると言うのかな?」
「私が無断で家を後にしたことをです」
「君は私を想って家を出た。逆にそこまで君の気持ちを察しなかった私に落ち度あると言うものだよ」
「いえ、侯爵はお優しい方です。悪いのは私の方なのです」
「いや、そんなことはあるまい。それより、一つ約束して欲しいんだ」
「はい」
「束縛は苦しいだろう。だからいつでも家を出て行って貰っても構わない。ただし、今回のように無断で出て行くことは決して行わないで欲しい」
「はい、必ず守ります」
「よかった。それを聞いて一安心だ。では、行くよ!」
クロスは馬の腹に足で合図を送り、馬は駆け始めた。
風を切って爽快に走る馬。
クロスは思った。
次、アリスが出て行く時、自分は彼女の呪いを解いてやるだろうかと?
風の中、答えは見つからなかった。
それほどまでに手放したくなく、愛おしい人、アリス。
自分の卑怯さも十分承知の上、彼は自身の不毛な愛を悲しく思った。
この辛い日々に光が差し込むことがあるのだろうか?
今は分からない・・・だが、絶望だけは決してしたくなかった。
クロスは前を見据えて未来に向けて走り始めた。
アリスはクロスの腰に手を回し、その温もりを感じた。
冷酷なインキュバスの肌には感じられなかった、その温もり。
正直内心狼の顔となった侯爵を完全に信用している訳ではなかった。
それでも、今はただその温もりに身を任せていたかった・・・。
※第3話まで終了。
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