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父の書庫も一階にあった。
部屋に入るとかび臭いにおいが鼻を突く。
書庫には大量の魔導書や魔術研究書の類が所狭しと積み重ねられていた。
学究肌の父に反してクロスは座学はあまり得意ではなく、魔法もただ本能のままに操る、よく言えば天才肌であった。
そしてクロスは本棚から魔導書を手に取るとページを捲り始めた。
もしもこの狼の顔を元の顔に戻す方法が見つかり、元の顔に戻ったとしたら
なにがしたいだろうか?
やはり、己の素顔を真っ先にアリスに見て貰いたかった。
己の顔はアリスの好みに叶うであろうか・・・?
少なくとも狼の顔よりも希望が持てるだろう。
そんなことを妄想しながら次から次と魔導書を手に取り、時間を過ごすこと2時間。
クロスは魔導書を書架に戻すと虚しいため息を吐いた。
今日も収穫はなかった・・・。
誰のせいでもないが怒りが沸々とこみ上げて来る。
「チクショウ!」
クロスは目の前の壁を正拳突きした。
するとであった。
ボコン・・・。
クロスは、はて?と首を傾げた。
この時クロスは一番端の書架の前におり、その書架の端から、書架の背面に当たる壁に正拳突きしたのだが、本来、石材で出来ているであろう箇所から妙な音が響いたのである。
クロスは今一度正拳突きしてみた。やはりボコンと音が鳴り響く。
「ここの奥に空洞があるのか?」
クロスは力任せに書架を引きずってどかすと、その背後の壁の隅に取っ手を見つけた。
「隠し部屋か・・・父から聞いたことがないぞ」
クロスはその取っ手を横に引くと壁は案の定ドアになっており、その奥に1坪ほどの大きさの小さな隠し部屋が出現したのである。
クロスは胸を高まらせながらその隠し部屋に入った。
だが隠し部屋には書架はない。
その代わり、部屋の中央に台座があり、その上にただ一冊の本が置かれていたのである。
そして本の上には手紙が置かれていた。
クロスは手紙の封を切り中身を読み始めた。
「この手紙を手にするのはやはりクロスだろうか?
もしものことを考え、この手紙を残すことにした。
クロス、お前は座学は苦手だが、古代魔術の存在については耳にしたことぐらいはあるだろう。
もう古代魔術については資料もほとんど残っていない。
だが、その古代魔術のごく一部ではあるが、この魔導書に伝わっている。
そしてこの魔導書は世界にただ一冊のみ残されているもので、代々、ベルスタイン家はこの魔導書を家宝として伝えて来たのだ。
古代魔術と言うのは、現在の洗練された魔法や魔術に比べていささか滑稽なものが多いが、魔術や魔法の歴史を語る上で欠かせないのもまた疑いようがない。
これを家宝としてクロスに托す。
ルイ・ベルスタイン」
ルイ・ベルスタイン、そう、クロスの亡き父であった。
父は座学に偏り過ぎて実践を疎んじ、結果的にモンスターにクロスを除いて家族ごと奪われてしまった悲しい人だったが、それでもクロスにとって大切な人であることには変わりはなかった。
クロスは魔導書を手に取った。
ズシリと重い。
そして所々虫食いのためにページを破らぬように慎重に捲って行く。
もしかすると・・・己の呪いを解く方法があるかも知れない。
だが、そんな都合良くこの呪詛を解呪する方法など記されておらず、遂に最後の1ページ前にまで来てしまった。
クロスは深々とため息を吐いた。
「今日は私はため息ばかり吐いている」
自虐的な笑みを浮かべて最後のページを開いた瞬間であった。
クロスの頭の中が真っ白になった。
そこにはタイトルにこう記載されていたのである。
『セックスをすると自分自身が死んでしまう呪いを解呪する呪文』
クロスの魔導書を持つ手が小刻みに震えた。
これでアリスを救うことが出来るではないか!
しかし、クロスの手が震えたのはアリスを救えると言う感動から来たものではなかった。
もしも、この呪文でアリスを救ってしまったら、100%アリスはこの家を去り、子爵の令嬢としての地位を回復し、再び貴族たちから熱烈な愛を捧げられる日々を送ることになるであろう。
それは、喜ばしいことではないか!
だが、己はどうなる?
いわくつきの巡り合わせとは言え、アリスと出会えたのだ。
だが、呪いが解けたアリスは己を用済みとしもう忘れ去ることであろう。
その孤独、虚しさを思うと居ても立っても居られない気持ちになったクロス。
では、この呪文を知ったことをアリスには隠ぺいしておくのか?
それはそれで残酷極まりなかった。
今のアリスになんの希望があると言うのか・・・。
クロスは悩んだ。
散々悩んだ挙句、クロスは結論を下した。
少なくともアリスには現段階では隠ぺいしておくことにする。
クロスはまるで自分が悪の化身にでも堕してしまったのではないかと思わず身震いした。
しかし、それでも結論を覆すことはなかった。
そう永遠にとは言っていない。あくまで現段階においてはなのだ。
ただ、今、アリスを手放したくはなかった。
この狼の顔の自分をアリスが好いてくれると言う希望を抱いた訳ではなかったが、それでも、今はアリスと共に生活を送りたかったのだ。
それに、クロスは一縷の希望を抱いていた。
クロスの呪いは伝説の魔女カミラを討ち倒せば解ける。
ではどうやって?
今考えられるのはまずは己の魔法のレベルを上げると言うこと。
もう一つは伝説の魔女に弱点があるとするのならばそれを見つけ出すこと。
これぐらいしか思い浮かばなかったがないよりましだ。
そして、その先に魔女を討ち倒すことが叶えば、その時、アリスの呪いを解けばいいのではないのかと。
そう、それまでアリスをこの家に囲っておき、恋敵を寄せ付けず、元の顔に戻れば、その恋敵ともフェアに張り合うことが可能だろうと。
よって現段階では・・・なのだ。
アリスには辛い選択をさせることになるだろう。
しかし、クロスは身勝手ながら己の思いを優先させることにし、魔導書を手に持つと隠し部屋を後にし、書庫を出て自室に戻り、机の引き出しを開けて魔導書を仕舞うと鍵を掛けたのであった。
◆
薄暗い路地の奥、そこに深緑のローブを被った一人の女がいた。
女の顔は見えない。
女の前で一人の男が命乞いを始めた。
「かっ、勘違いだ。俺はお前など知らない」
「さあ、どうだか。頬に傷のある魔導士は片っ端から殺害すると決めているのよ」
「そんなのあんまりだ!俺はお前の記憶など奪った覚えがないんだ!」
「辛抱強いのね、まだ痛め付けられたいのね」
すると男は砕けた腰に力を入れ、立ち上がると叫んだ。
「舐めるなよ、魔法も使えないこの小童が!ぶっ殺してやる!」
ニヤリと冷たい笑いも漏らす女。
「世の中なんでも魔法で通じると思っているのか知れないけれど、それは勘違いよ・・・」
「うるさい!」
魔導士は手から炎の火球を女に放つ。
すると女は軽々と避ける。
魔導士は次から次へと女に火球の攻撃を仕掛けるが見事に避けられ、遂に間近に迫られる。
「ヒィィーー!」
「マルモンロー家の者を舐めないで」
女は匕首を魔導士の首に当てるとドスの効いた押し殺した声で言った。
「これが本当の最後のチャンスよ。私から奪った記憶を返しなさい」
「ほっ、本当なんです、私はあなた様の記憶を奪ってなんかおりません」
女は冷めた表情で言った。
「なら・・・死になさい」
一気に首を匕首で引き裂く。
魔導士は金切り声の断末魔を上げながらその場に倒れ息絶えたのであった。
ローブをはらりとめ捲る女。
そこにいたのは、マルモンロー侯爵家の令嬢、ジネット・マルモンロー
、そう、クロスの幼馴染であった。
◆
その日、ジネット・マルモンローは美しく着飾ったドレスを身に纏い馬車に揺られていた。
そう、クロスが今日、ヒカリアミガサダケを使った料理を振る舞ってくれると言うお誘いを以前受け、彼の屋敷に向かっていたのだ。
乾燥でないヒカリアミガサダケを使った肉料理は春の今の季節にしか食べることの出来ない料理で、その歯ごたえ、芳香ともに茸の女王と言われ、ジネットも大好物だった。
クロスと2人だけの会食。
今はクロスは狼の顔をしているだけにクロスを独占出来るのは自分の特権だとジネットは思っていた。
以前のクロスは本人は気づいていたのかどうか知らないが、社交界で令嬢たちの話題を常に攫うような注目の人だったのである。
家柄と言い、元騎士団副団長としての働きぶりと言い、そしてその美しい顔立ちと言い、モテない要素がなかった。
だが、クロスが今のような風貌になり、その注目は別の意味に変わった。
そう、奇異の対象として捉えられるようになったのだ。
しかし、自分は違う。
クロスとは幼馴染で、クロスの見目だけではない内面の素晴らしさを知っている。
シャイで、優しく、包容力があり、聡明で、魔法の能力は素晴らしく、チャーミングで、意志の強いところ、彼の魅力を上げ始めたら幾らでも上げれる。
だから、あんな風貌でも会いたいと思える人なのだ。
そして馬車はクロスの屋敷の前に到着した。
ジネットは馬車を下りると、庭を通り、ドアの前に立つとドアノッカーを叩いた。
しばらくすると応答があった。
「どちら様でございましょう」
「エンゾ、私よ、ジネットよ」
ドアが直ちに開く。
「ジネット様、お待ち申しておりました」
「ウフフ、お腹ペコペコに空かせて来たんだから」
そして室内に入った瞬間であった。
玄関から入った所にある大広間に意外過ぎる人物がクロスと共に立っていたのである。
クロスはニコリと微笑むと手を挙げて言った。
「やあ、ジネット。待っていたよ。ただお目当てのヒカリアミガサダケは採ることが出来なかったんだけど・・・怒ってる?」
「いえ・・・怒っていないわ。それより・・・彼女」
「あぁ、レディアリスかい。ちょっと訳があってこの家でしばらく暮らすことになったんだよ」
礼をするアリス。
「お久しぶりでございます、レディジネット。社交界以来となるかと思います」
「ええ・・・久しぶりね、アリス。堅苦しい、ジネットでいいわよ。そんなことより、あなた、例の噂の呪いを正直にクロスに話したの?」
顔を赤らめるアリス。
「はい、隠すことは出来ませんので」
「クロス・・・あなた、それを分かってこの娘を匿ったの?」
「匿うもなにも、レディアリスはなにも悪いことはしていないだろう?」
「なにを考えているの、あなた?」
「いや・・・レディアリスは行く当てがないからここに住んで貰おうと、ただそれだけだよ」
「下心があっても・・・彼女とはいたせないのよ」
顔を真っ赤に染めるクロスとアリス。
「突然、なにを言い出すんだい君は!僕はそんなこと一切考えていない」
「ならアリスを使用人として雇うつもり?」
「おいおい、子爵家の令嬢だぞ、レディアリスは!」
「でも行く当てがないと言うことは、放逐を意味しているのでしょう」
「はい、ジネット、確かにその通りです」
「じゃあ、令嬢でもなんでもなくただの女じゃない、しかも、呪われた女でしょう?」
黙り込むアリス。
クロスが言った。
「ジネット、レディアリスに落ち度があれば兎も角、彼女には罪はないんだよ。だからそれ以上、責めることは止めてくれないかな?」
「責めてなんかいないわよ、事実を指摘しただけ」
「まあ・・・兎も角、行く当てのない彼女を見過ごす訳には行かないと言うことだ」
「クロス・・・あなた自分の本当の気持ちを糊塗していない?」
「えっ・・・?」
「伝説の魔女に呪いを掛けられたのよねアリス?」
「はい・・・」
「ねえ、クロス、伝説の魔女が意味もなくこんな酷い呪いをかけるかしら。やはり、それなりの理由があってのことだと思うんだけど」
「レディアリスに呪われる理由があると言うのかい!?」
アリスが割って入った。
「私は心当たりありません!」
「でも、現にあなたは呪われた」
黙り込むアリス。
「もしかすると、魔女にも理由があったかも知れない。だが私はこう考えているんだ。無論、私の呪いとレディアリスの呪いは魔女にとって別件だろう。しかし、どちらの呪いも魔女の意志と言うよりか裏で暗躍している人物がいるのではないかと」
「なんの根拠あってそんなことを仰るの?」
「伝説の魔女が己の意志で手掛けたにしては、あまりにも下らない、茶番とも言える呪いだからだ」
ジネットの顔が心なしか引き攣る。
「なら、暗躍している人物は下らない人物だと・・・」
「下らないね、見下げ果てたクソ野郎だ」
ジネットの顔にうっすらと怒りの感情が広がる。
「まあ・・・仮にいたとしての話でしょ」
「そうだ、あくまで仮の話だよ」
「じゃあ、これも仮の話。あなたの狼の顔の呪いが解けたらアリスはどうするの?」
「えっ・・・なにを言い出すんだい?」
「そうなると、あなた自由に恋愛し放題よ。この娘を屋敷に匿っていたら、貴族の令嬢はあなたを相手にするかしら?」
「それは・・・」
答えは明瞭だった。
そう、先の魔導書にある通り、アリスの呪いを解く、それだけだ。
だが、今は魔導書の件は口が裂けても誰にも言う訳には行かない。
そう・・・たとえ、国王が相手だとしても。
クロスは威儀を正して答えた。
「私は希望的観測は行わない。だからノーコメントだ。しかし、アリスを見捨てるようなことは決してしない」
不安に染まったアリスの顔に安堵が広がる。
クロスを見るアリスの目が潤んだ。
「まあ・・・いいわよ。そんなこと、そうは容易に起こらないことはあなたが一番分かっているのでしょうし」
「そうだ、ジネット、君の言う通りだ。伝説の魔女カミラは一筋縄では行かない相手なのだ」
「でしょうね・・・。それより、お腹が減ったわ。ヒカリアミガサダケはないそうだけど、ご馳走してくれるのでしょう?」
クスリと微笑むクロス。
「ああ、ここからは楽しい宴と行こう!」
宴は楽しいものとなった。
夕餉はピエロエビと春野菜の盛り付けの前菜に始まった。
ピエロエビは、春に卵を持つエビで、卵のプチプチの食感が弾力があり口の中でうま味が爆発するように弾けるので、それがピエロのダンスのようだとそこからネーミングされたエビだった。
スープはココイモのポタージュ。
ココイモも春が旬のイモで、すりおろすと虹のような色が化学反応で置き、スープとしてお皿に盛られるとそれだけで心が躍る一品だった。
魚料理はルー貝とリリーとマール蟹のマリアージュ
ルー貝とマール蟹は上品な味わいが特徴で、リリーと言う魚は春が旬の魚で、深海から春に産卵するために沿岸にやって来る魚で、体長10メートルの怪魚となり、顔はモンスターのように恐ろしいのだが、それに反して身は繊細な旨味が凝縮し、別名、姫魚とも言われ、深海の女王と称えられる魚であった。
そしてここで口直しの春苺のシャーベット
肉料理はオニイノシシのステーキ。
本来はヒカリアミガサダケが入ったソースがかけられる予定であったが、それ抜きでも野趣に満ちた力強い味わいが特徴のジビエだった。
デザートはロッツォと呼ばれるチョコレートケーキ。
春のさまざまなベリー類が中から次々と現れ、チョコの苦さと絶妙なハーモニーが特徴のケーキだった。
そしてこれらのメニューを堪能し、コーヒーを飲む3人。
ジネットが満面の笑みで言った。
「ご馳走さま。とても美味しかったわ」
アリスが続く。
「ご馳走さまでした。春を満喫と言った感じで、心がワクワクするメニューでした!」
「お気に召して頂いてなによりです。フフフ、こんなナリです。肉ばかり食べていると思いましたか」
「正直、お食事の前はそうなのかなと」
「ですよね。でも実は違うんです。意外に健康に気を使っているのですよ」
ジネットが言った。
「ええ、そのナリで太ったらそれこそ本当に見っともないわよ」
「うん・・・気をつけるよ」
「でも、本当に楽しかったわ。アリスと水入らずのお住まいのところ、これからも遊びに来てもいいかしら?」
クロスとアリスが同時に顔を赤く染める。
「ジネット、今日の君はいつもに増して毒があるよね。僕たちは夫婦じゃないんだし、今まで通り遊びに来たらいいよ」
「ええ、そうさせて頂くわ。じゃあ、私これで失礼させて頂きます」
席を立つアリス。
「うん、見送るよ」
クロスとアリスも席を立ち、3人はダイニングを後にしたのであった。
2人は屋敷を出て馬車に乗って帰るジネットを見送り屋敷の中に戻った。
ジネットは阿修羅の如く怒りの形相で馬車に揺られていた。
アリスがクロスの屋敷にいることなど断じて許せなかったし、あり得なかった。
ジネットは自分の計画に大きな誤算が生じたと震える拳を見つめた。
そう、クロスの直感は当たっていた。
伝説の魔女カミラは己の意志でアリスを呪った訳ではなかった。
いや・・・アリスだけではない、クロスに関してもだ。
クロスはアリスの呪いと自分のそれとは別件だと主張していたがそれは誤りだった。
全てはジネットが裏で操っていたのである。
クロスに呪いを掛けさせた理由。
それは単純にアリスへの思いを断ち切らせるためだった。
ジネットは心の底からクロスを恋していた。
だが、一向に自分には振り向いてくれなかった。
だから解ける呪い、これが絶対条件だったが、それを選択した結果、狼の顔のクロスが出来上がったのであった。
そう、魔女には魔女殺害しか解呪方法はないと、脅しを含めクロスには告げて貰ったが、本当は伝説の魔女だけが知る、解呪の方法があるのだ。
よって、クロスの呪いを解くには2つの方法があったと言う訳であった。
だから、当初の計画はここまでで、アリスを呪うことなど念頭に置いていなかった。
そう、逆にアリスを呪う方がデメリットがあった。
狼顔のクロスに対して美貌のアリス。
ならアリスがクロスを相手にするはずがない。
よって、多くの貴族に言い寄られるアリスならば直に結婚するだろうと心算していたのだが、アリスは一向に結婚しない。
そう、アリスが結婚すればクロスの呪いを魔女に解いて貰うそれが当初の予定であった。
しかし、そうはならず、また、クロスは狼の顔になってもアリスへの未練を断ち切ることはなかった。
よって、アリスをカミラに呪って貰うことにしたのだ。
カミラは言った。
多くの呪いから選択させる中で、セックスすると自分自身が死んでしまうと言う呪いを選択したジネットに告げた。
「これは古代魔術の呪いで掛け方は分かるが解き方は伝わっていない。そう、永遠の呪いとなるがそれでもいいのか」と・・・。
ジネットはそれでいいと悪魔の笑みを漏らしアリスに呪いを掛けさせることにしたのだ。
この呪いをアリスが掛けられたら、もう恋や結婚には絶望するだろう。
いささかやり方がえげつない気がしたが、やはりクロスのアリスへの思いを断ち切らせるにはこのぐらいやらなければ生温い気がした。
そう・・・クロスと言う男性は一途な所があるからだ。
だが想定外の出来事が起こった。
そう、よもやのベルスタイン邸でのアリスの同居である。
クロスの顔の件もあったし、アリスの呪いのために同居したとしても特に問題はない。
二人は子作りはおろか恋することも叶わないのだから。
だがそれでもいい気分がしない。
肉体関係がなくとも、2人の精神的な絆が強まる可能性は否定できず不愉快だった。
そう、呪われたアリスを見捨てなかったと言うことは、クロスがアリスに未練があると言う証拠のような気がしたのだ。
だが・・・肉体関係の叶わない相手にいつまで未練を持ち続けることが出来るだろうか?
そう、そこに付け入る隙があるような気がした。
自分こそがクロスに相応しい女だと疑うことのないジネット。
そう・・・恋の戦場はこれからが本番なのだと。
ジネットはそこまで思い至って深々と深呼吸し気持ちを落ち着かせた。
そして馬車に揺られながら今一度、伝説の魔女カミラのことを考えた。
カミラは当然無償で今回の件を引き受けてくれた訳ではなかった。
ジネットの母は若くして病で亡くなった。
その時に、マルモンロー家に伝わる、世界にそれぞれ1つしかない2つの家宝を譲り受けた。
そう、この家宝はマルモンロー家に女子が生まれた場合、その子に優先的に継がせると言う仕来りによるものだった。
それは2つの魔石だった。
ジネットは魔法を使えない。
だが魔石は魔法を使えない者でもその効果を活用出来る。
その魔石を引き換えに魔女に呪いを掛けて貰ったのだ。
まず1つ目の魔石。
装着すると愛する人への殺意を抑えることが出来なくなり殺害する魔石。
言わば呪われた魔石である。
だから家宝を言われてもジネットにとってがらくた同然で魔女にくれてやってもなんの未練も生じなかった。
ただ魔女は世界に1つの魔石と言うレアさを買ってくれたのだろう。
しかし、クロスがアリスへの思いを断念せず、アリスをも呪わざるを得ないことになった時、2つ目の魔石を魔女し差し出すかはとても悩んだ。
2つ目の魔石。
装着すると恋心を別の人物に向けることが出来る魔石
これは魔石の背面にその名前を刻むと、その人物へ恋心を向けてくれると言う魔石であった。
そう、片思いに苦しむジネットにとって打って付けの魔石とも捉えられた。
しかし、それはジネットのプライドが許さなかった。
そう、魔石の効果でクロスに好きになって貰っても、そんなもの愛とは言えず、ただの自分を愛すると言う傀儡を手に入れたに等しいからだ。
だから、結果的にその魔石を手放しアリスを魔女に呪って貰ったと言う次第であった。
だが・・・ここに来て、正直、悔いがないと言えば嘘だった。
そう、アリスがベルスタイン邸に同居すると言う現実を突き付けられて気持ちが揺れ始めたのだ。
人生と言うものはつくづく自分の思った通りに進んで行かないものだなと感じ入ったジネット。
禍福は糾える縄の如し・・・古い諺を思い返したジネット。
自分には恋に関する福はやって来るのだろうか・・・。
そこまで思い至って、ジネットは厭な記憶を思い返した。
そう・・・ジネットは14歳の時に、見知らぬ魔導士に記憶の一部を奪われているのである。
それは高度な魔法で、部分記憶消去と言う魔法だった。
ある一定の期間の記憶を日付を元にし、その期間のみの記憶を魔導書に移転させる魔法で、それによってジネットのある一定に期間の記憶が欠落しているのである。
マルモンロー家は、伯爵家と言う高い爵位を与えられながら、いわば影の部分を司ることの多い一族であった。
マルモンロー家は魔法使いを輩出しない代わりに、戦闘能力を特化させた人材を多数輩出し、今まで他国の王族、また内外問わず貴族の暗殺に携わって来た過去があった。
ジネットも御多分に漏れず、令嬢であるにも関わらず、暗殺術を徹底的に叩き込まれており、件の魔導士とも一戦交えたのだが、まだ幼かったジネットが太刀打ち出来る相手ではなく、相手の覆面を辛うじて剥がす程度、だが、ローブに隠れて全ての顔は見えず、頬に傷のある男だったと言う記憶が残っているに過ぎなかった。
それから手下の者たちに情報を収集させ奪われた記憶を取り戻すべく、頬に傷のある魔導士を片っ端から狩って来たのだが、依然、件の魔導士とは邂逅を果たせていなかった。
その奪われた記憶がなんであるのか分からない。
そう、日記もつけていなかったから。
しかし・・・なんだかとても重要な記憶のような気がしているジネット。
その・・・記憶を取り戻すことが出来たら、人生が別の形で動き始めるのではないか・・・。
そんな儚い願望を抱きつつ、ジネットは馬車に揺られながら深く目を瞑ったのであった。
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