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クロス・ベルスタイン侯爵はその日、自身の経営する荘園の外れにある森を散策していた。 丁度春先に実る美味しい茸、ヒカリアミガサタケを目的に茸狩りのために森に入ったのである。 従者は連れず一人での散策であった。 一人には慣れていた。 いや、現在のクロスの肩書は第三魔導騎士団団長と言う立派なもので、絶えず人の中で活動していたクロスであったが、それに反して常にクロスの心は孤独だった。 それはその見目に関係していた。 クロスの首から下は人間だったが、顔が狼だったのである。 いくら、様々なモンスターが跋扈するランドルヴァーグ王国とは言え、顔が狼でその下が人間などと言う珍妙な人獣は存在せず、無論、クロスも生まれつきこのような呪われた姿であったはずがなかった。 そう、それはおよそ半年前のある日のことであった。 クロスが森で秋の雑木林の紅葉に日々の疲れを癒していた温和な時間・・・その静かな時間を突き破る存在がクロスの目前に現れた。 その人物を見た時、クロスの体に悪寒が走った。 その頃、クロスは第三魔導騎士団副隊長の地位におり、それは単に侯爵家と言う爵位の高さからものにした地位ではなく、魔導騎士の本分、そう、魔法を扱う能力の高さを買われ27歳と言う若さで抜擢された誇らしい栄誉であった。 その能力を生かし、近隣諸国との戦争、また、モンスターとの戦いにおいて、数え切れぬ武勲を上げて来たクロスであったが、そのクロスにして、その人物は絶対的な恐怖を覚えさせる存在であった。 彼女の名前はカミラ・ストイヘルツ、伝説の魔女と呼ばれた存在であった。 クロスは思わぬ人物に出会ってしまったと、深くお辞儀した。 侯爵が魔女ごときにお辞儀するとは常識的でなかったかも知れない。 しかし、クロスは自身が魔法を使えるだけに、伝説の魔女の魔術の高さを魂の底から敬服しており、肩書が通じる相手ではないことを十分に理解していたからであった。 カミラは深々と頭を下げる侯爵に気をよくしたのかウフフと鼻で笑うと言った。 「顔を上げなさい侯爵」 「はっ!」 恐る恐る顔を上げるクロス。 魔女は続けた。 「噂にたぐわぬ美しい顔ですこと。その顔でどれだけの女性をたぶらかして来たことかしら」 恋に奥手なクロスは少年のように頬を赤く染めた。 「いえ・・・そんなことはございません」 「フフフ、そうなんだ、カワイイ。じゃあ、今は交際している女性はいらっしゃらないの?」 その指摘にクロスの鼓動が高まった。 クロスには片思いの女性がいた。 マイラート子爵家の令嬢、アリス・マイラート。 アリスはランドルヴァーグ王国随一の美女と誉が高く、多くの貴族にとって垂涎の的であり、クロスも絶えず心の中にアリスへの想いを募らせていたのだ。 面識はなかったものも、社交界でチラリと顔を拝見し一目惚れしたのであった。 だが、アリスを狙う恋敵は非常に多く、さてどうアタックして行くべきかと日々心を悩ましていたクロス。 クロスは答えた。 「交際している方はおりません」 「そうなーんだ。って、知ってて確認したのですけどね」 クロスは若干イラつき始めていた。 一体カミラは自分になにが言いたいのだ? 「あの・・・もうこの辺りでよろしいでしょうか?」 「死にたいの?」 クロスの体が一瞬震えた。 「ごっ、ご冗談を・・・」 「本気よ。殺されたくなければ話に最後まで付き合いなさい」 「了解しました・・・」 クロスは戦ってもまず勝ち目はないことを理解していた。 そう、なんだか雲行きが怪しい。 だが、ただで殺されるわけには行かない。 蟷螂の斧かも知れぬが、やる時はやらねばならない・・・魔導騎士団長のそれが矜持だった。 すると伝説の魔女は話を続けた。 「顔を変えさせて欲しいのよ」 「はっ・・・今なんと」 「そのキレイな顔を私の魔術で変えさせて欲しい要件はそれだけよ」 「一体なんの目的でそのようなことを・・・」 「それをあなたが知る必要はない。嫌なら殺す、簡単な二択よ、選びなさい」 クロスは黙り込んでしまった。 顔を変える? そんなことをして魔女にとってなんのメリットがあると言うのだ? 戯れか? 少なくとも噂に聞く伝説の魔女は、己の魔術の高さを見せびらかす為にそのような下らない戯れをするような人物ではなかった。 それに否定すれば殺すと言っている。 そう・・・おそらく、魔女はなんらかの理由でもって己の顔を変えなければならない、そんな状況に立たされているのだ。 この伝説の魔女をそのような状況に追い込む人物は世界に存在するのか? 王族? いや、王族から恨みを買った覚えはないし、仮に王族から恨みを買えばこのような回りくどい方法で対処されるとは到底信じ難い。 クロスは厭な気分に襲われた。 そう・・・魔女の背後にいる何者か、その者の意図が全く掴めなかったからだ。 だが兎も角、早急な判断を迫られている。 戦ってこの窮地を切り抜けるか・・・だが運よく切り抜けることが出来たとして五体満足ではいられない、そう騎士団長の務めは返上しなくてはならないだろう。 クロスは騎士団長であることを誇りに思っていたし、それ以上に騎士であらねばならない理由があった。 そう、両親と妹をモンスターに皆殺しにされた過去があったのだ。 だから家族を失ったクロスは今は本当の意味で天涯孤独の身であった。 もう失った家族を取り戻すことは叶わない。 しかし、モンスターによる被害を最小限に食い止めることが出来れば、自分のように悲しみにくれる人々を生み出さないで済む。 これがクロスが騎士でなければならない最大の理由であった。 クロスは冷静な判断を下さねばならないと思った。 失った両親から頂いた・・・この顔。 母の面影と父の面影がこの顔には詰まっている。 大切な顔。 その顔を失わねばならないのか・・・。 だが、それでもクロスには守りたい人々がいた。 クロスは決断を下した。 「私を殺さず、顔を変えて下さい」 クスリと微笑む魔女。 よく観察すると・・・なぜかその顔には安堵の表情が漂っている。 魔女は言った。 「冷静ね、普通なら悪あがきするものよ。それほどまでに私の能力を買って下さっているのかしら?」 「あたら命を散らすわけには行かないのです」 「いいでしょう。では目を瞑りなさい」 クロスは答えた。 「鏡はお持ちでありませんか?最後に自分の顔を見ておきたいのです」 魔女はニヤッと微笑みローブの懐から手鏡を差し出した。 それを受け取り己の顔を鏡に映すクロス。 クロスは自分の顔を見ながら思った。 人生でこの顔を一番愛してくれた人は一体誰だったのだろうと? 27年生きて来て女性との交際がなかった訳ではなかった。 だが・・・あまり交際は上手く行かなかった。 社交界でのエスコートが上手く行かなかったせいであろうか。 たしかに自分はおしゃべりは上手い方ではない。 だが自分なりに誠実に交際して来た積りだったが、どの女性からも本当に愛されたと言う思い出は皆無であったし、それは相手の女性だけの責任ではなく、自分もそのような女性たちにどこかしら冷めた態度を覗かせていたのは間違いなく、お互い様だった。 クロスは最後に思った。 一度だけでいい、この顔を、そう、この私を心の底から愛してくれる、そして同時に私も心の底からその女性を愛せるような、そんな恋がしたかったと。 爵位など関係なく、自分には遠い存在だったアリス・マイラート。 こんな目に遭うのならば、思いの丈を打ち明けてしまえばよかった・・・。 だが・・・それは叶わぬ儚い夢と散ったのであった。 クロスは魔女に手鏡を返すと悲愴な表情で言った。 「自分の顔との別れは済ましました・・・」 「では、今度こそ目を瞑りなさい」 静かに目を瞑るクロス。 そこでふと思った。一体魔女はどんな風に自分の顔を変えようとしているのだろう? 魔女に問いかけようとした時、目を瞑っていても鋭いオーラ、威圧感を感じ、出かかった言葉を飲み込んだクロス。 魔女の詠唱が始まった瞬間であった。 「闇の中に眠る闇に囚われた光の虜囚よ目を覚ませ、そして闇にこそ、そなたの力を目覚めさせよ、我は闇に仕える眷属、伝説の魔女、カミラ・ストイヘルツ」 目を瞑っていても瞼の上から鋭い光が差し込む。 魔女は光輝く手でそっとクロスの顔を包むとなにか呪文を呟いた。 それはクロスにも聴き取れないほどの小さな囁きだった。 光が収まる。 魔女がクロスの頬から両手を離すと言った。 「目を開けなさい侯爵」 クロスは恐る恐る目を見開いた。 そして魔女は手鏡をクロスに手渡すと言った。 「今日からそれがあなたの新しい顔よ。どう気に入って?」 クロスは怖じ怖じと鏡を覗き込むと頭の中が真っ白になった。 そう・・・顔が狼になっていたのだ。 クロスは呆然とした表情で言った。 「私を狼の顔の獣人にしたのですか!?」 「意外にカッコイイじゃない」 「からかわないで下さい!こんなナリじゃ最悪人間社会から追放されてしまう!」 これでは騎士団副隊長どころか侯爵の爵位すらも剥奪される恐れがあった。 「でも殺されずに済んだでしょう。それがあなたの選んだ道よ。じゃあ、私は帰るから。さようなら」 そう言うとクロスから手鏡を奪い取り踵を返すと颯爽と森の中を歩いて行く魔女。 クロスは叫んだ。 「この呪いを解く方法をお教え下さい!」 魔女は足を止め振り返るとおぞましい表情で高々と笑うと答えた。 「私を殺すこと、以上よ。いつでも受けて立つわ。じゃあね」 そう言い残し魔女はクロスの前を去ったのであった。 クロスは自身の選択が本当に正しかったのか悔やんだ。 だが・・・どっちにしろ無茶な二択だった。 クロスは自虐的に笑った。 もうこれで誰からも愛されることはなくなったし、よほどのことがない限り爵位も剥奪、騎士団副隊長の役職も解雇、屋敷も荘園も手放さなければならないのであろうか? ならもう自分は流浪の民、いや、流浪の人獣である。 しかも、狼が顔の人獣など世界で報告されたことなく、天涯孤独の人獣。 それを考えただけで心が病みそうだった。 それからのクロスの労の詳細は簡略に済まそう。 結果的にクロスは爵位も剥奪されなかったし、騎士団副隊長の役職もそのまま、屋敷も荘園も全てがクロスの手元に残った。 そう、クロスは王族に、仲間に、ひいては人間社会に受け入れられたのである。 問題の最大の焦点は、この狼顔の人獣が本当にクロスが変身させられたのか、それとも虚偽の申告なのかと言う点であった。 王族や貴族の中からは虚偽の申告だと死刑を求める声も上がった。 だが、それは結果的には覆った。 それはクロスの家系にまつわる特殊な事情が逆にクロスを結果的に救ったのであった。 魔導騎士は魔導騎士ゆえに魔法が使えて当然だったが、その魔法の属性は、治癒魔法を除き、一人につき一つ、そう、風属性を使える魔導騎士は風属性のみと言った形が絶対であったが、クロスは火属性と水属性の2つの魔法を使えるイレギュラーな存在だったのである。 よってその魔法を王族や貴族の前で開陳し、事なきを得たのであった。 そして同時に狼獣人がクロスだと信じて疑わぬ同僚や部下の根回しにもクロスは感謝した。 普段から信頼されている証がこのような状況においても発揮されたのである。 その中で特筆すべき働きをしてくれたのがマルモンロー侯爵家の令嬢、ジネット・マルモンロー、そう、クロスの幼馴染であった。 ジネットは、知恵の働く女性で、クロスしか知り得ない情報を王族や貴族の前で言葉巧みに誘導しクロスに開陳させ、信頼を獲得させ、また、子供の頃、クロスが水泳していた時にクロスのお尻にハート型の痣があったと告げ、それを見た王族や貴族は腹を抱えて笑いながらも徐々にクロスを認めて行ってくれた経緯があったのだ。 持つべきものは友だとクロスは心底感謝したのであった。 クロスはほろ苦くも懐かしい日々を茸狩りの最中に思い出していた。 今では騎士団における活躍が認められ騎士団長の地位にまで登り詰めた。 そして・・・伝説の魔女と遭遇したのも、この森だったのだ。 だが、狼顔の人獣となってからの日々、クロスは幸せだったかと言われれば そうとは言い切れなかった。 やはり差別は当然の如く存在した。 町、村、近所・・・どこへ行っても奇異の目で見られ恐れられることもあったし、王族、貴族の中にも、クロスを疎ましく思っている者もいるようであった。 以前は社交界にもそれとなく顔を出していたが、一度試しに行ってみたものの、特に婦女子から恐れられそれ以降一度も顔を出していなかった。 そんな中、ジネットは違った。 クロスの住む屋敷にも足繫く通い、彼の孤独を慰めてくれた。 なぜジネットはこんななりになった自分を恐れないのか不思議で彼女に尋ねたことがあった。 するとジネットは事もなげに答えた。 「幼馴染じゃない、私たち」 「本当にそれだけで私を避けようとしないのかい?」 「ええ、顔は狼でも、心は以前のあなたのままだから」 この言葉を聞いた時、クロスは初めてジネットのことを異性として意識した。 それからクロスは快活な気分でジネットと談笑し、帰り際、ふと彼女に尋ねられたことがあった。 「クロス・・・一つ聞いていい?」 「うん、なんだい?」 「アリスへの思い・・・もう断ち切った?」 「どこでそれを!」 「お酒に酔っていて覚えていないのね?以前、騎士団の伯爵や侯爵方と私を含む令嬢らを交えてここで会食したことあったじゃない。その時のお話を耳にしたの」 そう言えばそう言うこともあったかも知れない・・・。 クロスは怪訝な表情で答えた。 「それを知って、なぜそんなことを聞く?」 「あなたが可愛そうだからよ」 「叶わぬ恋と言いたいのかい?」 「じゃあ逆に、その顔でアリスへの思いが遂げられるとお思いなの?」 「そっ、それは・・・」 「苦しいでしょう。なら一層のこと忘れてしまえばいいのよ」 「それが出来たらどんなに楽なことか!」 「出来ないのね」 「呪いを解くには伝説の魔女を倒さねばならない。だが・・・今の私ではとてもじゃないが太刀打ち出来ない」 「ええ、命をかけてまで立ち向かう相手ではないわ」 「あぁ・・・それも分かっている」 「それが分かっていればいいのよ。じゃあ、私帰らせて頂きます」 「また・・・来てくれるよね」 クスリと微笑むジネット。 「ええ、何度でも・・・」 ジネットのように心強い味方が一人でもいるとやはり勇気づけられる。 クロスは薄っすら微笑むと目前の茂みに見つけた茸に手を伸ばした瞬間であった。 ガサガサ・・・。 獣か? クロスはふと顔を上げた瞬間であった。 クロスは心臓が一瞬止まりそうになった。 マイラート子爵家の令嬢、アリス・マイラートがそこに立っていたのである。 アリスは水色のハンカチで汗を拭きそれをスカートのポケットに仕舞っている最中であった。 クロスは呆然と無言のままアリスを見つめた。 アリスはモンスター、いや、獣人が目前にいると勘違いしたのであろう。 キャャーーー!と悲鳴を上げた。 クロスは慌てて叫んだ。 「レディアリス、私はモンスターや獣人ではありません!クロス・ベルスタイン、ベルスタイン侯爵です!」 それを聞いてアリスは悲鳴を止めてしげしげとクロスの顔を眺めた。 「あぁ・・・噂に聞いていたあの狼の顔になられたと言うベルスタイン侯爵だったんですね!」 「いかにも私は正真正銘のクロス・ベルスタインです。なんなら火属性と水属性の魔法をお見せしましょうか?」 クスリと微笑むアリス。 それにしてもその(かんばせ)花唇(かしん)があまりに眩しい。 「いえ、もしモンスターや獣人ならとっくに襲われていたことでしょう。あなた様を侯爵だと信じます」 「ありがとうございます。それにしてもレディアリス・・・子爵の令嬢が従者も付けずにこんな森の中を出歩くとは物騒ではありませんか!」 するとアリスはまじまじとクロスの顔を見つめて言った。 「侯爵は私に関する噂をまだお耳にされていないの?」 「社交界から大夫遠のいておりますので、また第三方面を司る第三魔導騎士団の活動もモンスターに有無に左右され現在はわりと穏やかなのです、そう、仲間とも活発には交流をしておりませんので・・・」 「そう・・・実は私、家から放逐されたんです」 「えっ・・・それはなぜ!?」 まさかアリスが罪をおかした・・・そんなことは信じたくはない! するとアリスは顔を真っ赤に染めて答えた。 「いずれ知ることになるのです。今は都は私の噂で持ち切りなのですから。私は伝説の魔女に呪いをかけられてしまったのです」 よもやの回答に黙り込むクロス。 まさかアリスまでが自分と同じ境遇に追い込まれるなんて・・・。 「ではその呪いと言うのは・・・」 「はい・・・私、セックスすると自分自身が呪いで死んでしまうと言う呪詛を被ってしまったのです」 顔を真っ赤に染めて答えるクロス。 「恥知らずの伝説の魔女め!レディアリスになんと言う呪いをかけたのだ!」 「はい・・・死か呪いかの二択を迫られ、私は泣く泣く呪いを選択することにしたのです」 「それは賢明です」 すると怒気を含んだ表情で訴えかけたアリス。 「一体なにが賢明なのですか?」 「えっ、それは、魔女を打ち倒すせばその呪いは解ける、そう、誰かが魔女を倒せる可能性は皆無ではありませんので」 すると(こうべ)を振り答えるアリス。 「いえ・・・この呪いはたとえ魔女が死んでも解けることはない呪いなのです」 「そんなことはあり得ない!私の顔ですら伝説の魔女を倒せば呪いが解けるのです!そんなこと誰が言ったのです!?」 「伝説の魔女当人が仰ってました。この呪いはそう言うたぐいの呪いなのだそうです・・・」 最悪だった。 ならアリスの恋愛や結婚は絶望そのものではないか? 「一体なんのために魔女はそんなゲスい呪いを・・・」 「分かりません。魔女に恨まれる心当たりは一切ないのです」 「でも・・・それがなぜ放逐に繋がるのです?」 「マイラート子爵家の令嬢に相応しくないと放逐されたのです。そう、私は多くの貴族の方に言い寄られていました。だから正直に呪いの件を打ち明けると瞬く間に噂は広がってしまって・・・そして遂にその噂が両親の耳にも入ってしまったのです」 「では行く当ては・・・」 (こうべ)を振るアリス。 「いえどこにも・・・。ただ途方に暮れて歩き続けて来たのです」 「レディアリスは人でなくても同居出来ますか?」 「なにを仰りたいの?」 「屋敷の中を狼顔の獣人がほっつき歩いていたらやっぱり落ち着きませんよね?」 クスリと微笑むアリス。 「初めは慣れないかも知れませんわね。でも、まさか・・・」 コクリと頷くクロス。 「ええ、もしよろしければ、私の屋敷にいらっしゃいませんか?」 「本当によろしいの?」 「ええ、構いません。私は両親と妹がモンスターに殺害され、今は屋敷にメイドと執事とのみで生活しております。だから空き部屋が沢山あるのです」 アリスはクロスの申し出には心から感謝したが、正直、やはり見目が狼顔のクロスには警戒感を抱いていた。 夜になると人を喰らうような本性を覗かせないだろうか? それを思うと本音は同じ屋敷では生活したくはなかったが、かと言って自分を受け入れてくれる者が他にいるだろうか? 親戚には既に父親が拒絶しろと根回ししているだろう、では友人は? こんな呪われた女を友人として認めてくれるだろうか? 貴族としての格に傷が付くと相手にされないかも知れない。 アリスは侯爵の申し出を受け入れざるを得ないのだと覚悟を決めた。 「こんな呪われた女を受け入れて貰って本当に構わないのでしょうか?」 「ええ、ご遠慮なさらずに。居たいだけ居てくれたら・・・」 「ありがとうございます。ではそのお申し入れ、遠慮なくお受けさせて頂きます」 ニコリと微笑んだクロスであった。 クロスは茸狩りを切り上げて森を抜けてアリスと共に屋敷に向かった。 小さな青く美しい湖の畔に立つクロスの屋敷。 地下一階を含めた三階建ての屋敷は侯爵家だけあって立派なものだったが、家族を失ったクロスには持て余し気味だった。 だがそこに、思いも寄らぬ人と今生活が始まろうとしている。 その出会いは、決して喜ばしいものではないだろう。 そう、アリスが呪われなければ、このような僥倖は自分には決して巡って来なかったのだから。 アリスは庭にチラリと目をやった。 手入れが行き届いている。 そう、これを見てアリスはほんのちょっぴり安堵の表情を滲ませた。 庭が荒れ果てていれば、きっと、心も荒れ果てている。 そう、侯爵の手に寄らずともきちんと庭師を雇い管理させ、その庭に美しい花々が咲き誇り、この花々を侯爵が眺めて暮らしていると言うことは、見目は野獣であれ、心は人なのだろうと・・・・それがアリスを少しだけ安心させたのであった。 侯爵はそんなアリスの思いなど露しらずドアノッカーを叩いた。 しばらくすると執事であろう返事があった。 「はい、どなた様で」 「エンゾ、私だクロスだ」 ドアが静かに開く。 そこには身なりが小奇麗に整えられた初老の執事が立っていた。 「お帰りなさいませクロスさま。ヒカリアミガサダケは採れましたか?今晩はヒカリアミガサダケを使った飛びっきり美味しいメニューをクレモンが腕によりをかけて作ると仰っていましたよ。フフフ、さぞかし大漁のヒカリアミガサダケを・・・」 クロスが下げる空の籠に目を留めるエンゾ。 「あれ、まさか坊主・・・」 悪びれるクロス。 「まあ・・・ちょっと事情が出来てね、さあ、レディアリス」 ドアの陰に隠れていたアリスがエンゾの前に姿を現す。 「初めてお目にかかります。マイラート子爵の娘のアリス・マイラートと申します」 「あぁ・・・あの美貌で誉の高いとお噂のご令嬢」 顔を赤らめるアリス。 「いえ・・・今は令嬢と呼ばれてよいものか」 「ちょっと、事情があってね、当分家でお住まいになられることになったんだ」 「事情とは・・・・」 「まあ、色々と・・・」 するとアリスはそれを遮り言った。 「もう私の噂は満都に及んでいます。だからバレるのも時間の問題、正直に打ち明けますわ。私、伝説の魔女にセックスをしたら自分自身が死んでしまうと言う呪いを掛けられたんです」 「それはクロス様の呪いと同じ魔女!?」 「そのようです」 「私たちは同じ宿敵に呪われていると言う訳なのだ・・・」 「しかし、侯爵の呪いは解けるのですよね?」 「まあ・・・伝説の魔女を討ち倒せば」 「私はその希望すらないのです・・・」 掛ける言葉が見つからないクロス。 彼女はこのまま恋人も作らず、結婚など考えることすらなく、孤独に一人の生涯を終えるのだろうか。 それは、自分も同じようなものかも知れなかった。 呪われた2人が肩を寄せ合いこの屋敷で暮らして行く・・・。 ただ、それが互いが望んだ形ではないので、幸せなはずがなかろう・・・。 クロスは、それでも、この生活に潤いを齎してあげたいと思った。 さて・・・自分になにが出来るだろうか? そしてクロスとアリスは屋敷に入ったのであった。 アリスを二階に通し、亡き妹の部屋を彼女に確認して貰った所、直ぐに気に入り、その部屋をアリスの自室、その隣の部屋を寝室とすることにした。 暫くアリスには部屋でくつろいで貰おうとメイドに紅茶とクッキーを運ばせてクロスは一旦一階の自室へと戻った。 書斎の椅子に腰掛けると深々とため息を吐くクロス。 夢にまで見た片思いの人が屋敷の一室にいるとは今でも信じれない気持ちであった。 高揚する抑えきれない気持ちと、彼女の不遇とが入り混じり複雑な心境になるクロス。 それにしても伝説の魔女と言われるお方がなぜ自分の呪いも含めてこのような稚気めいた、はっきり言えば下らない魔術の使用法に身を裂くのであろうか? あまりにも低俗過ぎるのだ。 このような魔術使用法に悦に浸る人物ではなかったはず。 やはり・・・何者かが背後で暗躍している。 一体どこのどいつだ・・・。 それが分かればなにかきっかけが掴めるかも知れなかったが、今の所はとば口にすら立っていないような気がする。 それにしても・・・とクロスは今一度ため息を吐いた。 クロスにはここの所、日課があった。 それは、ダメ元で、父の書庫に残された膨大な魔導書を読み解く、即ち、伝説の魔女を倒す以外に自分の呪いを解く方法を探していたのであった。 だがかれこれ一ヶ月寸毫の収穫もなかった。 ただ虚しくページを捲る日々。 そろそろこの日課にも終止符を打たなけれならない。  クロスは重い腰を上げると部屋を出て父の書庫へと向かうのであった。
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