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十五 青い気持ち
「師匠」
「どうした怖い顔をして」
「勝手市場の話です」
竹細工の修行に根を詰める弟子の民子。ここで少し外出し楽しませようと誘ったのに。民子はその市場で売ることに燃えていた。
……あの日からこんなことばかり。よほど興味があるんだな。
本当は喜ぶ顔が見たかった司。それでも無表情にて頑張り屋の娘を応援していた。
民子は祭りで売ると必死にザルを作っていた。しかし、彼女が作れるのはザルだけ。これでは販売にならないと思っていた。
「他に一緒に売るものがないですか」
「俺もまだまた作るぞ」
せっかくなので作品を作っていた司。しかし民子の商人の血がずっと騒いでいた。
「……うーん。それもいいんですけど」
民子。立ち上がった。そしてお茶を淹れようとお湯を沸かし出した。囲炉裏の火の上。鍋の湯気が上ってくるのをぼおと待っていた。
「お客さんは、選ぶのも楽しいんですよね」
「勝手市場には他の商品もたくさんあるがな」
「こう、うちじゃないとない物が欲しい……何かないでしょうか」
目の前の鍋の湯が沸いた。民子、これを柄杓ですくい急須に入れた。
「竹、竹。竹……竹の商品がいいのだけど」
商売人の娘民子。ここではっと気がついた。
「そうだ!この笹茶?これがいいわ」
「それか。そんなのが売れるのか」
「ええ?これよ!」
民子。コポコポと竹を切った湯呑みに入れた。そして司に出した。
「それに!そうだ!そうだわ」
「おいおい、落ち着け」
「あれを頼んで……そうよ!そうすればいいのよ」
「ああ、だめだこれは」
夢中になっている民子。この様子に司は頭を抱えた。こうなっては何を言っても聞かない。いや聞こえない。集中している彼女は何やら紙に書き出していた。そしてその後。司に説明を始めた。
「『笹茶』と『石鹸』?」
「はい!他にも竹炭の人も紹介していただけませんか?」
「それがいいが。お前、竹炭をもらうつもりか」
「いいえ。商品にならないものです。臭い消しになるんですよ」
その他にも民子には商品の案がたくさんあった。どれもが司の竹仲間。興奮している彼女のため、この日、司は銭湯の湯船で彼らに会った時、民子のお願いを頼んだ。
「炭の残り?そんなのたくさんあるけど。何に使うんだよ」
「俺も知らん。とにかくそのうち、もらいに行って良いか」
「別にいいけど。お前さ。変わったな」
「へ」
仲間はどこか寂しそうに語った。
「以前はこう、ツンツンしていたのに。可愛い弟子のためにここまでなんでもするなんて」
「そ、そんなことは」
「赤くなってるんじゃねーよ」
「これは熱くて赤いんだ!」
この時、女風呂から声がした。
「師匠ー。民子は出ますー」
可愛い声。仲間が冷やかした。この時、一人がふざけて代わりに返事をした。
「おう。わかったぜ」
「はい!」
「……お前ら」
仲間のふざけもそうだが、自分の声を間違っている民子に司はおへそを曲げて銭湯から出てきた。
民子、外で待っていた。
「師匠。すいませんでした!」
「なんだ」
「さっきの声。ヨネさんなんです」
これを聞いた嘘の声を出した仲間。悔しそうに笑った。しかし司の方が最高に嬉しそうだった。
「ふふ……そうか。ヨネか。おい、ヨネだとよ」
「くそ。司の嬉しそうな顔が憎いぜ」
老婆とやり取りしてしまった竹仲間。司、じゃと手を挙げて民子と帰ろうとした。そこに竹仲間が声をかけた。
「なあ。お弟子さん。今度来るの待ってるからな」
「俺も、なんでもあげるからさ」
「みなさん。ご協力おねがします」
「いいから!帰るぞ」
人気者の民子を隠すように司。一緒に帰り出した。風は秋色、空には金星が光っていた。
「ああ、気持ち良い」
「今が一番良い季節だな」
笹が揺れる竹林。その中を二人は歩き出した。爽やかな空気を民子は深呼吸をした。それを横で司は見つめていた。
……熱はあれ以来、でていないし。よかった。
竹の仕事は民子のおかげで順調だった。これから二人で竹を割り、材料となるまで細く切る仕事がある。それは今はお預け。民子のための市場で販売する品の方を優先していた。
「師匠」
「なんだ」
「……竹っていいですよね」
「今更なんだよ」
「だって。こんなに生えているんですもの」
怖いくらい静寂な竹林。民子風呂上がりの浴衣姿でつぶやいた。
「根が張るので家屋を痛めると聞いていましたけどね」
「まあな。畳を突き破って竹の子が生えてくることがあるものな」
「そんなに?」
「ああ」
司、濡れた髪をかきあげた。
「だがな。あれは嵐の時の風除けと、山火事の時の火事避けもあるんだ。だから植えることが多いんだ」
「そうか……なるほど」
「これは、真竹だ……太くて大きいからな」
司。歩きながら竹を触った。
「そうですね。多分、かぐや姫もこの竹でしょうね」
「ははは。そうかもな」
司のお姫様は目の前にいる。そんなことを言えるはずもない彼、民子を連れて小屋に帰った。そしていつもの静かな夜を過ごした。
翌日。司は進次郎の家に民子を連れて行った。
「どうも」
「あ、司か、お?民ちゃんか」
「おはようございます」
藍色の着物、かすりのもんぺ姿。髪をキリリと結んだ民子。笑顔で農家にやってきた。その傍ら長身の司、恥ずかしそうに竹カゴを背負っていた。その時、農家の納屋から進次郎の奥さんがやってきた。
「どうも!あんたが民ちゃんかい」
「お世話になってます。うわあ?大きなお腹ですね」
すぐに打ち解けた二人。これをよそに司と進次郎は話し出した。これは鈴竹の仕事や年末に作る竹ぼうきや熊手の話。竹細工だけでは苦しい彼ら、副業の打ち合わせをしていた。
そんな時、農家の奥から白髪の老婆が顔を出した。
「あんたが司の弟子かい」
「はい!進次郎さんのお母様ですね。笹のお茶を作っている」
「そうだよ。で、なんなのさ」
無愛想な進次郎の母。笹の茶が売れずにふて腐れていた。それを知らず民子、笑顔で彼女に交渉した。
「今度、勝手市場で奥様のお茶を売りたいです」
「無理だよ。前もやったけど。売れなかったもの」
「今度は作戦があります。私に売らせて下さい」
「……どうして、そこまで」
不思議な老婆。民子は正直に話した。
「だって。これを飲むと元気が出るんですもの。それに香りが高いし。お客さんにぜひ紹介したいんです」
「……あんたに良いことなんかないだろうに」
暮らしに必死の老婆。民子の話にため息をついた。それでもお金があれば助かる。ここで必死の民子を見つめた。
「わかったよ。用意しておくよ」
「ありがとうございます!後、石鹸は?」
「それは嫁だ。後は嫁に聞きなさい」
そう言って。幼い孫と部屋の奥に引っ込んでしまった。ここに進次郎がやってきた。
「民ちゃん。すまんな、うちのお袋は、人見知りで」
「いいえ。助かります。あの?奥さんは?石鹸のことで」
民子。この後、竹入り石鹸について嫁と進次郎と相談をした。これは二人の手作りと判明した。
「汚れが落ちるのに。売れないんだよ」
「あのね。進次郎さん。まず、これ色が白ですよね。だから竹っぽくないんですよ」
「ああ言われてみればそうだね」
農家の二人。民子の話を聞いた。そして後日の打ち合わせをして解散した。
「ええと次は、竹炭ですね」
「……何をするのかだけ、教えてくれないか」
「あ?そうでしたね!説明がまだだった」
……夢中で悪気はないのだろうが。
実際は出番がなく寂しい司。その顔をグッと抑えてた。そして民子の話を聞いた。
「炭を石鹸に入れる?悪いが黒くなるぞ。洗濯するのに」
「いいえ!お顔とか体用の美容石鹸にするんですよ」
「美容石鹸?全く、お前は」
キラキラと商品開発に燃える民子。やがて到着した竹炭の使用しない炭をもらうことを決めた。
「いいのか、佐吉」
「いいさ。うちでは要らないものだし。進次郎のその石鹸も気になるしな」
「すいません。この竹炭のお店のことも紹介しますので、詳しく教えてくださいね」
ものすごい仕事ぶり。民子はこうして竹製品を集めて行った。そして疲れ切って小屋に帰ってきた。
帰宅後の民子。食事の支度をしながら考え事。危なくて包丁を持たせられない司。代わりに食事を作った。弟子と師匠があべこべの二人。司はそれでも家事の方をやっていた。
「できたぞ。食え」
「はい。すいません師匠」
素早く食べ終えた民子。夜になっても何やら仕事をしている様子。司、とうとう、その細腕を掴んだ。
「来い」
「は、はい」
外に出た司。彼女を小屋の壁に立たせた。
「何か気がつかないか」
「ええと……星ですか」
「よくみろ」
「……あ。あの星ですか?真っ赤だわ」
ようやく気がついた民子。火星の接近。司、ため息をついた。
「あれは火星。この時期、ああやって大きく見えるんだ」
「すごい」
司。ここで民子を壁ドンした。
「師匠」
「お前。夢中になるのもいいが修行はどうした」
「はい……」
司。おでこに手を当てた。
「熱はないな」
「はい」
……怖い顔。そうか。心配してくれたんだわ。
「ならいい、早く寝ろ」
そう言って体を解いた司。広い背中、頭をかいていた。逞しい腕、綺麗な黒髪、口調は怖いが優しい人。
……私、夢中になってしまって。
急に居た堪れなくなった民子。思わず司を背後から抱きしめた。
「なんだ?」
「ごめんなさい!私、自分のことばかりで」
「ようやく気がついたか」
司。呆れながらも抱きつかれたままでいた。背中には必死な娘の息を感じていた。
「俺のことなんかどうでもいいんだろう」
「違います!?そんなことないです」
否定している民子。必死に抱きついた。
「無理しなくていいぞ。俺なんかどうせ使い捨てなんだ、お前にとって」
「違います。師匠、そんなことないわ。お願い、そんな意地悪言わないでください」
背中でめそめそ泣き出した民子。司、この泣き顔、実は好きだった。
「そうか?では顔を見せろ、なぜ泣いているんだ」
前を向かせた司。意地悪顔。民子はベソをかいていた。
「だって……師匠に嫌われそうで」
「このままだと嫌いになるかもな」
「いやです!嫌いに、嫌いにならないで」
うわ!と胸に泣きついてきた民子。司、ようやくほっとした。
……俺のこと。嫌いになったわけじゃないな。
司。素直になって民子を抱き締めた。よしよしと頭を撫でた。
「ではな。お前は俺をどう思っておるのだ」
「尊敬してます」
「当たり前だろう俺は師匠なんだから……それ、以外は?」
結構ドキドキで尋ねた司。民子、胸で考えた。
「それ以外……」
「やっぱりなんとも思ってないんだな」
拗ねてみた司。民子、慌てた。
「ち、違います!?」
民子、泣き顔をあげて彼をみた。
「好きです。師匠が好き」
なんと可愛い顔。司、ぐっと堪えた。
「どれくらい?」
「どれくらいって……この空くらいです」
「空か」
「いいえ?あの、宇宙です!もっと、こうたくさん」
「もういいよ」
司。民子を抱き締めた。嬉しかった顔。彼女にみられずに済んだ。
愛しいとはこのことか。胸で啜り泣く娘。自分を好きだと泣いている。こんないじらしい、素直な娘。好きにならずにいられようか。小刻みに震えるのは、悲しみか、喜びか。司、愛する民子をただ抱き締めていた。
「師匠」
「良いか。民子、勝手市場もいいが、俺の事も忘れるなよ」
「はい……師匠」
夜更けの竹林。虫の音が涼やかな秋の風。夏が終わり二人には秋の足音が聞こえて来ていた。
十三 青い気持ち完
第一章 笹の香り 完
第二章 編む想いへ
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