七 価値

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七 価値

「おはようございます」 「ああ。よく眠れたか」 「はい」 床下の部屋で寝ている民子。先に起きてきた彼女は外から戻ってきた。まだ少し寝ぼけた顔、寝癖の髪。朝日が入る部屋。眩しそうにしていた。 半地下の部屋。その扉が開いていると不安というので閉めて寝ている彼女。本人は秘密の地下室で寝ている気分であろうが、司には面白かった。 部屋にて夕べの作成した竹細工を手に取っていた彼、意地悪く呟いた。 「よく眠れなかったな、俺は」 「あら」 「誰かの寝言のせいだ」 「え?私ですか」 恥ずかしがる民子。司、笑いを堪えながら話した。 「お前、うなされていたぞ?『味噌を返せ』とか」 「『味噌を返せ』?それは、ふふふ……あはは」 朝から二人で笑った。司も民子も涙が出ていた。 「ああ。おかしい。それにお前はずいぶん怒っていたぞ」 「ああ、思い出してきました。確かにそういう夢を見ていましたね」 必死に思い出す民子。笑いを堪えて話し出した。 「私、師匠にお汁を作ったんですけど、お味噌を入れようとして」 「それは夢なんだろうな」 「ええ。それはね。ふ、ふふふ。怒らないで聞いてくださいね」 民子、笑いを堪えて打ち明けた。 「でも、お味噌が見つからなくて。私、家の中を探したんです」 「それで?」 「なぜか師匠が持っていたんですよ。こう抱き抱えて、でもなぜか返してくれなんですよ。だから、それを取り返そうとして二人で奪い合う夢」 「バカな?ふふふ」 晴れの朝。仲良しの二人、元気に朝食を食べ始めた。 「ところで民子」 「はい」 「お前も知っていると思うが、我が家の米が寂しい」 「……そのことでしたら。民子に案があります」 箸を置いた民子。土間を見た。司もその視線をたどった。 「あのように。畑で結構お芋が採れそうです。民子は冬はあれで十分」 「お前は俺に恥をかかせる気か?」 司は民子を見つめた。 「俺の話はそれじゃない。そろそろ竹細工の買取業者が来るんだ」 「買取業者」 「ああ。その人が来たら俺を呼べ。話はそれだけだ」 「はい」 ……そうか。作った作品を買い取ってもらうのか。 今まで商店で販売していた民子。反してここは商品の製作の場。流れは知っているが民子は興味津々だった。 そして業者がやってきた。司が対応した。 「どうも。鈴竹(すずたけ)です」 「こちらこそ」 ……え?鈴竹って。 鈴竹なら知っている民子。びっくりした。鈴竹の品は高級品竹細工の卸屋。民子の店では高値で販売している。司の竹細工をその鈴竹に売っている事実。民子は考えた。 確か。鈴竹は自社で製造しているはず。でも、司のように外部の人にも作ってもらっていること。手の込んだ竹細工ならあり得る話。だがそれなら司の品は高く引き取ってもらえるはずである。 民子の心配をよそに。商談は終わり鈴竹は帰っていった。 「師匠。どうでした」 「まあ。こんなもんだよ」 値段表、司は見せた。民子の顔色が変わった。 「え」 「なんだ?」 「師匠。私は、荒物屋の娘です。師匠が作るような竹籠を販売していますので、実際の価格を知っています」 民子の真顔。司は見つめた。 「何が言いたい」 「あのですね。鈴竹さんは、自社で製造しているので、製品に鈴竹の印が入るんです。でも師匠が売った製品も、こうやって仕入れるのなら、おそらく鈴竹印を付けるでしょうね」 「だから?」 「この売値は安すぎです。実際はこれの十倍ですよ!」 「まあ、そうかもな」 司。囲炉裏の前に座った。 「お前がそう言うものわかるが。それは鈴竹印が入るからじゃないか?俺の名前ではそうも行くまい」 「そんなことありません!」 急に怒り出した民子。司、びっくりした。 「師匠の作品は素晴らしいです。私は今まで鈴竹の竹製品は一流だって聞いていましたが、師匠のような人の作品も混ざっているとは知りませんでした」 「なぜそんなに興奮しているのだ」 「安すぎます。もっと評価されないと竹細工が可哀想です」 「お前……俺に竹細工を売って来いと申すのか」 静かに話す司。民子。はっとした。 「……すいません。ちょっと頭を冷やしてきます」 興奮してしまった民子。竹林にいた。あまりの安値に衝撃を受けていた。 司の作品は素晴らしいはず。商品を売っていた民子にはその価値がわかっていた。鈴竹がもっと高値で引き取るなら我慢できるが、あの安さはひどいと思った。 ……どうすればいいんだろう。師匠の作品をもっと評価してもらうには。 職人の彼。作るのが仕事。駆け引きは苦手の様子。民子、竹林で考え込んでいた。 そして帰ってきて夕飯の支度をした。司、黙って次の作品を作っていた。 静かな囲炉裏の前。二人は何も言わずに食べていた。 「どうした。静かだな」 「今日はすいませんでした。興奮して」 「別に。それはもういい」 司の作品が安すぎると怒り出す弟子。師匠の司にとっては嬉しかった。実際、お金の取引は苦手の彼。どうすれば良いか、彼も考えていた。 「師匠、あのですね」 「ん」 「私は今まで、商店にいたんです」 食べ終えた民子。お茶を飲みながら細々と話した。 「色んな人が買いに来るんです。うちには竹細工ももちろんありますから、私も売ってました」 「どんな物が売れるんだ?」 「……定番ですね。きっと、それが一番使いやすいんです」 民子。思い出していた。 「でもね。変わった人もいるんです。例えば、子供用の背負い籠とか。馬に乗せる籠とか。馬用はいつも聞かれますね」 「馬用か」 「ええ」 「だがな。需要がないと店は置かない。それに竹製品は寿命が長い。一度買えばしばらく持つ。そんなに売れるもんじゃないんだよ」 司。そう言ってお茶を飲み干した。 「さあ寝ろ。明日も早いぞ」 「……はい」 話を閉じた司。どこか寂しそうだった。民子、複雑な思いで眠った。 その翌日。雨。民子、司の許しを得てザルを作っていた。同じザルを作っているうちに、形が整ってきた。 「お、いいじゃないか」 「そうですか」 「ああ。これなら売れるかもしれないな」 「本当に?」 嬉しそうな民子。しかし、ふと手が止まった。 「師匠。私、あの花籠を作ってみたいんですけど」 「あの花籠か」 亡き司の母の作品。民子には話してなかったが、父が売らなかった思い出の美品である。民子はそれと同じものを作りたいと言い出した。 難しいものではない。むしろ簡単な編み方である。男の作品で出すとしたら少々恥ずかしい小物。しかし、民子のような女職人ならやらせても良いかもしれない。 だが、ザルの習得が先である。遊びはまだ先と判断した。 「それはまだだ。そうだな、このザルを千枚作ったら。次に行けるけどな」 無理を言ったつもり。しかし、民子の目が輝いた。 「わかりました。千枚ですね」 ……おいおい、本気か? 司の心配をよそに。こうして。民子はザル作りに没頭していった。翌日も雨の日。司が驚くほど、民子は集中し、急速に上達していった。みるみるザルを作っていた。そして三百枚になった時、司が止めさせた。 「え」 「それ以上は材料がなくなる。もう良い」 「じゃ。次の作品ですね……」 「おい?」 気が抜けた民子。司の腕で崩れた。 「スースー」 ……寝たのか。ほとんど寝ずに作っていたし。 可愛い寝顔。司、本人がみてないことをいいことに見つめた。綺麗な肌、艶やかな黒髪、梅色の唇、小ぶりな鼻、若い眉。額の産毛、どれもが愛しかった。 そんな娘。抱き上げてお気に入りの床下の部屋に寝かせてやった。低い屋根。抱きしめるように布団に入れた。 ……さて。あとは俺が頑張る番だ。 閉じた瞼にそう誓った司。根性持ちの弟子に負けるわけにはいかない。彼は変わった形の籠を編んでいた。そして数日後、鈴竹の商人がやってきた。 「どうもです」 竹籠を背負った鈴竹商人。ここに司が挨拶をした。 「いつも遠いところをありがとうございます」 「こんにちは!」 笑顔の商人を迎えた司。その脇には民子が微笑んでいた。 「ん?こちらの娘さんは?お嫁さんですか」 「いいえ?私は交渉係です。師匠がいつもお世話になっています」 こうして民子。司を背にして値段交渉を始めた。 「私がお店で見た時は、高値でしたよ?もっと高くお願いします」 「弱ったな」 「それにこれ!馬用の籠です。それに、このザルもいかがですか」 「……馬用の籠ね。うん、面白いな、それにザルも良い出来だ」 感心した商人。手に取ってじっとみた。 「揃っているしね。よし。買おう」 「うわ。ありがとうございます」 こうして二人の作品を高値で買い取ってくれた。お金のやりとりの後、民子、そっと話し始めた。 「あの、鈴竹さん」 「まだ何か?」 「うちの師匠はなんでも作れます。何かこうご注文はありませんか?」 「注文か、そうだね」 彼もまた。会社からたくさん指示を受けていた。その商品集めに大変だと民子の入れたお茶を飲んだ。 「鈴竹さん。すいません、もう一度言ってください」 「言いますよ。猫を入れる籠、魚を干す時、蝿が入らないような籠。そして、抱き枕」 「抱き枕?何ですかそれは」 話を聞いていた司。思わず質問した。鈴竹、腕を使って説明した。 「寝ている時に、こう抱くみたいですよ。あ?時間だ!じゃ。また来ます」 彼は忙しそうに帰っていった。 「すごかったな」 「慌ててましたね」 ……お前の方だろう。すごいのは。 いつもよりも高値で売った民子。しかも馬用の籠は驚くほど高く売れた。司、民子が渡してきた紙幣にびっくりしていた。 「師匠」 「なんだ」 「今度は抱き枕ですね」 真顔でじっと見つめる娘。本気である。司はその真剣な彼女の頭を優しくなでた。 「民子よ。お前という奴は」 ……もう次の目標か?やれやれ、頑張りすぎだろう。 「それは後だ。まずは飯にしよう」 「待ってください。私のザルが一枚何円だったか計算をしなくちゃ」 「おっと?民子、こっちに来い。こっちだ」 夢中な民子、司はその細腕を取った。そして夕焼けの外に出た。 「師匠?あの」 「民子……あのな。まずよくやった」 「はい」 司、腕をほどいた。家の背にし夕焼けを見ていた。 「俺は思うんだ。値段もそうだがな、俺の作品をどんな人が使うのか、お前、楽しみじゃないか?」 「そう、ですね」 「だからな。まずはあの林に感謝しよう。お前の作品はあそこから生まれたのだから」 そう言って彼竹林に向かってお辞儀をした。民子、竹林を見た。そして一緒に手を合わせ頭を下げた。 「……どうだ」 「そうですよね。私つい、損得勘定で考えてしまって。せっかく初めての作品が売れたのに。感謝の気持ちが足りませんでした」 落ち込む民子。司、意地悪顔になった。 「……足りないと思うな?まだ」 「あ」 司の嫌味。民子。ハッとして彼を見上げた。 「師匠。ありが」 「遅い!俺に言われる前にその言葉を聞きたかった……」 「ごめんなさい」 「気持ちがないからだ」 ふんと背を向けた司。民子、その着物の背を必死に摘んだ。 「違うんです」 「何が」 「私。師匠の馬籠が売れたので、そっちの方が嬉しくて。つい」 「お前?」 涙目の民子。意地悪がすぎた司。腰に手をやって見下ろした。 「民子」 「ごめんなさい」 「……泣くな。俺が悪かった」 「う、うう」 思わず胸に抱いた司。しくしく泣き出した民子はじっとしていた。 「師匠」 「なんだ?」 「これで……これで、お米を買いましょうね……」 胸で泣く娘。彼は頭を優しく撫でた。 「ああ、買おう。買おう。味噌も、買おうな……」 愛しい娘。抱く彼。その嬉しい顔は、星しか知らなかった。二人には優しく竹林の風が吹いていた。 七話「価値」完 八話「抱いて眠れ」つづく
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