九 悪魔の根城

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九 悪魔の根城

「まだか。あの娘は」 「すいません。まだ発見できません」 「どうしたもんかね」 民子を逃してしまった精神病院。施設長は民子をまだ探していた。彼らの資料には民子は喘息持ちであるが、自殺志望であり、酒を飲むと暴る娘になっていた。 家族が困っている厄介者を預かるのが商売のこの施設。金をもらい病人をただ隔離するだけ。治療はしない。延命は家族が望んでいないのだから。 ここは病院に行けない違法薬物中毒患者や、家庭環境の歪みによる生まれた後に陥った心の病気の類の者ばかり。嫁入り前の娘がいる家庭や、名のある家では家を潰す厄介者ばかりである。 施設長もかつて自分の息子がそうであり、そのため娘が自殺するなど悲しい過去がある。なのでこの施設を作り、気の毒な家族を救っていた。 この施設にやってきた笹谷民子。いなくなってしまった。しかし、それを知らない家族は高額な治療費を毎月送っていたのである。 現在、経営が苦しい施設。代表の彼はこの金を受り、そして必ず民子を発見することを選んだ。そもそもここは交通が不便なところ。逃げられる場所ではないはずだった。 「金もないんだ。もっと探すんだ。飲み屋町にでも働いているかもしれない」 「わかりました」 こうして追跡係に指示した施設長。ここに来訪者が来た。 「すいやせん、笹谷のお嬢様にお目通しくださいませんか」 「笹谷……お見舞いですか」 「へえ」 みたところ。下人の男。おそらく家族から見て来いと言われた程度であろう。この男が娘を心配しているようにはとても見えなかった。 施設長、彼を地下の牢獄に連れて行った。奥の奥。独房に一人いる娘を見せた。 「あれです」 「へえ」 「食事は摂っていますのでご安心を」 薄暗い牢屋。髪の長く同じ年頃。しかも患者はもうしばらく口を聞いていない。しかも彼女は寝ていた。この替え玉。爺やは騙された。 「もう、結構ですぜ」 「そうですか」 こうして対面させた施設長。爺やの三郎にお茶を出した。 「……実はですね。率直に言いますと。あなたもお見舞いも大変でしょう」 「へえ」 「こちらもですね。まあ、家族が見舞いに来ると、その患者が動揺しますので。なるべく来ないでいただきたいのが本音です」 「へえ」 三郎。まだ理解できていなかった。 「ですがね。わたしゃ、旦那さんに言われて毎月来ないと金を貰えんのですわ」 「あなたが来なくても。こっちは来たことにします。それでどうですか」 「来なくても?良いんですか」 施設長。うなづいた。 「今日は二十日だ。ではこうしましょう!毎月あなたは二十日にここに来ている。でもそれは形だけ。あなたは来ない」 「俺は、来ない」 「そう。そのお金で、二十日には、隣街にでもおいでなさいな。そこには女も酒もありますよ」 「女?そうします!ははは」 「ははは。よかった」 商談成立。これで三郎の面談を阻止した施設長。大きな腹を撫でていた。 ◇◇◇ 「ただいまです」 「お。どうだった?民子の様子は」 「へえ」 三郎の話。無能な老人の要領が得ない話。勲にはわからなかった。そこで質問をした。 「では、一人部屋か」 「へえ、そうでしたね」 地下の独房。確かに一人部屋である。 「食事は?」 「食べていると言ってましたね」 本当にそう聞いた三郎。全く嘘はなかった。 「様子はどうだ」 「寝てましたので。声をかけませんでした」 「そうか。助かったよ」 そう言って。勲は駄賃をあげた。 「次はいつ行くんだ?」 「へえ。毎月二十日に行く約束をしてきました」 「そうか。頼むよ」 三郎の仕事ぶり。勲は喜んでいた。しかし。三郎はこの後、一度も行くことはなかった。 そんな勲。店に顔を出した。客が騒いでいた。 「いかがなさいましたか?」 「この奥さんが!私が盗みをしたと」 「だって。本当に盗ったのよ」 交番の警官も来たがそう言う事実はなかった。笹谷は平謝りで客に謝罪し、和解金を払った。 「どうしてなの!本当にあの人、盗ったくせに」 「早苗」 「旦那様。ちょっと」 「なんだ?お加代」 田舎から出てきた奉公娘の加代。長く勤務しており民子と仲良しの娘。そばかす顔の赤ら顔。美人ではないが、よく気が効く働き者。勲は妹のように思っていた。 「さっきのお客様。本当に盗んだと思います」 「え」 「でもそれは盗んだふりで、すぐに棚に返したんです。きっと奥様を騙すつもりで」 「そんな……」 こんなことばかり。勲は頭を抱えた。 「旦那様。私、噂を聞いたんです。笹屋の奥さんはその『騙しがきく』って。だから不良がこんなに来るんじゃないですか?」 クソと勲は首を横に振った。加代はじっと彼を見つめた。 「旦那様。お嬢様はどうしているんですか?」 「……三郎が様子を見に行っている。元気だそうだ」 「そうですか……あの旦那様」 加代。勲を見つめた。 「お嬢様が戻るまで。加代に奥様の分も働かせてください。このままではお店が潰れてしまいます」 「お加代」 「お手当は今のままでいいです。国の弟達もみんな学校に行けましたので。加代にどうか、恩返しをさせてください」 頭を下げる加代。なぜこの娘がこうするのか、彼はわかっていなかった。しかし、今はそんなことを言って居られない緊急事態。勲、加代に店を任せることにした。 「早苗。また昼から酒か」 「いいでしょう?他に何もすることがないんだもの」 嫁から仕事を取り上げた勲。結果、水商売あがりの早苗。昼間から酒を飲むようになっていた。 「みんな、お前の代わりに働いているんだぞ」 「私の代わり?何よ、あの加代って娘?田舎くさい、貧乏娘が?」 「早苗」 「あんな雑巾みたいな女が私の代わり?やってられないわ。出かけてくる」 「おい。お前」 金を持って出かけて行った嫁。今日も止められなかった夫。そこに加代が顔を出した。 「旦那様。旦那様」 「へい!旦那」 「ああ、鈴竹さん。どうも」 竹細工商品。売りに来た鈴竹の商人。大きな籠を紹介した。 「旦那様。見てください。この籠を」 「……大きいな」 「へい!馬が背負う竹籠なんですよ」 商人。お勧めした。 「実はですね。こういった難しい細工は一流の職人しかできないんですよ。この職人さんはうちでも三本指に入る人で。どうですかね」 「馬の籠か」 考えている勲。加代、仕入れを勧めた。 「旦那様。以前、こう言うのをお探しの人がいました。加代が売ってみせます」 「ほう」 「それに。そのザル。綺麗な仕事ですね」 加代。ザルを手に取った。 「あ、ああこれ?馬鹿みたい同じのがたくさんあるんですよ」 「全部同じか」 考える勲。加代、これも仕入れを勧めた。 「旦那様。今度、開店する蕎麦屋さんがありまして、ほら、そこで建築中です」 「ああ。この前、挨拶に来たな」 対面で大工が動く商店街。加代は目を光らせた。 「もしかしたら。これを買うかもしれません。揃ってますもの」 「だがな」 渋る勲。加代は立ち上がった。 「では私。一つ見本に持って聞いてきましょうか?揃っているのは珍しいですもの」 「ああ。行っておいで」 「一番綺麗なものがいいですけど……どれもいいですね」 「じゃ、これかな?さあどうぞ」 鈴竹の目利き。加代、これをもって建設中の蕎麦屋に走っていった。鈴竹、目を細めていた。 「いい奥さんですね」 「え?あ、はあ」 早苗と勘違いしている業者。面倒なので勲。そのままにした。 「器量もいいし」 「あれが?そう、ですかね?」 見かけは地味。はっきり言って美人じゃない。勲はそう思っていた。 「いやいや。違うんですよ。客っていうのはね。ああいう家庭的な娘さんの方が話しやすいし。それに、そういう娘さんを嫁にした旦那さんに好感を持つもんですよ」 何も知らない鈴竹。目を細めた。 「店にもよりますがね。この店で使ってる品を、この店の奥さんも使っているような雰囲気がないと。客を馬鹿にしているようで、すぐに来なくなりますよ」 「……そうですか」 「いやいやいい嫁さんだ。あ。戻ってきましたよ」 加代。嬉しそうに帰ってきた。 「旦那様。ちょうど、こういうのを探していたって」 「本当か」 駆け足だった加代。肩で息をしていた。 「はい、はあはあ。茹でたお蕎麦を、このザルにあげて。そのままお客様にお出しするそうです。今、試したら使う予定のお盆にちょうど乗ったんです」 「そうか」 「よっしゃ旦那!仕入れ値は開店ご祝儀で、うちも値引きします」 「ありがたいです。では、加代、数を注文しておくれ」 こうして二人。大口の仕入れをし、売り上げを上げた。 「さ。今度は、この馬籠だわ」 「お加代……ありがとうな」 奉公人の加代。目を伏せてスッと息を吐いた。 「さあ、まだお仕事はありますよ?向こうの伝票整理です」 「人使いが荒い従業員だよ?ははは」 久しぶりに見た勲の笑顔。加代もホッとした。 笹谷商店に夕日が差していた。老舗の荒物屋にも秋の風が吹いていた。 九話『悪魔の根城』 完 十話「竹取物語」つづく
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