十一 竹の湯にて

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十一 竹の湯にて

「民子。無理をするなよ」 「ご心配かけました」 熱が下がった民子。心配顔の司の顔。その顔の目の下にはクマができていた。 ……しまった。師匠は眠れなかったんだわ。 口は悪いが本当は優しい人。厳しい職人気質であるがそれは彼自身がそうであり、弱音を吐いたことを民子は聞いたことがない。 実家の兄の勲は弱気で文句や愚痴ばかりであったので、対照的。当初は司が怖かったが、今では兄よりも優しい人に思えていた。 「朝ご飯は私が」 「いやいい。また熱を出されたら困る」 司。立ち上がり昨夜の鍋料理に飯をいれお粥にした。そして二人で食べた。 「いただきます」 「ああ。ゆっくり食えよ」 どんどん食べる民子。司ホッとした。それにしても、民子は元気になっていた。そして食後のお茶を二人で飲んでいた。 「どうだ。熱は」 「平熱です」 「どれ」 あぐらをかいていた司が逆手で出すので民子、それに合うように額を出した。司、ここに手を当てた。 「ん、ないな」 「言った通りでしょう」 「偉そうに言うな」 そして民子はお茶を淹れ二人で飲んでいた。 「はあ。美味しい」 「よかったな」 「師匠、私。今までも実家では、こうやってよく熱を出していたんです」 民子。ぽつぽつと話し出した。 「お水をいじったら。その夜は決まって熱が出てました。でも、ここに来てから全然なかったんです。私、ずっと不思議でした」 「俺のおかげだろうな」 司。冗談のつもりだった。しかし、民子。真顔だった。 「そうだと思います……」 「ぶ!」 思わず司。お茶を吹き出した。 「何を言うんだ」 「たぶん……ここの空気というか。それに、このお茶だと思うんですよ」 「お茶?」 民子。正座でうなづいた。 「昨夜もすぐに治ったし。これを飲んでると。すごく汗が出て。それに、スッキリするんです。これが私の体にいいのかもしれないです」 竹を切っただけの湯呑み。民子、優しく握っていた。 「ふん!それは進次郎のお茶であろう」 「でも。実家でこれを飲んでも、たぶん効き目がないかもしれない。やっぱりここで師匠とこうして飲んでいるから。私、元気なんだと思います」 恥ずかしい話をしみじみ話す娘。司の方が恥ずかしくなった。 「もういい!また寝てろ」 「寝過ぎて腰が痛いです。何か無理なくやりますね」 「そうしてくれ。俺は自分の仕事をする」 昨日、体を動かして実際は筋肉痛の司。竹細工を編んでいたが、寝不足であり体も疲労。おそらく民子も筋肉痛のはず。この日は夕刻で彼は仕事を辞めた。 「民子。銭湯に行くぞ」 「銭湯、お風呂ですか」 「ああ。あるんだ。支度をしろ」 今までは小屋の裏にてお湯を沸かし浴びていた二人。この日、司は民子を連れて竹林を歩き出した。 「竹林をここから抜けると、ほら、煙突が見えるだろう」 「はい。すぐでしたね」 「最近まで湯釜の工事をしていたんだ」 司、手ぬぐいを嬉しそうに肩にかけた。 「うちはあの風呂屋の竹籠を修理しているから。俺はタダで入れるんだ」 「タダ?すごいです!師匠」 「ばか!大きな声で言うな」 やがて。二人は銭湯の前にやってきた。 「『竹の湯』」 「お前。銭湯に入ったことは」 「子供の頃に、何回か」 「不明なことはその辺の者に聞け、じゃあな、あまりゆっくり入るとのぼせるぞ」 「はい」 こうして二人。男と女の暖簾をくぐりそれぞれ入った。民子。ドキドキである。 ……ええと履物は、この靴箱ね。 入れると大きな靴箱に木の鍵。これを取って番台を向いた。白髪のおばあさんが座っていた。 「いらっしゃい」 「あの。私のお代は。そこにいるはずの男の人です」 「男って、司君。これは嫁さんかい」 「いや。その」 見えないが、司が必死に交渉していた。店の奥さんは司と話をしていた。 「確かにあんたにはお世話になっているが。それはあんたと親父さんだよ」 「そいつは弟子なんだ。頼む。親父はしばらく来れないし」 「……仕方ないね。壊れた竹籠は、直しておくれよ」 「もちろんです!いいぞ!民子」 「はい」 こうして民子。やっと鏡の前にやってきた。大きな竹籠。ここに服を脱いでいれた。 ……うふふ、大きな竹籠。これも師匠のかな。 この籠にタオルをかけて服を隠した民子。銭湯の戸を開いた。 「うわ」 大きな湯船の向こうには富士山の絵。その裾野には竹が広がっていた。 ……ここは竹の湯だもんね。まずは、体を洗いましょう。 そばにあった洗い場。そこで民子、お湯と水を出しタライに張りそれを浴びた。簡単に体を洗って、いよいよお風呂に入った。 「う、熱い?」 「あんた、これで熱いのかい」 「あ。ヨネさん」 激アツの湯船には頭にタオルを乗せた農家のヨネが入っていた。この湯に肩まで入る根性者。民子もゆっくり挑戦した。 ……あ?動くと、熱い波が来るわ。そっと沈もう。 すると。ここでヨネが急にざば!と上がった。民子に熱い波動がきた。 「うわ?」 「無理すんじゃないよ。ここは素人の入る温度じゃないから」 「……そうします」 すごすごと上がった民子。ヨネと一緒に体を洗った。 「背中流しますね」 「お。いいね……いやいや。もっと強く」 「もっと?痛いですよ」 「いいのいいの」 老人の背中。民子は結構ごしごし擦っている。なのにヨネ。感じないのか真っ赤なのに、まだまだの根性洗いの希望。民子。必死で擦った。 「……はい、もういいよ。じゃ。私がやってやるよ」 「いいんですか?でもあの、私は優しくで」 「それ!」 「きゃ!強すぎ!?」 つい大声を出した民子。それに反応が来た。 「おい!民子。大丈夫か!」 「え?師匠?」 壁があるが、上は開いてる銭湯。女風呂に司の声が聞こえていた。 「ヨネ!民子は芋じゃないんだぞ」 「うるさいわ!お前さんはうちの旦那を世話しておくれ」 ……恥ずかしい。 女風呂の客はクスクス笑っていた。 「いいわね。新婚さんかしら」 「うちの旦那に聞かせてやりたいわ」 ……ううう。こうなったら、さっさと洗おう。 「民ちゃん。私は先に上がるからね」 「はい。どうも」 こうして民子。自分ペースでゆったりしていた。熱い大風呂であるが、子供がいる場所はぬるいと知り、そこに入っていた。 「おーい。民子よ」 「はい。もう出ますー」 彼の声で一緒に出た民子。体を乾かして、浴衣を着た。そして銭湯を出た。 「お疲れ」 「お待たせしました。ん」 なぜか司のそばには男の人が数人いた。司、民子の肩を持ち歩き出した。 「帰るぞ」 「あの人たちは?」 「……皆、竹の仲間だ」 ……くそ。失態だ。 男風呂の司。女風呂の弟子があまりの心配の様子。仲間達は民子の顔を見ようと今まで待っていたこの事態。司、誠に恥ずかしかった。それを知らず民子は嬉しそうだった。 「あーあ。気持ちよかったです」 「そうか」 「師匠は?ゆっくりできましたか?」 「まあな」 本当は。民子のことを根掘り葉掘り聞かれて大変だった。 「さっきの人は何屋さんですか」 「竹炭屋と、篠笛といって。祭り用の笛を作っている奴だ。あとは、柄杓など台所用品だな」 「みなさん、竹なんですね」 そう言って。二人は竹の林に入っていた。司、念のため提灯を点けた。 「いつの間に?」 「風呂に行く前に、ここにおいて置いたんだ」 「お早いことで」 「お前も言うようになったな」 風呂上がり、浴衣の娘。石鹸の匂い。べに差す頬、白い肌。美しい娘だった。 それに伴う司。濡れた長い黒髪をめずらしく緩く垂らし、浴衣の胸元は熱いのか開いていた。淡麗な面立ち、髭を剃った凛々しい頬。提灯を持つ手それは繊細。長く細く、白くしなやか。白地の浴衣で涼しげであった。 青く伸びる竹の林。頭上には満天の星が眩しい。鈴虫の音、笹の揺れる爽やかな流れ。二人の下駄の足音が、静かに一緒に優しく続く時間。 「民子」 「はい?」 「……あの銭湯の竹籠を直すぞ。そしたら、二日に一度は入れるから。お前も手伝えよ」 「もちろんです。あのね。女風呂のお手洗いの前の衝立も壊れてましたよ。あれも直しましょう」 「ああ」 すると。民子、足を止めた。 「どうした」 「あれは、蛍ですか?」 「あ、ああそうだ」 「空は満月だわ。綺麗……まるで、別世界みたい」 嬉しそうに寄り添う娘。司、その美しさを見つめていた。 恋する気持ち。それを知った喜びと苦しみ。同時に来る強い感情。堪える司、それは彼女のため。だがせめて今だけは、その美しい横顔をただ愛しく優しく見つめていた。 十一話『竹の湯にて』完 十二話『青い布の向こう』へ
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