十二 青い布の向こう

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十二 青い布の向こう

この日。司は父の見舞いに来ていた。隣町の中病院。慣れた様子で二階東病棟にやってきた。 「お。どうだ」 「司か……」 無理して起きようとする父。司は止めた。 「いいんだ。そのままで」 「……これでもだいぶ良くなったんだ」 ベッドに寝たままの父。シワだらけの燻銀(いぶしぎん)の面。年はまだ五十代。息子に悪いと目を伏せた。 「ところで、その、親父に話があるんだ」 民子を弟子にした話。司は打ち明けるつもり。その息子に父は先に口を開いた。 「俺もあったんだ。お前。身を固める気はないか」 「へ」 暇な父親。入院中に司の嫁を探してやったと笑みを讃えた。 「ここの看護婦の娘さんでな。女相撲のチャンピオンだ。力があるぞ」 「あのな」 「恥ずかしいことないさ。向こうは初婚だし。ここの看護婦はな。見舞いに来たお前を見て。俺に似てあまりの男ぶりで。お前、人気なんだぞ」 「やめてくれよ」 「なんだどうした?」 本気の父。司、まず冷静に話を進めようとした。 「まず、これを見てくれ」 「ん。ザルか……綺麗にできてるな。これは進次郎か?」 「違う俺の弟子だ」 「弟子?」 驚く父。司、必死に続けた。 「勝手にお前」 「父さん。聞いてくれ。こいつは入ってまだ二ヶ月で。これを経った四日間で三百枚作ったんだ」 「これをか?……他でやっていた奴か」 司、首を横に振った。 「いいや。全くの初心者だよ」 「ほお。大したもんだ……会うのが楽しみだな」 ……よし!ここまではいいぞ。 あとは女と言うだけ。しかしここで医者が来た。話が切れた司、別室に呼ばれた。 「また手術ですか?」 「ええ。そうしないと歩けないです」 「本人は?」 「しなくて良いと。おそらく手術代を気にされているようで」 「ああ。そう、ですよね」 司。窓の外を見た。落ち葉が吹き飛んでいた。医者が続けた。 「新城さんには今回費用をいただきましたが、まだ残金があります。このことをご本人は知っているようですね」 「うちに金がないのは、本人が一番知っていますからね」 「……できれば手術の有無を。今日決めていただけますか」 「先生。手術をしないとどうなりますか」 司。詳しく話を聞いた。そして父の病室に向かった。青い布の幕をめくった。 「親父、医者の話を聞いたよ」 司。父のベッドの横に座った。 「単刀直入に言う。俺を思うなら早く手術して、早く退院してくれ」 「いいよ。このまま退院で」 「ダメだ。うちに来ても親父は歩けない。腕だけが動けても腰に力が入らなきゃ竹細工は作れない。それは親父が一番よく知っているはずだ」 「……だが、金は?今までの分だって、もうねえだろう」 司。また、ザルを布団に乗せた。 「そのザルを作った弟子。物置きにあった俺と親父の古い在庫の品を、高値で売ってくれたよ」 「あれを?」 「あいつは自分ではまだ作れないが、売れる商品に詳しいんだ。俺に馬用のカゴなんか作らせやがって。それが馬鹿みたいに売れているんだ」 「馬用か?どうやったんだ。六ツ目で編んだのか」 「よくわかったな」 「俺はお前の師匠だぞ。ほお、馬用か。胴体の部分だけ、凹ませたんだな」 生き生きし始めた父親。司。じっと見た。 「ああ、そうだ。今は猫用の籠を作ったが、猫を入れたら持ちづらくてダメだった」 「猫か?あれは動くから重心が取れないからな。俺ならどう、作るかな」 頭の中で竹細工を作る父親。元気な様子。司、ここで仕上げた。 「それは親父に任せる。だから、金を気にするなら早く手術をして早く帰ってくれ」 「司」 「そして、俺の代わりに猫の籠を作って。頼むから俺の弟子を指導してくれ」 「お前の弟子か、どういう奴なんだ」 やる気を起こすため。司は意地悪に笑った。 「さあな?それは退院してからのお楽しみだ」 「くそ!勿体ぶりやがって。見てろ。早く帰ってやるからな!」 「おう。また来るぜ」 司、親父の肩に手をポンと置いた。そして笑みを見せた。 「あとな。縁談はお断りだからな」 「は?」 「自分の相手は自分で探すから。相撲チャンピオンは親父がもらえ!じゃあな」 こうして息子、帰っていった。静かな病室。同部屋の親しい老人が口を開いた。暇な老人達。今日の司を分析した。 「あれは女ができたな」 「わしもそう思う」 「ああ、前よりも小綺麗になった」 「みなさん……まあ、そうかもですな」 司の父は、三人の同部屋に笑みをこぼした。彼らも手術を応援してくれた。 「もちろんですよ。早く帰って。仕事をしないとなりませんわ」 窓の外の秋の風。司の父は春に向けて決意を新たにしていた。 ◇◇◇ その帰り道。司。こっそり笹谷商店にやってきた。民子の実家。様子を知りたかった。相手は司を知らない。客として商品を見ていた。 「いらっしゃいませ。竹細工をお探しですか」 「あ、ああ。このザルは」 お加代。鈴竹のザルを説明した。 「これは鈴竹さんのザルでして、あの角にできたお蕎麦屋さんが、開店前にこれをたくさん買われて。お店でお客さんにお出ししているんですよ」 「へえ」 「これを見たお蕎麦屋さんのお客さんが。同じものが欲しいと言われて。うちも再々入荷ですね。入れても入れて売れてしまうんですよ」 「それでここに一枚だけなんですね」 民子が作ったザル。売れ残っていると心配したが、大間違い。司、ほっとした。 そんな中、別の客が来た。 「すいません。ここに馬用の籠があるって聞いたんですけど」 「ありますよ。これで」 「どれだい……いや、違うなこれは」 今ここにあったのは。司が作った馬籠の類似品。品として悪くなかったが、客はこれではないと言っていた。 「どこが違うんですか?」 「私が知り合いのところで見たのは、ここがこうなって、ええと」 歯痒い思い。司、つい口を挟んだ。 「もしかして。底の部分ですか」 「そうそう!」 「……どこが違うんですか?」 不思議そうな加代。司、上の方にあった他の籠を取り出した。 「こっちの籠は、こうして底が丈夫に編んでいます。細かい網目を増やして太い竹を十字に挟んであります。でも」 「まあ?この馬籠はそうなってないわ」 「そうなんだよ。私が欲しいのはこの底に強度がある奴なんですよ」 「あの?貴方様はどちら様なんですか?」 司、スッと籠を元の場所に戻した。 「その馬籠は。自分が作ったものです」 「え?お客様が」 「あんたがか?」 店内にいた淡麗な司がそうとは思わなかった加代と客。驚いていた。 「自分は竹細工職人なので。もし良ければまた作りますが、他にご要望は?」 以前なら無視する話。しかし民子の影響か、利用者に合わせたい気分だった。 「ああ。実はね私の家はロバなんだ。だからちょっと小ぶりがいいんだ」 「ロバですね。わかりました。ロバ用で作って。鈴竹さんにお話しして、この店に届くようにすればいいかな」 「は、はい!待ってください」 加代。注文票を司にくれた。 「完成した籠にこれをつけてください」 「わかりました。一週間お待ち下さい」 「おお?あんたが私のために作ってくれるんだね?楽しみだよ。もう前金で置いておくから」 こうして話が終わり客がさった笹谷商店。司も会釈で帰ろうとした。 「では」 「待ってください。お名前を伺っていいですか」 ……面倒だと困るな。 「屋号がマルシンです」 新城(しんじょう)。頭の『(しん)』を丸で囲み以前は屋号でそう名乗っていた。仕事はこれで良い司。店を後にした。そして蕎麦屋を見かけた。すごい人気の店。司は窓越しで見ただけで帰った。 本人に見せたいがそれは後。司、こうして町を後にした。 「ただいま」 「お帰りなさいませ」 「今夜は蕎麦か」 「はい。ヨネさんにもらったんです。美味しそうですよ」 「これ」 「ん?え、これは」 笹谷商店の注文票。民子、懐かしそうに手に取った。 「加代ちゃんの字だわ」 「お前と同じような娘さんだった。それにな。お前のザル。あの店で大量に売られていたぞ」 「私のザルが?」 「ああ。お前だと知らないはずなのな?面白いものよ」 嬉しそうに注文票を胸に抱いた民子。はっと気がついた。 「師匠、ここに、ロバの籠の注文ありますよ。受けたんですか?」 「ああ。一週間で作ると約束してきたぞ」 「ダメですよ。明日作ってください?」 「は?」 「私の実家なんですよ。困ります」 「ふん!お前が作れ。俺は疲れた」 「あ?師匠」 司。意地悪をして自室に入った。そして着替えていた。すると襖の向こうから声がした。 「師匠……ごめんなさい」 「別に。気にしてない」 「師匠」 「いいから。すぐに作ってやるさ」 「蕎麦がなんかボソボソで」 「今行く」 襖を開けると不肖の弟子がしょぼんと立っていた。その頭。司、今夜もポンと撫でた。 父親の病院代の捻出の悩みの前。あんな大きな店の娘が今は自分のそばにいる。いるだけでこんなに心が暖かい。 貧しい小屋、狭い部屋。古い囲炉裏端、慎ましい暮らし。そこで生まれる竹細工。司、明日への活力となっていた。 十二話『青い布の向こう』 完 十三話「誰もいない竹林」つづく
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