一 秋の便り

1/1
前へ
/32ページ
次へ

一 秋の便り

「して。民子は達者なんだな」 「へえ」 「便りがないので案じておるのだが」 笹谷商店の主人の勲。妹の民子を案じていた。見舞いに行ってきたと話す爺や。実際は金だけもらい療養先に行っていない爺。嘘を並べた。 「わしに会っておるので。必要ないと思っているのではないですか」 「そうか」 知らせがないのは元気な証拠。多忙な勲。そう思う事にした。そして店に顔を出した。嫁から仕事を取り上げた彼。店の切り盛りは奉公人の加代に任せていた。 この加代。美人ではないがよく気が効く働き者。客の評判も上々で店の売り上げも復活してきた。勲は店を彼女に任せ、自分は得意先へ営業を兼ねた付き合いができるようになっていた。 それを妻は不満に思い、昼から酒を飲み今日も外出。そんな現実を忘れるかのように勲は加代に声をかけた。 「どうだい」 「あ?旦那様。例のロバのカゴが届いたんですよ」 「おお。どれどれ」 商品を見る目がある勲。この細かい作りに目を凝らしていた。 「加代、ごらん。ここの底が丈夫にこしらえてあるだろう。大量生産だとこうはいかない」 「おっしゃる通りです。今度はこの『丸新(まるしん)』さんのものを仕入れるようにしますね」 新城司(しんじょうつかさ)。屋号は新の字を丸で囲み「丸新」という。加代も勲も彼をそういう職人と認識していた。そしてこのロバ籠は予約していた客が感激して受け取っていった。 「ありがとうございました」 「いいもんだな。ああやって嬉しそうにされると」 「そうですね」 民子と嫁の問題。これに悩んでいた勲の朗らかな笑顔。加代もほっとしていた。優しく穏やかな勲。加代は大好きだった。 そんな勲。商売の家に生まれ、美品に囲まれて育った。このせいか美しいものが好きなのである。嫁も美人。それを知る地味な加代はこの片思いを必死に隠してきた。 「なあ。加代。実はお前に相談があるんだ」 「相談?」 どこか恥ずかしそうな顔。もじもじしている様子。加代、胸がドキドキした。 ……もしかして。旦那様。私のことを? とうとう自分を意識してくれたのか。加代。そっと彼を見上げた。 「なんでしょう」 「最近入った、その……絹子(きぬこ)はどうしている?」 「お絹、ですか?」 奉公でやってきた娘、絹子。加代は妹として可愛がっていた。絹子はまだ幼い顔の少女であるが、美人だった。勲、恥ずかしそうに話だした。 「あ、ああ。あまりきつい仕事をさせないで欲しいんだ」 「……わかりました」 ……ああ。やはり私ではないんだわ。 勲はそう言って店奥に行った。加代。客がいない今、悲しい気持ちで店前に出た。空は高く晴れていた。 ……どんなに頑張っても。私のことは見てもらえない。だって、お嬢様のようなお綺麗で素敵な妹さんがいるんですもの。 加代は民子が好きだった。美人なのに気さくな女性。頭がよく優しい彼女。奉公人の自分を妹のように可愛がってくれた彼女。そんな民子と自分を、比べて、どこか一つでも勝てるところがあるだろうか。 あるわけない。何もない加代。空に浮かぶ小さい雲を見て涙が出てきた。 ……ああ。私のようだわ。小さくてちっぽけで。どんなに努力しても、所詮、美しい人には敵わない。それは、わかっていたはずなのに。 嫁を店から排除し、店を任せてくれた勲。少しは自分を女として扱ってくれるのではないかと期待をしてしまった愚かな想い。それは間違い。勲の思いは若く美しい絹子に傾いている。加代などは素通り。勲の中も通ってない存在。なんて悲しく、なんとみじめで虚しいことであろう。 その時。店に客がやってきた。 「すいません。タライはどこですか」 「はい。タライですね」 加代。着物袖で涙を拭いた。泣いていられない。先へ進むしかない。仕事で彼に尽くすしかない。加代、客を案内した。 ……お嬢様が戻ってくるまで。それまでは頑張るのよ。旦那様に私ができることは、それだけだから。 「こちらになります。どうぞ、お手にとってご覧ください」 「ありがとう。どれどれ」 秋の風が吹く商店街。加代。勲のため民子のため。悲しみの涙を飲んで店にいた。その笑顔。聖母のように優しく静かであった。 ◇◇◇ 「その石鹸。黒いぞ」 「いいんです。この方が」 竹林の小屋。驚く司。民子、この試作品に満足そうにうなづいた。 「香りもほら。どうですか」 黒い石鹸を司に差し出す民子。司、鼻を近づけた。 「……うっすらであるが、竹の匂いがするな」 「使えばもっと香りがするんですけど。あとは、形ですかね」 「形か。これは四角であるな」 この開発者の進次郎とその嫁。二人は洗濯用として作った石鹸。しかし民子。これは体や顔を洗う美容石鹸として売ろうとしていた。 しかも。綺麗に洗う石鹸なのに竹の炭を混ぜた黒色。白ではなくこの黒というのは誰もが見たことがなかった。民子以外。誰もこれは売れるとは思えなかった。 「ええ。お洗濯する時は四角の方が洗濯板で使い安いんですが、これは美容用なのでこう。おまんじゅう型にした方が、手の中で泡立てられますよね」 「なるほど。丸か」 「それと。包紙は、どうしようかな。紙も支度しないと」 「包紙か。これはどうだ」 司。竹の皮を小屋の隅から出した。 「皮」 「ああ。竹の香りも映るし。どうせ勝手市場で売るだけだろう」 「……師匠。すごいです!」 「ええ?」 目をキラキラさせる民子。案を出した司に抱きついてきた。 「とっても良いです!さすが師匠」 「おいおい」 「よし!これで包装は決まりだわ!あとは、ええ、その」 夢中な民子。そう言ってまた別の支度に取り掛かった。司、こんな弟子にもう慣れた。そして自分の仕事に取り掛かった。 最近、鈴竹を通し、「丸新」製造が欲しいと注文が入るようになっていた。嬉しい指名。しかし、その注文は癖のあるものばかり。他の職人ではできないことを司に回している様子。それでも司、この注文に答えて竹細工を作っていた。 以前の彼ならば。プライドが邪魔をして作らなかったかもしれない。しかし、今の彼。民子の影響からか、使い手の喜ぶ顔が見たいと思えるようになった。 幼い頃から竹細工を作っている司。無骨なこの作業が性に合っていた。そのため他の世界を知らずにいた。民子は彼の知らない世界の扉を開く娘。司にはどこか眩しく映っていた。 「師匠」 「なんだ」 「石鹸置きを作りたいんですけど」 「……」 「ダメですか?」 ……そんな顔をして俺を見るなよ。 必死の民子。可愛い。司、これを見ないように冷たく話した。 「まず。仕事を終わらせろ。何かを始めるのは、それからであろう」 「はい!」 素直な笑みの娘。そう言って家事に戻った。司、呆れるように微笑んだ。 小屋で竹を切る司。細く長く、綺麗に使いやすく。彼の思いを知っているのか、窓の外の月は、静かに優しく照っていた。 一話 『秋の便り』完 二話 『勝手市場』へ
/32ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2010人が本棚に入れています
本棚に追加