四 幸せをかき集める

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四 幸せをかき集める

日が短くなった秋の夕暮れ。西に沈む夕日が照らす竹林。風に吹かれていた。 その中にある新城司の粗末な小屋。その小屋からは暖かい夕食の煙が上っていた。 「師匠!美味しそうにできました」 「美味しそうじゃなくて。美味しく作って見せろ」 「……うう」 料理はまだ失敗ばかり。司にそう嫌味を言われた民子。ちょっと悔しかった。 「師匠。あのですね。お腹が空いていればなんでも美味しいですよ」 「砂糖と塩を間違えてはそうもいかないな」 「まだそれを言うんですね。でも、今日は大丈夫」 昨日。煮物に砂糖ではなく塩を入れてしまった大失敗の民子。今夜は味見をしようと鍋から汁を掬った。 「ん?ちょっと味が薄いかな……お醤油を足します」 「民子。待て」 司、カゴを編んでいたが立ち上がった。それを見た民子、自分でやると首を振った。 「大丈夫です。師匠の手を借りる話じゃありません。民子がやります」 「そう言って、お前、一昨日、入れすぎたじゃないか」 「あ、あれは手が滑ったんです。民子は自分で醤油を入れます!」 必死に醤油を背に隠した民子。司、呆れていた。 「では、入れてみよ」 「はい。いざ!……」 民子の仕事。司、じっと見ていた。今日は入れすぎることはなかった。 「ほらね?民子でもできるんです」 「自慢することか?まあ、いいが」 笑顔の娘。クールに見つめていた司。その胸は暖かくなっていた。 弟子として春までの約束の民子。師匠の彼、弟子の彼女を可愛いと思っていた。しかし、師弟関係が私情で乱れることは職人の彼には許されない事。 まず民子を竹細工職人として一人前にしてやること。これが司にとって最高の愛情表現だった。 春には退院し戻ってくる師匠の父親。それまでに民子をなんとか職人にさせたかった。そして父に民子を認めさせ、そこから二人の将来を考えようと思っていた。 「師匠。ご飯にしましょう」 「ああ」 今夜も囲炉裏を囲み、二人は夕食を食べた。もうすぐ冬の到来。民子。この日は冬の過ごし方を彼に聞いた。 「この地は雪がないのでな。冬でも仕事ができるんだ」 「ではたくさん竹細工を作るんですね」 「……その前に。熊手だな」 「熊手?」 食べ終えた司。物置に民子を連れてきた。そこには農具の熊手があった。 「民子も熊手は知っています」 「あれは農具だが。お前、酉の市って知っているか」 「知らないです」 そして小屋に戻って来た二人。お茶を飲みながら司は説明をした。 「酉の市とはな。十一月に売り出しをするんだ。『幸せをかき集める』という縁起物で。地元の神社で売るんだ」 「それは飾りなんですね、なるほど」 「本当はな。俺ではなく。それは進次郎が作っているんだ」 司、囲炉裏の火を見つめた。 「だが、先日の勝手市場で助けてもらったしな。それにあいつのうちでは子供が生まれるから。手伝ってやるつもりだ」 「民子もやります!」 「そういうと思った?しかしだな、お前も修行をしないと」 「もちろんです」 話を聞いている間。民子、立ち上がった。 「さあ!今夜もやります。花籠を作らなきゃ」 「張り切りすぎじゃないか……」 また熱を出すのではないかと心配な司の声。しかし民子は動じない。 「ふふ、だって、作りたいんですもの」 「約束だぞ。俺が寝ろと言ったら寝るんだぞ」 「師匠はすぐにそう言うんですもの。作業がちっとも進まないです」 「民子……そろそろお前、寝る時間」 「うわ?嫌です!まだこれからなのに?」 意地悪顔で微笑む司。民子、あわてて作品に取り掛かった。民子は司が大好きだった。厳しくうるさい師匠、それは真剣に仕事をしている彼の姿勢の表れである。 職人気質の彼が意地悪で冷たく感じていたが、それは間違い。司は自分に厳しく仲間思いの立派な人。淡麗で飾らない彼、仕事も早く文句を言わずに黙って仕事をするその面差しを民子は尊敬していた。 幼い頃から商売の世界にいた民子。話術が達者な人を知っている。美辞麗句、上部だけの飾り言葉でその場を和ます話術の人間世界。それはそれで必要なことであるが、それは真実ではない。 それに反し、辛い仕事も黙々と作業をこなすこの司。この冷静な彼の整った背筋。彼の人柄に民子。心を惹かれていた。 そんな彼。恋愛対象として見るにのは失礼だと民子は思っていた。未熟な自分。それよりも彼に認められる竹細工職人になりたい。その思いで毎日作品作りに取り組んでいた。 元々は器用な民子。今までは体が弱いと何もさせて貰えなかったが。実際やってみるとどんどん吸収していた。 確かに体が辛いが、それに勝る好奇心と探究心。司の作品の芸術的な素晴らしさに感性が爆発するように想いが圧倒されていた。 あれもこれもやってみたい。辛いけど挑戦してみたい。一日の時間が足りないほど。覚えたことをやってみたい。やった事がないが、できる気がする。民子、この夜も挑戦中の花籠を編んでいた。 「……スースー」 ……ほう?今夜は持った方だな。 司がみると。民子は今夜も籠の前で寝落ちしていた。その手には編みかけの籠。彼は民子を抱き上げた。彼女の寝顔に笑みをこぼした。 ……さて。今宵もかぐや姫を寝床に移す、か。 半地下の寝床。ここの布団に民子を寝かせた。すやすや寝ていた。 ……家事もやり、農作業もして。すっかり顔も日焼けしたな。 可愛い寝顔。出会った時の病的なやつれの娘とは思えないほど元気そう。彼女の乱れた髪を司は優しく直していた。そして小さな手を布団に入れようと掴んだ。作業で痛めた手は荒れてた。これは彼女が頑張っている証。司はそっとその手に口付けた。 ……おやすみ。民子……修行の続きは夢でしっかりやれよ? そして彼女の部屋を閉じた。司、父親の入院費用とこれからの生活のため、遅くまで竹細工を制作するのだった。 ◇◇◇ そして翌日。司は農家の進次郎の家に出向いた。そして熊手の話を相談した。 「今年も業者さんから作ってくれって注文があったんだ」 「俺も手伝うよ。数を教えてくれ」 「助かるよ。それよりも、民子ちゃんはどうしてるんだ」 「ん?家で留守番だが」 進次郎。ニヤニヤした。 「結局、お前はどうする気だ」 「どうするって」 「民子ちゃんのことだよ。嫁さんにもらってしまえよ」 「……まだそれは先だ。まずは親父に職人として認めてもらえるようにするつもりだ」 「親父さんか……まあ、その方がいいかもな」 司の親父を知る進次郎。司の肩を叩いた。 「俺も応援するよ」 「その時は、まあ頼む」 こんな話をした進次郎と司。彼らは業者の注文通りに熊手を製作した。民子も手伝う大仕事。期日までに作った。この日は業者が取りに来る日。大量の商品なので司も民子も進次郎の家にて手伝いに来ていた。 大八車で来ていた親方。仲間と一緒に商品の熊手を嬉しそうに積んでいった。 「あの。お代は?」 進次郎が確認すると。親方は面倒そうに話した。 「ああ。それはね」 親方。これから売るので、売れたら支払うと言い出した。 「それは困りますよ?先にくれないと」 「……とにかく。今は持ち合わせがないんだよ」 話を聞いていた司と民子。ここで動きを止めた。進次郎は男に詰め寄った。 「それは話が違います。毎年、ちゃんと払ってくれていたじゃないですか」 「去年と今は違うんだよ!お前達、行くぞ」 荒っぽい男達。商品を積んだので出発しようとした。ここで民子。さっと大八車を塞いだ。 「なんだ?お前」 「旦那さん。それは泥棒ですよ」 「はあ?」 民子。親方を睨んだ。 「お金を払わないで持ち逃げなんて。そんな商売が許されますか?」 「……生意気な」 親方。民子を睨み返した。しかし、民子はもっと怒っていた。 「泥棒に泥棒って言って。何がおかしいんですか」 「おい、民子よせ!」 「師匠は黙っていてください」 強気の民子。男達を睨んだ。親方は静かに民子を見ていた。 「てめえ。どうなってもいいのか」 「そっちこそ。その熊手には全部、うちの印が入っています。勝手に売ればすぐに警察に捕まりますよ」 「……俺はな。払わないと言ってない。あとで払うって言っているんだ」 「今、払ってください!払わないうちはその熊手はこちらのお品ですよ?」 「はあ?」 「そうなると。酉の市で売っても、売り上げはうちのものですよ」 「……」 民子の話。親方は考え込んでいた。親方は先ほどから腹巻を触っている。おそらくあそこにお金は入っていると民子は思った。 「それにですね。それは縁起物。支払いもしないで売ろうだなんて。バチが当たって売れませんよ」 「わかった。払うよ。払えばいいんだろう」 ここで諦めた親方。進次郎と交渉を始めた。その間、民子、進次郎の嫁と母が入れた笹茶を荷車で呆然としていた男達に配っていった。 「お騒がせしましたね。どうぞ。帰り道は大変ですものね」 「あ、ああ」 「笹のお茶です。雨が降らないと良いですね」 「ど、どうも」 優しくする民子。司、ホッと胸を撫で下ろした。そして親方と進次郎は金のやりとりを終えた。 「親方さん。どうぞお茶です」 「ああ」 「あの……もしよければ」 「ん?」 今まで啖呵を切っていた娘。今はお茶を出しながらスッと親方を見つめた。 「今回の熊手。どんなものが一番売れたか。来年の注文の時に教えてください」 「は?お前さん、もう来年の話をいているのか」 「はい。できれば、売れる商品を作りたいですものね」 これに。親方は大笑いをした。 「ははは、こいつは大物だ」 「え」 「売れる前から売れた話とは?ははは……して、お前さんはここの娘か」 この時、さっと司が出てきた。そして民子の肩を抱いた。 「こいつは自分の弟子です。どうもご迷惑をかけました」 低姿勢の職人の司。頭を下げた。親方。良いと笑った。 「いやいや。そうか。お前さんが師匠か?こいつは大変だな」 民子を怪訝そうに見た親方。民子、驚いた。 「え?それはどういう意味」 「民子は黙れ!はい、不肖の弟子でして。誠に恐れ入ります」 美麗な司の丁寧な挨拶。親方は目を細めた。 「ははは。今回の熊手は楽しみだ!さて、娘。これ以上、師匠に心配かけるなよ」 「は、はい」 親方、湯呑みを返した。 「うまい茶であった!さあ、お前ら。行くぞ。今年のは売れそうだ」 こうして親方達は去っていった。進次郎と司、そして民子はこれを見送った。 「……はあ、助かった」 脱力で倒れそうな進次郎。司、抱き寄せた。 「進次郎?しっかりいたせ」 「大変!家に運びましょう!」 それそれ!と進次郎を農家の家に運んできた。縁側に寝そべる進次郎。彼の周りには子供達が取り囲んでいた。 「父ちゃん、大丈夫?」 「あのおじさんに怒られたの?」 「……いや。父ちゃんがびっくりしたのはそれじゃねえんだよ」 進次郎、じっと民子を見た。 「私?」 「進次郎。民子が暴走してすまなかった」 「いいや……民ちゃんには助かったよ。ありがとうな。しかし、司、しかしお前も大変だな」 気の毒そうに見る進次郎。司、うんうんとうなづいた。 「わかってくれたか、俺の苦労が」 「ああ。俺には無理だ」 「あの、お二人は何をお話ししてるんですか」 ここで。進次郎の嫁と母が来た。出された饅頭を食べた司と民子、進次郎の家を後にした。 「あの、師匠」 「なんだ」 「さっきの意味はどういう意味ですか」 「なんの話だ」 足元の笹の葉。カサカサとなった。 「民子はそんなに迷惑ですか」 「誰もそんなことはもうしておらぬぞ」 「でも」 「進次郎は申しておっただろう?助かったと」 「はい……」 でもふに落ちない民子。元気がなかった。そんな彼女に司は声をかけた。 「民子。お前は正しいかもしれぬ。だが、頼むから今度飛び出す時は、俺に言ってからにしてくれ」 「わかりました」 「全く。心臓が飛び出ると思ったぞ」 「……そんなにですか?ふ、ふふふ」 ……そうか。心配していたんだ。 迷惑ものとされていたと気にしていた民子。司の思いに安心した。民子の笑顔、司、そっと手を握った。 「ははは。『鬼が笑う』か」 「ん。それはどういう意味ですか」 「『来年の話をすると鬼が笑う』というが、本当に笑っていたと思ってな」 「確かに。あの親方は鬼のような顔でしたものね?ふふふ」 しかし。司、意地悪く民子の顔を覗き込んだ。 「俺が言っている鬼は、親方じゃないんだがな?」 そう言って。司は民子の鼻を摘んだ。 「ひどい?私が鬼なんですか」 「ははは!ははは」 「うう、ひどい。傷つきました」 司、その細い肩を抱いた。 「ひどいのはお前だ。大八車に飛び込んだ時は、目の前が真っ白になったぞ」 「ごめんなさい」 「……さあ、帰るぞ。今夜の飯は俺が作ってやるから。元気出せ」 「はい。あの師匠?」 「なんだ」 腕の中の民子。司に寄り添っていた。 「売れるでしょうか?民子の小さい熊手は」 「ああ、売れる売れる。飛ぶように売れるだろうよ」 「そうかな」 「愛を込めたんだろう?その愛は、今度は俺にも少し込めてくれ」 少しだけ愛の思いを投げた司。民子、この思いを強く返した。 「とっくに込めてます。あの、早く帰りましょう!今夜こそ花籠を仕上げたいんです」 「そうかそうか。帰ろうな」 「早く!ほら」 「転ぶって、おい?」 夕暮れの二人、抱き合いながら帰る道。その胸は暖かかった。二人の冬はこれからだった。 完
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