二 青く伸びて

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二 青く伸びて

朝の風が眩しくて起きた民子。こうしてたけの林で夜を明かした民子。案外眠れた。しかし、顔が痒い。蚊にやられたようだった。 ……今夜は周囲に焚き火をして寝ないとだめね。ああ、痒い。 そして朝食になるものを探しに竹藪に入った。昨日は筍を見つけたが旬ではない。キノコを見つけたが果たして食べられるのか不明である。 そしてこうして竹林をみていると、色んな種類の竹があることを発見した。 太いもの、細いもの。色の違いやその長さ。普通はこんなに種類はない。おそらく司が育てているのだと知った。 さらに。小屋の裏には大量の切った青竹が干してあった。 ……切った竹はすぐには使用しないんだわ。こうして干して安定させて。そうなると、こっちのように白くて真っ直ぐになるのね。 干してあるのは太い青竹。しかし立てかけてあるのは白くなっている。綺麗であった。 ……乾燥すると白くなるのかな。それとも何かするのかな。 使用するまで色んな作業がある工程。この材料で民子はそう学んでいた。 材料をこうして見ているだけで。民子は楽しくなっていた。 「おい」 「あ。おはようございます」 ……これは、ひどく刺されたものだ。 蚊に刺されて民子の顔は腫れていた。しかし本人は気にしてない様子。ひどい顔を司は見ないようにしていた。 「お前。勝手に材料に触るな」 「はい。あの、旦那様。向こうの竹が風で倒れていました」 「どこだ」 民子の話。司は一緒に現場に向かった。確かに大量に倒れていた。 「これは恐らく。例の追手の仕業だろう」 「え」 「これは立て掛けておいた。奴らはお前が隠れていたと思ったんじゃないか」 「私のせい……あの、旦那様」 民子。ここは自分で直すと言い出した。 「これを?重いぞ」 「やります。立てればいいんですよね」 バラバラの竹。泥がついていた。民子、司の指示なくこれを一本づつ丁寧に雑巾で拭き始めていた。この様子。司は任せる事にした。 ……これくらい運べなければ職人にはなれぬ。それに、これが辛くて諦めるであろう。 これは切ったばかりの生竹。水分が多く長く相当重い。司、それを言わずに小屋に入った。 民子。それを知らず綺麗に拭き終えた。 ……綺麗になったわ。よし!これを立てれば、あれ? 見た目よりも重い。民子は焦った。これは簡単にはいかない。着物を着ていたが、袖が邪魔。思わず上を脱ぎ下着になった。かまって居られなかった。 「うう……それ!」 肩に担ぎやっと立てた竹。これをよろよろと運び、何とか定位置に立てた。 「はあ、はあ。さあ……これからよ」 やるしかない。今まで実家では咳が出るからと運動を止められていた民子。しかし、実際は色んなことをやってみたかった。非力であるが、ゆっくりならできそうな作業。民子。重い青竹を必死に運んだ。 「くううう……」 歯を食いしばる民子。司は密かにこれを見ていた。 ……へえ、持つ場所をわかっているじゃないか。 長い竹。運ぶのは大変である。が、持つ場所を覚えれば、そんなに大変ではない。何度も持っているうちに、民子なりに運びやすい持ち方になっていた。 しっかり持って。腰に力を入れて持っている。基本であるが、ひ弱な民子はこうしないと本当に持てないが故に編み出したやり方。民子、渾身の力で何とかやりこなした。 「これで……終わり。はあ」 へたり込んでいる民子。ここで司が現れた。 「ちゃんと並べてあるな。まあ、合格だ」 「では私を弟子に?」 「それはまだだ」 そんな?とガッカリ顔の民子。その顔は蚊のせいでひどく腫れている。本人には悪いが面白い顔。司、笑いを堪えていた。 ダメ出しであったが、民子。また心を奮い立たせていた。 「そうですか……では、また頑張ります」 そう言って立ち上がった。司、その疲れた様子に声をかけた。 「お前。飯は」 「そうか?忘れてました?そうですね。もう夕方か」 この竹の運びのせいで。彼女の一日が終わっていた。空腹も忘れていた民子。見つけたキノコが食べられるか司に尋ねた。 「これですけど。とっても綺麗だから」 「これは……毒キノコだ」 「まあ?残念です……今夜は無しだわ」 朝から食べられなかった民子。元々少食だが、流石に腹が減っていた。しかしもう今夜の寝床の支度をせねばならない時刻。何としても弟子にして欲しいのだから。 民子。焚き火の支度を始めた。司、不思議に見ていた。 「お前。食べ物があるのか」 料理でもするかと思った司、民子どこか不貞腐れていた。 「ないです。でも、蚊除けです。もう、痒くて痒くて」 野宿。笹の布団の周囲。民子は取り囲むように小さな焚き火をたくさん用意していた。 「それは?」 「こうして周りで煙を炊けば、蚊は来ないですよね」 「煙たくて眠れないのではないか」 「昨夜も煙が目に染みたんですが。おかげで眠れました、あ、私、川辺でヨモギの葉を取ってきます。ついでにお水も飲んでこよう」 ……やはり。今夜も野宿する気か。 民子はそう言って川辺に行った。弱音を吐いて出ていくの待っている司。しかし民子。どこか生き生きしながらこの野宿を楽しんでいるように見えた。 ……何も食べておらぬのに。愚痴もこぼさず。それに、仕事の筋は良いようだ。 動きはとても遅い。だが丁寧である。今日、片付けた泥だらけの青竹も当初よりも綺麗に磨かれていた。 司は父親と今までたくさんの職人と作業をしてきた。腕がいいが酒を飲み過ぎる。腕はいいが賭博で浪費してしまう職人などを今まで嫌というほど見てきた。 竹細工での収入は低い。慎ましく暮らせない者には最初からこの仕事はやらない方がいい。司はそう思っていた。 それに。今までは女の職人はいない。農家の嫁や娘が自分たちで使うものを作る程度。売り物を作る女職人は司も知らない。娘を弟子にすることは司にも覚悟が必要だった。 さらに。怪我で入院の父が不在の今、勝手に決めるのは彼には難しかった。厳格な父。いくら娘が誠実だとしても、療養所を逃亡してきた経緯を聞けば反対するに決まっている。 さらに。同じ職人仲間も女を弟子にしたとすれば、色眼鏡で見るであろう。彼女を弟子にするにはさまざまな問題があった。 「旦那様。ヨモギがありました」 「あ。ああ」 いつの間にか戻ってきた娘。手には小魚を持っていた。 「それに!川の岩場の中に、この魚がいたんですよ!手掴みで獲れたんです」 「そうか」 ヨモギの葉でくるんだ魚。三匹いた。 「今焼きますので。旦那様にもご馳走しますね」 そう言って娘は串を打ち、焚き火にて焼く支度を始めた。今夜もやはり野宿する気である。 朝から空腹のはずなのに。自分にも魚を分けると言っている。蚊に食われた顔。傷だらけの手足。泥がついた体。しかし、目は生き生きとしていた。 ……この娘。諦めそうもないな。 弱音を吐いて出ていくのを待っている。が、先に弱音を吐きそうなのは司の方だった。彼は支度をする民子をじっと見ていた。 「旦那様。お塩を貸してもらえませんか?せっかくなら美味しく食べた方が、あ?雨だわ」 焚き火の前の民子。しかし、ここで雨がぽつぽつ降ってきた。 ……くそ。どうしてこんなことに。 雨は彼の心くすぐるようにどんどん振ってきた。この心を知らず、娘は必死に寝床を移動しようとしていた、 「どうする。雨だぞ」 「寝床の場所を変えてみます。ここでは濡れますもの」 本気でまだ野宿する気の民子。慌てて笹の布団を移動している。 「見つけました!こっちなら平気そうです!」 ……ダメだ、俺には…… 健気な娘。彼女をこれ以上、野宿などさせられない。司、拳を握りとうとう折れた。 「良いから。うちに来い」 「そうですね?せっかくのお魚ですものね。囲炉裏で焼いた方がいいもの」 魚を焼くことだと思っている民子。司、民子の顔を見ずその細腕を掴んだ。 「春までだ」 父親が退院予定の春まで。それまでは責任持って娘を預かると司は決めた。 「旦那様?」 「無給で、下働きからだぞ」 「え」 「きつい仕事で。泣き言を言ったらすぐに追い出すからな」 そういう広い背中。どこか恥ずかしそうだった。家に入る前、雨を避けた玄関前の庇の下。しとしとの雨は青い匂いがした。 「それは……私を弟子に認めてくださるんですか」 「見習いな」 「あ、ありがとうございます!旦那様!」 民子。嬉しくて頭を下げた。すると柱に頭をぶつけた。 「痛っ?」 「ふふ……ははは」 司の笑った顔。民子は初めて見た。でも、泣けた。 「う、ううう」 「どうした?そんなに痛むのか」 慌てておでこを見てくれた司。民子、涙で首を横に振った。 「いいえ……本当は外が怖くて……昨夜は蛇が出たんです」 強がりを言っていた娘。司、思わず頭をポンと撫でた。 「そうか。怖かったか」 「ううう」 おいおい泣く民子。司。仕方なく胸で泣かせてやった。気丈に振る舞っていた娘。司もどこかほっとした。 「ところで。お前、名前は」 「……笹谷(ささや)民子(たみこ)です」 「俺は新城司(しんじょうつかさ)だ」 民子。ここで泣き止んだ。そして泣き腫らした目で彼を見上げた。 「では、司師匠とお呼びすればいいですね」 「あ、ああ」 師匠と呼ばれた司。恥ずかして赤面した顔を背を向けて隠した。 そして通された小屋の囲炉裏の和室。民子は、改めて正座し、三つ指をついた。 「師匠。どうぞ、民子をお願いします」 「もう良い。それよりも、その魚を焼け、塩は、そこだ」 「はい」 竹藪の中の小屋。出会った二人。こうして静かに真っ直ぐに二人の物語が始まっていった。 二話「青く伸びて」完 三話「竹の家」つづく
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